男さんの一日 明るいチューリップ 陶齋のチューリップの湯のみ。

2015年4月25日(土曜日)

本日の来館者さんのうち16人が男性、女性は6人で〝圧倒的に〟男性が多かったとききました。
今年になりこのような傾向の日が時々あるということです。

しかも入館しますと、男性はいっそう男前になると言いますからとても不思議なのです。

さて庭は多様なチューリップが次々に咲いています。
チューリップは強く明るく、年と共に私はますます好きになりました。

073列を作って植えるよりもあちらこちらにまとめて植える方が楽しく見えるようです。

チューリップの湯飲み陶齋のチューリップの湯呑(左)。右は鉄釉に銀彩でコブシです。
一般にチューリップの湯呑は珍しいのではないでしょうか。
こだわりない陶齋の人柄がうかがれます。

心身に美味しい大潟水と森公園の新緑。

2015年4月24日(金曜日)

連休が近づいて何とも良い季節になってきた。

数日で新緑がどんどん広がり、半日で花が開く。
生き物に対する「光と暖かさ」の作用は素晴らしい。

さて昨日午後の休診日は新潟県立大潟水と森公園を散策した。
ランニング、ウオーキングから私のようなぶらぶら歩きまで大変自由だ。

歴史ゾーンへ数カ所の入り口の中で、西駐車場へ向かうのはタイムトンネルをくぐるようで楽しい。
一帯は縄文弥生の古代人が住んでいた場所で、当時の生活と風土感が漂う。

ミツガシワと新緑水上回廊から見るミツガシワの群生。
生命の進化を促した水辺は心身を癒やし、さらに元気をもたらしてくれる。

 

蓄音機コンサートバナークラシックの独奏や歌曲の名演。そしてダイナ・ショアから江利チエミまで、
電機を使わない手回し蓄音機の、懐かしいレコードを楽しみましょう。

 

1506寿司の会バナー - コピー一日8人様でまだお席が沢山あります、ふるってご参加ください。
(21日は埋まりました、有り難うございました。)
陶齋の器に盛ったお料理をご一緒に楽しみましょう。

齋藤三郎(陶齋)の六客。 

2015年4月23日(木曜日)

およそ現在日本では皿や茶碗などがセットで販売される場合、5客が普通です。
(かっては10客、20客でした)

ところで陶齋のセットではよく6客が見られます。
今年の展示テーマ「鉄絵と色絵」で出ている「色絵番茶器」は、
「6客というのは珍しいですね」とお客様に言われます。

以下3例は6客ですが、ほかにも皿やジョッキで6客ひと揃えのものがあります。

色絵番茶器セット色絵番茶器。
茶碗が6客で1セット。赤地に丸い窓絵(まどえ)で椿、梅、竹が描かれている。

辰砂珈琲碗皿辰砂葉文珈琲碗皿。
辰砂(しんしゃ)の地にやはり窓絵で葉の模様が描かれている。

繪変染付向付染附(そめつけ)絵替わり向付(むこうづけ)。
様々な文様がこれも窓絵で描かれています。窓絵は和やかな雰囲気になりますね。

何故6客だったのか、よく分かりませんが、かって河井寛次郎なども普通6客だったといいます。
西洋式にしたとか、4客では縁起が悪いから5客、それが1客欠けると四になるから最初に6客、など色々あるようです。

「1ケくらい壊しちゃうから6客は便利ですね」とあるお客様が仰いました。
これが正解かもしれません。
また3×2列の箱に入れる場合、6客は丁度良いということもあったようです。

以下は現在展示中の「鉄絵珈琲碗」5客です。
最初は6客で1つ欠けたのでしょうか、それとも最初から5客だったのか、、、。

鉄絵珈琲碗「鉄絵珈琲碗」。
鉄絵の筆でぐるぐる丸を描いている絵唐津風の器です。
味わいがあり、来年カフェで使ってみたいと考えています。(これは窓絵ではありませんね)。

待っていたコムクドリが来た。

2015年4月22日(水曜日)

本日昼、診療所の庭のソメイヨシノにコムクドリの姿があった。
昨年営巣したつがいか、あるいはその子だろうか、ちゃんと来てくれて嬉しい。

1巣箱去る4月4日にかけ直した巣箱。

 

枝のコムクドリ本日初めて目にした今年のコムクドリ(メス)。
オスも居ましたがすぐに飛び立ちました。

 

3巣箱へWelcomeと書かれた字が読めたのでしょうか。

4巣箱からとてもお似合いです。

 

巣箱の桜こちらは、先日美術館のカフェの前のヤマザクラに掛けた巣箱(○枠のところ)。
今この木は満開を迎えていますが、どんな鳥が入るのでしょう。
(巣はどうやっても曲がってしまいました)

ああ天然の恩寵。

2015年4月21日(火曜日)

本日日中わずかの寒さはあったがさしたる風もなく爽やかだった。
昼休みに柿崎区の海岸を歩いた。

雲見上げるだけで壮大な造形を目にする事が出来る、何という恩寵だろう。

 

初蝶初蝶がハマダイコンに寄っていた。

 

ハマハタザオ清潔感あふれるハマハタザオの群生。

 

波のサイン荒波が残した藻屑のサイン。

暮れる頃、美しい夕焼け空を見ながら福祉施設の衛生委員会に向かった。
きれいな写真を撮った人も多かったのではないだろうか。

150411休館なしの告知バナーこれまで冬期休館以外は毎週火曜日を休館致してました。

頑張れ野尻湖。

2015年4月20日(月曜日)

昭和20年代中頃から、私たちは春秋によく野尻湖を訪れた。
池の平の「池廼家」さんとともに野尻湖の「藤家旅館」にはとてもお世話になった。
独特の大きな声の当時のご主人が運転するモーターボートで巡った湖畔の新緑や紅葉の美しさは忘れられない。
食卓のワカサギの天ぷら、信州味噌の味噌汁、野沢菜漬けなどは香りまでよみがえる。

img122母が昭和24年1月生まれの妹を抱いている「藤屋」さんの桟橋。
このころから父は齋藤三郎さんの作品を集め始めたようだ。
(私は前列右端)

 

弁天島で昭和27、8年ころの弁天島で。
たいてい野尻湖は静かだった。

ところで上信越高原国立公園とよばれていた時代、妙高山も黒姫山も戸隠も、
そして野尻湖も等しくその中に含まれていた。

それが平成27年3月27日に同国立公園から切り離されて、妙高戸隠連山国立公園が成立した。
公園の名称に妙高と戸隠、二つの名が躍り出て冠された。

ではあの美しい野尻湖は?と思わず考える。
そして黒姫山も。

以下は環境省のホームページの冒頭にある案内文である。
「妙高戸隠連山国立公園は、平成27年3月27日に、32番目の国立公園として指定されました。
新潟県と長野県の県境に位置し、妙高山、飯縄山などの火山と、戸隠山、雨飾山などの非火山が連なり、
多様な山々が密集した公園です。堰止湖である野尻湖は、ナウマン象の化石の発掘でも有名です」

