2013年12月6日

二つの陶齋生誕100年展 齋藤三郎(陶齋)の尽きぬ楽しさ。

2013年12月6日(金曜日)

昨夕、高田本町で開催されている二つの齋藤三郎(初代陶齋)生誕100年の記念イベントを見た。人口20数万の地方都市で特定芸術家の記念イベントが同時に複数行われる。極めて希なことであろう。

「坂口謹一郎と齋藤三郎 絆展」(ミュゼ雪小町)および「初代陶齋齋藤三郎展」(ギャラリー祥)の開催。齋藤三郎を飾る樹下美術館としては何としても見なくてはならない。
極めて旺盛な作陶を行った陶齋のこと、まだ見ぬ優品は随所にあるはずであり、期待は膨らむ。

閉館間際の訪問で館内は空いていたが、膨大な展示は期待に違わず驚きを禁じ得なかった。

 

そもそも陶齋の特筆の一つとして、「次は何」というファンの期待への見事な応答がある。
ファンは我が儘だ。同じ傾向に飽きやすく、新たな次を期待している。つまらない変化なら要らない、驚き感嘆させられるものと出会いたいと、容易ならざる期待をするのである。

それに対して陶齋は機種、技法、モチーフ、形状、描画、彩色ほか考えられる全てにおいて応えた。信じがたいことである。当時、待ちに待った窯出しに集まった人々の興奮と幸福が目に浮かぶ。

 

案内ミュゼ雪小町の案内ボード。

ミュゼ小町場内
ミュゼ雪小町の場内。

 

 

ウィンドウ案内ギャラリー祥のウィンドウ。

 

 

ギャラリー祥場内ギャラリー祥の場内。

特に心引かれた作品では、ギャラリー祥の墨絵の如き端正な秋草の水指。そして思いもよらぬ常滑風の掛け花入れの焼き締めだった。過日陶齋は焼き締めを作らなかったと書いたばかりだったのに、特別な顧客の注文だったのか、とても驚いた。

ミュゼ雪小町は古いファンから出品されていて見応えがあった。高田で登り窯が出来る前の極めて早い時代に焼かれた、赤地に呉須で石榴が描かれた楽焼きは夢のようだ。当時この楽焼きを銀行や食堂の一角で売ったという歴史的な作品である。

ほかにこまやかに掻き落とされたノイバラ瓶の気の込め方は印象的で、赤地椿文銀彩瓶の立ち姿にはなんとも暖かな情がこもっていた。

それにしても齋藤三郎の磨かれた才能はどれほど多くの作品を生み出し、多くの人々を喜ばせたことだろう。草花を描き、世の中を気品の美で満たそうという壮大な気宇を感じさせる展覧会だった。

坂口謹一郎博士が繰り返し述べているように、陶齋が中央に出ず、越後に留まったことはやはり不思議である。
しかし翻って地元にとっては、なによりの福音となった。

坂口謹一郎と齋藤三郎 絆展 12月28日まで ミュゼ雪小町

生誕100年 初代陶齋 齋藤三郎展 12月8日までギャラリー祥

※陶齋作品は長く深く愛蔵されている。それらを一同に集めての展示は並大抵のことではなかったろう。関係者の皆様に深くに敬意を申し上げます。

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