野尻湖が飯縄山や雨飾山とともに書かれてほっとしたが、黒姫山や焼山はここでは「など」に括られている。
野尻湖はナウマン象の化石発掘もあろうが、なにより妙高山と黒姫山に抱かれた美しく大きな空間スケールが命だ。
世界に冠たる絶景として、野尻湖には連山と協調してさらに頑張ってほしい。

佐々木忠さんの演奏会が盛会のうちに終了しました。

2015年4月19日(日曜日)

今夕樹下美術館で催された佐々木忠さんのギター演奏会は、会場いっぱいのお客様で盛会でした。
当館はコンクリートの一体駆体のため弦楽器の音は大変ほど良く響きます。

昨日お書きしました曲の印象は本日はさらに具体的に感じられました。
演奏は誠実な先生らしく端正で品格あふれたものでしたが、刺激的でもありました。

終わってみますと自分の中で眠っていた様々な感受性が目を醒まし、
何故か賢くなったような不思議な気持ちにさせられたのです。

演奏会場本日の会場。

昨日ふれませんでしたが、「浜辺の歌」は涙なしに聴けませんでした。
そしてアンコールの「キューバの子守歌」は素朴で意外でとても良かったです。

先生、本当に有り難うございました。
雨降りの中ご来場の皆様に心から感謝申し上げます。

素晴らしかった佐々木忠さんのギター演奏会 樹下美術館と近隣の環境。

2015年4月18日(土曜日)

本日午後2時から満席の上越文化会館中ホールで行われた佐々木忠さんのギター独奏会は素晴らしかった。
中世イタリアのリュート曲から始まりバッハの無伴奏組曲、そして現代音楽、最後は浜辺の歌など日本の海の歌が奏でられた。

マイクも無しに10本の指が直接弦に触れて演奏されるギター。
極めて繊細かつ多彩な技術をもって時代と国々の背景を見事に伝えてくださった。

定形の拍子と音階を越えて奏でられた佐々木氏へのW・バーチ(1987~)による献呈曲「遭遇」では、
モダンでアジアンな異次元世界に迷い込む楽しさに包まれた。
明日樹下美術館でも氏の演奏会がある。
満席の予約になり、主催者として楽しみ以上に緊張が増してくるのを覚える。

さて周囲はソメイヨシノを終えてヤマザクラが新緑と溶け合う季節になりました。
ソメイヨシノが景観、時に観光の対象であるのに対してヤマザクラは環境そのものです。

最近あれこれブログのヘッダーを変えてみましたが、どうもしっくりしません。
本日ヘッダーを近くの大潟スマートインターチェンジ付近のヤマザクラの道にしました所、
ようやく落ち着きました。
ヤマザクラが終わりましたらまた変えようと思いますが、春というのは忙しい季節ですね。

最後ですが本日午後、昼食に寄った樹下美術館の庭にオスのキジが現れました。
もともとキジが住んでいた場所でしたので、こうして見えると安堵します。

キジ当館カフェからしばしば鳥たちが見られます。
以前母キジが数羽の子連れで庭を横断しました。

チューリップ随所で風に揺れていたチューリップ。

本日のご来館の皆様、有り難うございました。

 

JCVの取材「樹下美術館のカフェはピクニック」 穏やかな夕暮れ ギター教授佐々木忠さんのご来館。

2015年4月17日(金曜日)

本日昼休みにJCV(上越ケーブルヴィジョン)の取材がありました。
樹下美術館のような小規模な個人美術館にとって、
地域の新聞や本日のような取材など民間広報は本当に有り難いのです。

レポートレポートやインタビューをされた女性の質問や感想は分かりやすくとても適切だと思った。
カフェでは席が半地下的に低いことを「目線が低くてまるでピクニックにきたみたい」と仰った。
思いもしなかった素晴らしいコメントでした。

150417四ツ屋浜穏やかに暮れた四ツ屋浜。

明日は上越文化会館で、明後日は当館で演奏されるギタリスト佐々木忠さんが今夕お見えになりました。
穏やかな紳士で展示作品を熱心にご覧になり、明後日予定の演奏会場を評価してくださいました。

私たちは上越文化会館の演奏も楽しみに聴きに行きたいと思っています。

夕陽を浴びて酔い夢み満足するしだれ桜 テネシアン魂。

2015年4月16日(木曜日)

久し振りに丸一日の晴れでした。

本日大勢さんに混じって外国人のご家族が見えて英語のメモがノートに残されていました。
楽しまれた様子を喜んで拝見しました。

また知人が、テネシー州の邦人会社で管理職が長かったご夫婦をお連れしました。
現地で義理堅いテネシー人(テネシアン)に気に入られ、
「どうだ一緒にヤンキー(北部人)と戦わないか」と
本気のような冗談を言われた、と笑って仰いました。


ボニー・レイットとノラ・ジョーンズの「テネシーワルツ」
絢爛たるグラミー賞歴に輝く二人のカントリーソングはブルースの彩りで何も言うことがありません。
大御所のボニーは ノー・ニュークス、アムネスティ・インターナショナルなどの活動も熱心だ。

150416ゆうぐれのしだれ桜テネシーのお話の方達は帰りに新堀川の桜を見に行かれました。

写真は夕刻間近に撮りました。
明日散るかもしれないシダレザクラは、何かもう夢の真っ最中という風でした。
夕陽に照らされ、花であることに酔い、ひたすら満足しているように見えました。

花というのは凄いですね。

良い日だったのですが本日ウグイスの声はしませんでした。

声の良いウグイス。 

2015年4月15日(水曜日)

3,4日前からウグイスが庭で鳴きだした。
例年、最初の頃はぎこちなく鳴き、段々と上手くなる。
しかし今年のは、最初から良く通る声で艶やかに鳴いている。

どこかで練習をしてきたのだろうか。

鶯1本日まだ陽が射していた頃、バラの茂みで。
警戒心が強くじっとしていない。

寒い一日で午後は雨も降ったが明日は良いお天気らしい。
明日、ウグイスはどんな声を聞かせてくれるだろう。
巣箱を掛けたのにコムクドリは未だ来ない。

「○○をどうするか」から「○○をこうしたい」へ。

2015年4月14日(火曜日)

一昨日、当県の県議会議員選挙が終わりました。
多くの候補者さんたちはしばしば以下の様に言われました。
「○○をどう作っていくか」
「○○をどう生かしていくか」
「○○とどう向き合うか」
などなど、これらは課題を主におっしゃっているものと思われます。

しかし大抵市民は課題について分かっていますので本当は、
「○○をこう作りたい」
「○○はこう生かしたい」
「○○とはこう向き合いたい」
と具体的方法やビジョンを明確に述べて頂きたいのです。

課題を語るだけでは時間と税とチャンスの無駄使いを避けられません。
また、チェック、代弁、相談機能だけが議員さんのお仕事でしょうか。
アイディアを磨き提案し、議論や地域をリードされることも願ってやみません。
このようなことは上越市議会にも言えるかもしれないと思っています。

デッキ8年経って、小さかったデッキの桜も大きくなりました。

本日は火曜で休館日。昼休みに庭仕事をしていましたら、来館者さんがお二人見えました。
やはり冬期以外休館なしにする決定は良かったと思いました(5月1日からです)。

その昔、春陽の林でセレソ・ローサ。

2015年4月13日(月曜日)

連日の低温続きで桜は開花したままです。
寒くて花びらたちは枝にしがみついているように見えます。
このような年は何度か経験したように思われます。

それなのに、私たちはついつい「今年は変わっている」「こんな年はない」と言います。
何回も寒波が来た三月、そして今冷たい雨に降られる桜を見ては無理もありません。
対して、今年は順調で良い年だ、などとは滅多に言わないのではないでしょうか。
自然も四季もそれなりの都合があるのでしょうから、「変わっている」でけでは少々気の毒にもなります。

さて優れない本日の午後、カフェの窓辺に座られた女性に挨拶をしました。
私のブログをご覧になっているそうで、以前の小山作之助のシリーズが良かった、
最近では蒸気機関車の記事が面白かったと褒めて頂きました。

個人美術館は館長が見られている面があり、自分は一種の展示物かもしれないと想像されるのです。
それで恥ずかしいのですが、自らのあれこれを書かせて頂いている次第です。

さて以下は懐かしいペレス・プラード楽団のマンボ「セレソ・ローサ」(チェリー・ピンク)です。
相変わらずポピュラー主体で申し分けありませんが、晴れ晴れとしたトランペットは満開の桜にピッタリです。

その昔、昭和40年ころまで大潟区には広大な松林が広がり、四季折々遊びに行きました。
ある春私の中学時代、そこで近所の高校生がトランペットでセレソ・ローサを吹きました。
林間に山桜が咲く希望の四月にふさわしく、高らかに響いたのを思い出します。

本日賑やかにして頂いた樹下美術館 北陸道大潟SIC-柿崎ICの春錦(はるにしき)。

2015年4月12日(日曜日)

20名以上で賑わい、30名以上で大入りの樹下美術館ですが、本日40人名様を越える入館がありました。
およそ4分の3の方達が展示をご覧になったそうです。

展示もカフェも小規模ですが、皆様のお陰と深く感謝いたしてます。

柿崎区の高速道路脇の桜大潟SIC-柿崎ICの間、高速道路に沿った桜。
ゴルフ帰りの夕刻でしたが、花の色と濃淡に変化があり、春錦と呼びたいほどの美しさでした。

ゴルフは100の成績で3位賞をいただきました。
もう少し頑張ります。

150411休館なしの告知バナー

5月から休館日無しの毎日開館・営業を致すことになりました ほか二つの宣伝です。

2015年4月11日(土曜日)

お陰様で樹下美術館は今年満8年を迎えています。
皆様のご好意で少しずつながらお客様が増えるようになりました。

ところで2007年の開館以来、毎週火曜日を休館日とさせて頂いていました。
それを来る5月から休館日無しの毎日開館で営業を致すことになりました。

しばしばく火曜日に来館される方をお見かけすること。
さらに冬期にお掛けしている二ヶ月半余の休館のご迷惑を緩和したいとも考えました。

150411休館なしの告知バナー当分、火曜日は静かであろうと思われますが、どうかご利用ください。

 

リサイタルバナーお陰様で佐々木忠先生のギター演奏会は沢山のお申し込みをいただきました。
4月19日の夕べが心待ちされます。

皆様お忙しいことと存じますが、以下5月16日のレコードコンサートにも
お暇を見てどうぞご来場ください。蓄音機コンサートバナー昨年大好評をいただきました会です、お楽しみに。
ご予約は樹下美術館窓口で、あるいはお電話025-530-4155でお申し込みください。

昭和時代を撮るドラマで喫煙場面は難しいことの一つかもしれない。

2015年4月10日(金曜日)

DVD化された松本清張原作のテレビドラマ「砂の器」(2011年放映)を見た。
以前にテレビで見た映画とかなり台本が違っているように思われた。
このたびも達者な役者さんたちによる興味深い作品だった。

昭和30年代中頃を時代背景として作られた映像は、
服装や交通手段、あるいは通信手段など時代の独特さに相当忠実だった。

ところでストーリーとは全く関係のない事で以下が気になった。
喫煙シーンだ。

近年着実に喫煙者は減っている。
昭和40年以後の統計では男性のピーク時(昭和41年)の喫煙平均は83,7%だったという。
昭和時代の映画の登場人物たちは多くのシーンで盛んにタバコを吸った。

しかし2014年の男性は30,3%(JT調べ)にまで減少した。
その中にあって昭和時代に忠実たらんとするドラマや映画に於いて、喫煙場面はやはり避けられないのだろう。
今夜、ドラマの何カ所かの場面で登場人物たちが喫煙した。

だがタバコを吸わない俳優にとって、役であっても喫煙は抵抗があったにちがいない。

喫煙シーン本日色々な役者さんが役柄上タバコを吸った。
渋くてとても良い演技をされたこの役者さんは非喫煙者のように感じた。
つらかったのではないだろうか。

減ったとは言え、欧米先進国に較べれば日本の喫煙率はまだ高い。
オリンピック開催までもっと減らそうという国家的目標が掲げられている。

このようなトレンドの中で昭和のリアリティに迫ろうとするドラマや映画ではどうすればいいのだろう。
煙は出るが無害な代替え品(可能か否かわかりません)が必要なのか。
あるいはいっそ全く吸わなくとも、ドラマは無理なく成立するようにも考えられるが、どうだろう。

余談ですが、烏丸せつこさんが元気に登場して何故かほっとさせられました。

高田の県立大学と県立病院の桜 樹下美術館近隣の新堀川公園の桜 陶齋の母は素晴らしい人だったという。

2015年4月9日(木曜日)

ようやく晴れた日、気温はさほど上がらず引き締まった感じの好天でした。
高田の病院に見舞いの用があり、帰りに付近を散策しました。
澄んだ大気のもとで、若々しい桜が咲きほこる爽やかな景観を堪能しました。

県立看護大学新潟県立看護大学は桜と残雪に浮かんでいる。

県立中央病院新潟県立中央病院の外観はピンクでなく桜色なのが良く分かりました。

 そして以下は今日の新堀川公園です。桜の数はそう多くないのですが、命盛んで明るい光景でした。

新堀川公園本日、新堀川公園の右岸から。

新堀川堤の桜同じく左岸の桜。銀色の木肌が艶やかに陽に映えていました。

本日見附市から来られたご夫婦は熱心に展示をご覧になりお褒め頂きました。
昨年に続き新堀川の桜を見てから当館へ寄られたということでした。

来られたご主人のお父様は齋藤三郎さん(陶齋)のお母様をよく御存知だったそうです。、
お母様は陶齋の少年時代に洪水で亡くなられますが、大変に素晴らしい人だったと、父から聞いていたと仰いました。

齋藤(陶齋)さんの美しい花の器や、兄・泰全師の出家は母の不慮の死が関係しているのでは、とますます思いました。

本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。

4年に一度の選挙はフナ釣りと桜の季節。

2015年4月8日(水曜日)

自分の小学生は低学年のころからよく大潟区の池に行って釣りをした。
JRの潟町駅のすぐ東にある小さな御手洗池か、遠くて大きな朝日池へ行った。

長い竹の一本竿を覚えたばかりの自転車にくくりつけ、
下水脇などでミミズを掘って空き缶に入れて出かけた。
近所の友達と一緒だったり、一人でもよく行った。

時経て昭和50年代、喘息で通ってこられた小学生の患者さんからヘラブラ釣りが面白いです、
と聞いて何年か再び朝日池に通ったことがある。

ちょうど今頃からフナやコイの浅場への乗っ込み(産卵)が始まり、よく釣れる。
雑木林のヘリで釣っていると、遠くの田んぼを走る選挙カーの音声が池面を伝わって
次々と聞こえてきたことがあった。

統一地方選挙は4年に一度4月に行われる。
本日、ある候補者の一行十数人の方が、樹下美術館に寄ってお茶を飲まれたと聞いた。

寒い日だったのでほっと一息つかれたことだろう。
候補者の皆さん体に気を付けてどうか最後まで頑張って下さい。

沈丁花樹下美術館の白い沈丁花が寒さの中で良く香っている。

釣りを勧めてくれた小学生の患者さんはすっかり丈夫になり、後年スポーツインストラクターとして一家をなした。
立派なお孫さんもいるらしい。
(現在大手スポーツ用具販売会社で東日本本部のCEOをされているようです)

明日はお天気が回復する模様だ。

イースターエッグ。

2015年4月7日(火曜日)

昨日クリスチャンの方からイースター祭の卵(イースターエッグ)を頂いた。
大変愛らしくきれいに作られている。

イースター祭は春分の日の最初の満月の次に来る日曜日ということ。
昨日5日がそれに当たっていた。

死後三日のキリスト復活は教義の根幹で、この日は年間で最も大切な日だという。
卵は復活の象徴であり、ペイントされ飾ったり贈ったりして祝われる。

イースター祭の卵愛らしい雰囲気を漂わす卵。

ところで、卵は多産と言われる兎が隠してしまうと伝えられる。
この日、子どもたちは兎が隠したと言って互いに卵を隠し合いそれを探す遊び(エッグハント)に興じるという。
ほかにスプーンで転がす遊び(エッグロール)もあり、何とも素朴だ。
卵は固ゆでしてあり食べられる。

あやかって小生も一つ。
次のクリスマスローズの写真には2個の卵が隠されています。

縮小

すぐにお分かりだったと思いますが、下の写真の丸がそうです。
簡単でしたね。

拡大大きくしてご覧下さい。

このところ雨が続き寒さが戻っています。明日も寒そうですが次第に晴れるようです。

〝貴重な卵を有り難うございました〟

雨の中、手品のように庭は華やかになりました。

2015年4月6日(月曜日)

雨が続いていますが、あっという間に庭は芽吹き、蕾が膨みました。
つい2週間前の樹木は枯れ木、枯れ枝同然でした。
あまりの変化に手品でも見ているようです。

本日、今どんな花が見られますか、とお電話があったそうです。
ミツバツツジとチューリップが咲き始め、クリスマスローズは盛りです。
さらに、デッキのそばの若い桜も見頃を迎えています。

以下この数日に見られている草木の様子です。

シモツケシモツケミツバツツジミツバツツジチューリップチューリップ018イタヤカエデミツバツツジbミツバツツジ 143モミジチョウジザクラチョウジザクラカシワバアジサイカシワバアジサイナツツバキナツツバキツクバネウツギツクバネウツギ

016雨降りですがはなやかさを感じます。

おすすめの新堀川公園の桜 銀肌の幹、伸びやかな桜。

2015年4月5日(日曜日)

昨日のこと、来館されたご夫婦を新堀川の桜堤へご案内しました。
公園として整備されている両岸の桜に驚かれ、ぜひ友人達をつれて来たいと仰いました。

先日来ブログのヘッダーにその風景写真を用いています。
川によって出来る広い桜の空間は、自然と心を解放させてくれることでしょう。

本日の桜本日雨中の桜は三分咲きでした。
巨木に近いものでも幹や枝が切られていませんのでゆったりした景観です。

銀の肌昨日の夕陽を浴びる美しい銀色の幹、このように幹が集まっているものもよく見ます。
一帯の草地が風景を和やかに見せています。

白木蓮所どころに見事なハクモクレンやコブシが混ざります(昨夕)。
過度な混植を避けたセンスの良い造園に感心させられます。

 うれあい橋途中で両岸をつなぐ「ふれあいばし」(昨夕)。
良き縁がありますように。

流れと木彫右岸(東側)には小さな流れがあり、ひょうきんなカッパのオブジュが所々でお迎え。

かすかな海風もあり、心身の開放とリフレッシュに大変良い所ではないでしょうか。
樹下美術館から右へゆっくり徒歩で10分、車ですぐです。
右岸に駐車場があります、桜と大気を楽しみたい方に大変お勧めです。

一日中雨降りでしたが、樹下美術館は今年一番多くの来館者さんに恵まれました。
皆様に感謝致します。

巣箱 クリスマスローズ モズの水浴び 〝smart〟 LNGタンカー 皆既月食。

2015年4月4日(土曜日)

本日は暖かく穏やかで、天気予報よりも良かったと感じられた。

午後、診療所の庭で傾いて落ちかけていた巣箱をかけ直した。
このところ毎年山桜が咲く頃にやって来るコムクドリ
今年も来てくれればと待っている。
例年営巣していた合歓の木のウロが朽ちて、昨年はこの巣箱に入りヒナを孵した。

 

1てっぺんではベルトを3本つないでハーネスとして腰に付け、巣を直した。

本日は色々なものを見た日だった。
以下はその写真です。

2連日のクリスマスローズ。新人に負けぬとばかり古株たちは花盛り。

3珍しくモズが水盤に来て水浴び。

4可愛いですね、間近で見たのは初めてです。オーナーさんも可愛い方でした。

5INPEXの直江津埠頭に停泊しているLNGタンカー。
大型小型に限らず夕刻の船舶は詩情が漂う。

6昨年よりも上手く撮れたような気がした。
胸は高鳴り撮影は結構難しい。

天然も人も物も魅力的な一日でした。本日のお客様、まことに有り難うございました。

暖かな春の雨は良い雨。

2015年4月3日(金曜日)

昨夜から風が吹き始め、本日は雨も伴った。

風は予報通り南風で木がしなるほど強くは吹かなかった。
そのため心配した植えたばかりのモミジやクリスマスローズは無事だった。

無事どころか、ほこりも立たず暖かな雨hは耕された田畑の発酵を促し、
草木の芽吹きや開花を促す恵みの雨だったと思う。

150403の雨雲明暗の段になった穏やかな雨雲。
すぐれない日の雲にも見所がある。

蓄音機コンサートバナー昨日に続いての告知です。沢山のご参加をお待ち致してます。

お申し込みは予めのご来館時の窓口か お電話 025-530-4155 でどうぞ、
会費は当日受付で頂戴致します。

本日雨風の日にご来館頂いた皆様有り難うございました。

苔をくわえたシジュウカラ 潟川の夕暮れ。

2015年4月2日(木曜日)

暖かく穏やかな日だった。
良いお天気で初めての方も多く、皆様はゆっくり過ごされた。

苔を加えるシジュウカラ苔をくわえたシジュウカラ。
樹下美術館の西の庭で盛んに鳴き、近づいても一定の場所から離れない。
近くに巣を作るのだろうか、居心地良い巣が想像される。

潟川の夕暮れ樹下美術館近くの潟川の夕暮れ。
東西に流れてている小川は夕暮れの空がきれいに写る。
冬ここでカワセミが飛ぶのを見た。その後は見えず私には幻の鳥。

良く当たる天気予報は明日の荒天を報じている。
予報の南風は若い草木に悪い。植えたばかりのクリスマスローズやモミジが心配される。

蓄音機コンサートバナー手回し蓄音機による懐かしいレコードを聞く会です。
過ぎた昔の真剣な演奏が驚くほどの音でホールに響きます。
クラシックの名曲から内外のポップス、歌謡曲や童謡など15曲ほどを予定しています。

昨年同様、多くの皆様のお越しをお待ちしています。
お申し込みは予めのご来館時の窓口か お電話 025-530-4155 でどうぞ、
会費は当日受付で頂戴致します。

雨の一日 四月の歌 懐かしい慕情のテーマ曲。

2015年4月1日(水曜日)

一日中雨降りの日、ご来場の皆様有り難うございました。
雨の外出はおっくうですが、美術館は雨降りならではのゆったりした時間が流れます。

雨の庭本日午後カフェからスマホで取った雨の庭です。

ついに4月になりました。
さすが盛んに草花が咲き始め、川の柳も緑に色づいてきたようです。
春が一斉に魔法を掛けているのでしょうか、あるいは冬の魔法が解かれているようでもあります。

四月の歌に以前「ポルトガルの四月」をYoutubeから掲載させていただきました。
ほかに「アイ リメンバー エイプリル」や「エイプリル シャワーズ」「エイプリル ラブ」などがあると思います。

本日は懐かしい映画「慕情」のテーマ曲です。


学生時代に大流行しました映画「慕情」のテーマ(コーラスはフォー・エイセスです)。

〝愛には数え切れない素晴らしい事がある〟と歌われ、〝早春にだけ咲く四月のバラ〟という言葉が出てきます。
4月にバラは咲かないと思いますが、そんなことも起る、というのでしょう。
樹下美術館で咲いているクリスマスローズは、名前だけしっかりバラと付いていますが。

学生時代、この曲の出だし部分が好きで、人を捕まえては〝 Love Is A Many Splendored Thing〟と歌わせ、
それに3度上のハーモニーを付けて遊びました。
母親としたこともありました(大汗)。

それにしても映画の主題歌(曲)が流行るということはもう無くなったのでしょうか。
「セーラー服と機関銃」の「夢の途中」などは本当に良かったと思います。

春の夜のクリスマスローズ 「〝年はひとが取るものだ〟と思っていました」は名言。

2015年3月31日(火曜日)

樹下美術館の庭で昨年秋にヒメシャラの若い株立ちが枯れた。
本日昼、それを掘り出して買ってきた2メートル少々のモミジを植えた。
姿が良くても難しい木があり、浜風と砂地の樹下美術館は活着するまで悩ましい。

夕刻の仕事後、まだ空が明るいので最後になったクリスマスローズを5株植えた。
ずっと沈丁花が香っていて、どういうわけか終わる頃一匹の雨蛙が鳴いた。

全てが終わえると随分東へ寄った月がきれいに昇っていた。
以下連日のクリスマスローズで申し分けありません。

1

2

3庭の灯でクリスマスローズを撮した。
フラッシュ無しの手持でブレましたが、夜の花は昔の洋画の女優さんのように魅力的だった。

さて比較的お元気な患者さん達の畑仕事が一斉に始った。
本日足腰の痛みを訴えた昭和11年生まれの女の方がこう仰った。
「〝年はひとが取るもんだ〟と思っていました」

立派な名言である。
私はそれでいいと思う、どこかでず-とそう思うのはやむを得ない。
たとえ年取ったな、と感じても「年はひとが取るもの」で生きて行くような気がする。

ただし「病気はひとがなるものだ」と考えるのはいけませんね。

お客様も花。

2015年3月30日(月曜日)

ほどよい気温、わずかに春がすみ漂う昼でした。

お茶を飲みに寄ったカフェの丸テーブルに、賑やかな奥様たちのグループ。
水盤が見える窓辺には若いお嬢さんが二人。

お二人ともカメラをお持ちでした。
「花は撮られましたか」と訊きますとと、「庭に行ってもいいんですか」と仰いました。
「もちろんいいですよ、沢山写真を撮ってください」とお伝えしました。

015古株のクリスマスローズがさらにあちこちで開いてきました。

018喜びを隠さない椿。

庭で花が咲きほころび、館内でくつろぐ皆様も貴重な花のように感じました。

新幹線のキーホルダー帰り際、新幹線で旅行された方から土産を頂きました。
早速使います、早く新幹線に乗ってみたい。

初ゴルフ 順調なギター演奏会のお申し込み。

2015年3月29日(日曜日)

本日非常に賑わった米山水源CC$Hでゴルフをした。
スコアはまずまずとして、和気あいあいで楽しかった。

つくしコースはずれの土手に沢山のつくし。

それにしても最近の天気予報は良く当たる。
本日の午後から一時降った雨、それが夕方には上がったのは予報通りだった。
私のゴルフのアプローチももう少しぴたっと当たってほしいところ。

明日は全国的に好天のようですね。

リサイタルバナー4月19日は佐々木忠教授のギター演奏会。
3月15日開館後、お申し込みが増えて現在40名様を越えてきました。

まだお席がありますのでどうぞお気軽にお申し込みください。
17時30分開場、18時ちょうど開演です。

どどっと来た春 クリスマスローズの庭 大らかな新堀川の桜

2015年3月28日(土曜日)

連日の好天、春はどどっとやって来ました。

本日の樹下美術館は男性が沢山こられたそうです。
樹下美術館では男性がみな好男子に見えてくるといいますから、不思議なのです。

クリスマスローズ2
クリスマスローズ1いずれもクリスマスローズの古株です。

今年はセールで安くなったクリスマスローズを沢山買いました。
勉強して大株になるように育て、樹下美術館の名物にしたいと思っています。

本日、ボタニカルアートを描かれるY子さんがスケッチにこられました。
いつもほくほく線に乗って来られますが、今日はカフェで食事もされ5時間も滞在されたそうです。

Yさんのスケッチスケッチの一枚を頂戴しました。
滑らかな線、安定した構図、詳細な観察、とても感心しています。
記念に館内のお声ノートに貼らせて頂きました。

さて本日ブログのヘッダーを春向きに替えました。
近くの新堀川公園の桜です。
一帯は雪が少ないため樹形が大らかでとても気持ちが良い花所です。

樹下美術館からゆっくり歩いて10分、一週間後ほどで開花でしょうか。
開花の具合を樹下美術館にお尋ね頂き、どうか一度ご覧下さい。

鉄ちゃんではないけれどその4 修学旅行で蒸気機関車に乗ってはいけなかった。

2015年3月27日(金曜日)

一昨日は小生の中学時代、1956年(昭和31年)の修学旅行中に級友と起こした騒動を書かせて頂いた
当日私たちの列車を牽引していた蒸気機関車に乗った事をある種冒険のように書いた。

しかし二日経ってどこか違うのではないかと、気になってきてあらためて思いを巡らせた。
特に陸上競技に優れた明るいA君の「叱られてトラウマになった」という一言が重さを増した。

考えてみれば次のような疑問が浮かぶ。
疑問1.機関車の運転士は果たしてすんなり同乗させてくれたのだろうか。
疑問2・何故私はA君のことをすっかり忘れていたのだろう。
疑問3・何故A君だけ強いトラウマを生じたのだろう。

疑問1だが、二人で先頭の機関車を見に行ったのは良いとして、問題は乗車の経緯だ。
「乗せてほしい」と訊いた時点で、機関士は少なくとも「先生に聞いてきなさい」と言うのが普通ではないのか。
どうしても乗りたい私たちは(少なくとも私は)は、果たして先生にちゃんと相談したのだろうか。
これに関して、機関車から仲間たちが居る客車に向かって懸命に走るシーンがぼんやり浮かぶ。

走りながら「先生に言わなければいけない、でもどうしても乗りたい」という葛藤があってもおかしくない。

担任、特にB先生は機関車に乗ることなど絶対に許さないはずだ。
皆の所へ行き生徒だけにt告げ、機関車士には「先生に言ってきた」と(私が)嘘をついたのではないのか。
となれば事の善悪は明らかであり、冒険は罪に変わり気まずい空気が生まれた可能性がある。

生徒は担任に話し、厳しいB先生は特に怒りに燃えただろう。
列車は走り出し、私たちが乗った機関車には誰も近づけない。
楽しかるべき修学旅行列車は、
逸脱した二人の少年とやや困った機関士と、先生の怒りと生徒たちの緊張を乗せて、長い垰を走ったと思う。

ようやく停車して席に戻ると説教が待っていた。
私たちは愉快犯でなく、確信犯として扱われたに違いない。
A君がくしくもトラウマになったと言ったのは、人格まで攻撃されたからだろう。

行ったり来たりの反すうの結果、次の答は以下のようになった。
疑問2、何故私はA君のことをすっかり忘れていたのだろう。
→彼に掛けた迷惑や、彼の受けたひどい叱責ショックを早く忘れたい、と願い続けた。

疑問3.何故A君だけ強いトラウマを生じたのだろう。
→二人の鋭敏さの違いもあろうが、どうしても私には激しく叱責された記憶がよみがえらない。
学年は2クラスで担任が二人、A君が言ったように彼は厳しいB先生に、もしかしたら私は幾分温情のC先生の説教を受けた可能性がある。

となるとこの件でA君と私では、受けて残ったものが少し違っていたのかもしれない。
私にトラウマらしきものがあったとしたら、
「彼を共犯者に引きずり込み傷つかせた事への恨悔」しかない。

半年後私たちは同じ高校へ進学し、クラスは別々になった。
それから2年経って私は結核に悩まされ、忘れたい事件は病に取って代わられた。
一年の留年と浪人の後、病が癒えて大学に進み、様々な時が過ぎ、願い通りに相手の名前を忘れていった。
これに対して正直なA君は健康的にトラウマと向き合い見事に克服したのではないのか。

人間は忘れたいことを忘れる、と聞いたことがある。
いずれにしても60年前のことなので風化はやむを得ない。
しかし芯ぐらいは残っているのではないか。
今夏の同級会で会ったらとにかくA君に謝ってみたい、彼はどんなことを述べるだろう。

 オリオン座昨日は暗くなるまで庭仕事をした。春のオリオン座を優しく感じた。

鉄ちゃんというわけではないけれどその3 60年前の修学旅行の逸脱。

2015年3月25日(水曜日)

1956年(昭和31年)10月、中学二年生の私たちは関西旅行に行った。
行き高田発5:45→19:37京都着、帰り大阪発20:12→翌日9:08高田着と「修学旅行のしおり」にある。
当時の北陸本線は蒸気機関車で、片道13~14時間かかっている。

ところで、私が通った中学校は新潟大学教育学部付属高田中学校という長い名前の学校だった。

学業と品行、それに戦後らしい自由さの側面も重んじられていた。
品行で言えば、学内に「風紀委員会」が、さらに「懲罰委員会」まであった。
ある新任教師は着任の挨拶で「この学校に来て大変驚いたことがある、
懲罰委員会という恐ろしいものがあることだ」、と嘆くように語った。

そうかと思えば、「二十四の瞳」だったか映画鑑賞の時は、
映画館までの道のりを男女手をつないで歩くように言われた。

二年生秋の修学旅行は、何事も一生懸命な学校の最も重要な行事だったにちがいない。
今見る旅行のしおりには、詳しい見学先の説明と厳格な行動規律が沢山並んでいる。
「班ごとに行動せよ」は今でもどこでも変わりないことだろう。

しおり41ページもある修学旅行のしおり。

その大事な旅行の車中で、私は早々にある級友と大目玉をくらう行動をした。
それなのに時が経ち、いつしか逸脱の相手が誰だったか、思い出せなくなっていた。

ところが2007年6月樹下美術館を開館して間もなく、高名な外科医になっていたA君が訪ねてきた。

「中学校の修学旅行の途中で機関車に乗ってしまい、物凄く怒られた。誰かと一緒だったと思うが君じゃなかった?」
と言った。
忘れもしない私も誰かと私たちの列車を牽引する蒸気機関車に乗った。
しかし誰とだったのか、すっかり忘れていたのだ。
まさかA君とだったとは。

「戻って延々と怒られたよな、その時の説教は後々までトラウマになったほどだ」とA君は言った。

修学旅行の列車は敦賀かその先の駅で長時間停車した。
退屈していた私と誰かはホームに降りて先頭の機関車を見に行った。
そこで乗っみたいと、機関士に訊いたのだろう。
機関士は乗せてくれ、あまつさえ発車後も同乗させてくれたのだ。

区間は険しい山中、思ったより広い室内で機関士たちは忙しかった。
そんな所へ生徒二人が入ってきて迷惑ではなかったのか。
それでも大きなシャベルで何度か石炭をくべさせてもらった。
トンネルをくぐって大いに煙を浴び、石炭ガラが目に入った。

ようやく停車した駅で降り、ある種ほうほうの体で席へ戻った。
顔はススだらけ、石炭ガラに悩まされた目は真っ赤だったと思う。
どうしたんだ、みんなで探していたんだぞ、級友たちの声が聞こえるようだ。
無理も無い、班が異なる生徒が二人車内から消えてしまったのだから。

事故や駅への置き去りなど真剣に心配されたことだろう。
A君は特にB先生から激しく叱責されたという。
不思議なことだが、私はそれほど強い叱責の記憶がない。
鈍感だったのか、あるいは幾分優しいC先生の説教だったのか。

A君がトラウマになるほど叱られたと聞いて、非常に気の毒に思った。
もしかして全て私が言い出したのではと、自責の念まで交錯した。

不思議なのは、あれだけのことをしたのに相手のことを忘れてしまっていたことだ。

「君と一緒に機関車に乗ったような気がする」
懐かしい級友の突然の一言は、疑問を一瞬に晴らした。
60年前の共犯者がA君で良かった。しかも名医になったのは見事なトラウマ返しではないか。
「同級生が美術館をやるのを誇りに思う」と彼は言った。

今夏久し振りに開催される同級会の知らせが届いている。
今から楽しみだ。

二月堂下で東大寺二月堂下の記念写真。

ちなみに、「修学旅行のしおり」に、一升五合の米の持参、お小遣い800円などとあった。
〝出来るだけ標準語を使うように努力しよう〟
〝ニックネームは言わないこと〟などがしおりに書かれている。

硬い八つ橋と抹茶の修学旅行みやげ。

2015年3月24日(火曜日)

先日京都へ修学旅行に行った中学二年生の孫がお土産を持って来てくれた。
八ッ橋と小山園のお抹茶だった。
八ッ橋は私の好きな硬い方で、なんていい娘なんだろう。
ちゃんとした抹茶といい、今の生徒さん達のお小遣いはいくら位なのかな。

八つ橋とお抹茶八ツ橋と小山園の抹茶「春かすみ」。
抹茶は高かっただろう。

その昔私の中学二年生の秋に就学旅行に行った。
帰路の夜行列車泊も入れて4泊5日、関西の十数カ所の社寺を回った。
レポートもあり、一応真剣に見たので思い出は疲れの中でぼんやりしている。

京都の宿「高田屋旅館」に舞妓さんが来て祇園小唄を舞った。
その唄をいいなあ、と思って2番まで覚えた。

ニッキが香るパリパリした八つ橋は今でも好物。
次回は60年前の私たちの修学旅行に触れてみたいと思います。

潟町小学校分校のクラス会 同級生たちはみなきれいな字を書いていた。

2015年3月22日(日曜日)

本日二日続きの好天に小三まで一緒だった1948年入学、潟町小学校分校のクラス会があった。
地元に残った少人数が集まっているので、何とか毎年続いている。

ことしは15人が潟町駅に集合して送迎バスに乗り、日本スキー発祥の地・金谷山の「対米館」へ向かった。

1人魚のステンドグラスすっかりきれいになっていた潟町駅の待合室にあったステンドグラス。
人魚伝説の駅に合っている。

2レルヒ像対米館到着後、短時間の金谷山は早春散策。
日本にスキーを伝えたオーストリアの軍人レルヒ少佐の像。
私も含め皆初めて見たと思われる。

3集合写真毎年会っていると年取る実感が薄い。

4小田嶽夫氏の色紙部屋にあった上越市出身、1936年・第三回芥川賞受賞作家小田嶽夫の色紙。

5レルヒ少佐の絵画帳場にあったレルヒ少佐自筆の油彩。
故国の冬であろう、雪山の輝きが大変美しく、ふる里への愛情が伝わる。

途中でこの度の出欠通知ハガキが回された。
伝言の記入もあったが何より驚いたのは、みな字が上手だということだった。

上手な書字は社会で如何に懸命に頑張られたかを物語るようでじんと来た。
毎年のささやかな集まりは本当に何気なくて良い。

新幹線は〝第三潮流〟 観光客と旅人 そして樹下美術館。

2015年3月21日(土曜日)

北陸新幹線が開業して一週間、一昨日は上越妙高駅とはくたか号を見た。

列車外観と駅はかつて見た新幹線のどれよりもはるかに洗練されていた。
そのため輸出用のモデルにもなっているのでは、とまで思った。
あまりに立派で自分が恥ずかしくなったほどだった。

これで好むと好まざるを問わず当地も文化、文明の最先端と関わることになった。
乗るのも、迎えるのも相応の理解と認識が求められよう。
間違いなく信越、北陸地方に〝第三潮流〟(最後ののうねりが)が来たのだ。
(※最終潮流→第三潮流 3月22日に変更。新幹線の延伸を、戦後復興→高度経済成長期に次ぐ第三の文化経済潮流としました)
それに付いて行けるか押し流されて終わるか、北陸新幹線の第2ラウンドが始まる。

新幹線金沢行きはくたか (1)超モダンな新幹線上越妙高駅駅とはくたか号(昨日)。

通勤のほかに新たな人の出入りも考えられる。
旅行者と言えば観光客と旅人の二つのニュアンスがあろう。
観光客は大小のツアーでメジャーなスポットを回る。
旅人はおもに一人旅、あるいは二人などで旅情に任せて気ままに歩く。

観光客は目立つが旅人も無視できないカテゴリーにちがいない。

当地においても場所によって訪ね方に違いを生じるような気がする。
妙高市の山並みの風光は旅人、巨大リゾートやスキーは観光。
上越市の町並みと里は旅人、花見・蓮・謙信公・佐渡は観光と言う風に。

新幹線金沢行きはくたか (2)トンネルを抜けて水田地帯の高架線を走るほくほく線普通電車。

当然これらは一概に分けられるものではないし、ミックスもあろう。
それでも伝え方や迎え方に違いと工夫が必要ではないだろうか。

ちなみに樹下美術館は上越妙高駅から遠隔の田園に位置している。
越後トキメキ鉄道やほくほく線、あるいは在来の信越線の乗り継ぎは旅人向きだ。
いつかそれらを利用してやって来られる人を迎えることが出来れば、とても嬉しい。

北陸新幹線の上越妙高駅で「はくたか」を見た。

2015年3月19日(木曜日)

午後休診日の本日、夕刻近くに北陸新幹線の上越妙高駅を見に行った。
出来たての駅は汚れ一つ無い。
ホームは清潔なホワイト系、通路や広場、待合室や売店などはウッディにコントラストされている。

上下のはくたかを見たが、ピカピカスベスベで魅力的だった。

上りはくたか入線してきた上り(東京方面)はくたか.。
ほくほく線(北越急行)では越後湯沢方面の「はくたか」は下りと呼ばれていた。
運営会社の拠点が金沢市のため一般に考えられる上り下りが逆だった(途中で知りびっくりしました)。

車名表示あの「はくたか」が今ここに。

車両マークはくたかに付いていたシンボルマーク「JR EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」はJR東でE7系。
「JR WEST JAPAN RAILWAY COMPANY」ならJR.西でE7系
形式のE7、W7両系は所有する東西JRの違いだけで、実際の様式は同じ。

 17:09発下りはくたか下り金沢行きはくたかの最後尾から(北越急行では上り)
あまり考えつかない配色だが、ブルーとカッパー(銅色)は意外な好印象を受けた。
雪国のさわやかな青空と銅色の和(なごみ)感が確かに伝わる。

ただ期待していた出発メロディ「夏は来ぬ」は、列車の動力音に消されてしっかりと聞こえなかった。
とても残念である。

さてふんだんに使われている駅舎のガラスは手入れを怠るとすぐに汚れる。
手抜きはすぐガラスに現れるので、大変だと思うがどうか根気よく磨き続けてほしい。
もう一つ、駐車場は拡張されるのだろうか、ぎりぎりだったので週末が心配される。
ほかに工事中の場所があればいいのだが。

本日来てみてまだ異国の錯覚を受ける。
速達でなくても構わないが、出来れば早く乗ってみたいと思った。
(旧はくたかと涙ながらにお別れしたばかりなのに)

これからが本番、もう3回目の出張という知り合いに出会った。

早春の庭 上越に新幹線が走るとは未だ信じられない。

2015年3月18日(水曜日)

うっかりストーブを消したままで急に寒さに気づく。
風邪に気を付けなくては。

そんな寒暖の季節、以下のような樹下美術館の花はみなけなげです。

クリスマスローズとトサミズキ クリスマスローズヒュウガミズキ。

 

ヤブツバキ端正なヤブツバキ。

先日は庭だけご覧になった方がいらっしゃいました。
歓迎です、是非可愛いクリスマスローズやトサミズキを見てやってください。

新幹線パッケージおせんべいが入っているらしい北陸新幹線のパッケージ。

さて、まったく追いつけない我が家の北陸新幹線ブーム。
先日電気屋さんから頂いた富山のお菓子屋さんのパッケージは良く出来ていました。

実は開業の日に、発車チャイムくらい聞こうと新駅に向かってみたのですが駐車場にも入れずに帰って来ました。
本来の目的と少々違うような気もしましたが、イベントというのは凄いものですね。

明日午後の休診を利用して駅と列車を見て、ぜひとも「夏は来ぬ」のチャイムを聴いてみたいと思っています。
その前に、ちゃんとホームまで行けるか心配です。

出来れば轟音と共に通過するであろう「かがやき」の迫力とスピード感も期待しています。
新幹線が、それもピカピカの最新型が上越を走るとはいまだに信じられない感じです。

何気ない夕暮れの贈り物 佐々木忠さんのギター演奏会。

2015年3月17日(火曜日)

本日火曜日は樹下美術館の休館日。
晴天、無風、20℃にもなった暖かさ、三拍子揃った良い日の休館は勿体なかった。

すっかり日が長くなり夕陽が楽しめるようになった。

四ツ屋浜一見何もない夕暮れの四ツ屋浜。
しかし、夕もやの光があり、果てしない大気があり、ゆっくり過ぎる時間があり、
なんだかんだといいながら自分がいる。
ふとした時間でも中身は十分だ。

リサイタルバナールネッサンス、バッハ、佐々木氏への献呈曲、そして浜辺の歌まで。
ドイツの音楽大学教授として多くの演奏者を育てられた佐々木氏。
ギター本場の音色が樹下美術館のすみずみまで美しく響くことでしょう。
〝お申し込みはお電話 025-530-4155 でお待ち致しています〟

どうか良い明日でありますように。

鉄ちゃんというわけではないけれどその2 昭和34年9月8日の三等寝台券。

2015年3月16日(月曜日)

私の切手帳に二枚の寝台券が残っている。
昭和34年(1959年)9月、高校三年生の夏休みが終わったばかりという時期、父と上京した時のものだ。

上京の目的は、父の母校の大学病院へ行き、前年の春に見つかった私の肺結核を手術するか否かの判断を仰ぐためだった。
続けていた服薬と切り替えた注射薬カナマイシンの効果を問うことでもあった。

寝台券昭和34年9月8日、21時42分直江津発の三等寝台105、106番下段の特殊補充券。
父とは向かい合っていたと思う。
よく眠れずに上野に到着したのではなかったか。

非常に苦手だった父と一緒の上京。しかしそれが苦痛だった記憶が無く、道中の父は優しかったのかもしれない。

早朝上野からの国電は空いていてパラパラと居る通勤客はとても疲れているように見えた。
目黒で目蒲線に乗り換え、大岡山で降りた。
姉が居る石川町の小さな家に向かったが、朝日の道を歩きながら「9月になっても暑い」というような会話をしたように思う。

翌日だったか、信濃町の病院で断層X線撮影などの検査をした。
仕事がある父は早く帰った。

検査の結果は手術の必要は無く、現行の治療続行で良いという結論だった。
日本が世界に誇ることになる新薬カナマイシンの効果が出ていたのだ。
この時私は一才年上の従兄弟と後楽園球場で王、長島の試合を見るなどして一週間も滞在した。

決定の経緯はよく分からないが、残りの2,3学期を休学して治療に専念、来春もう一度三年生をやり直すことになった。
このことで焦るばかりだった気持ちが落ち着くのを感じた。
一才年下の弟と同学年になることなどの我慢は仕方が無かった。

ただ美しい英語教師A先生の許へさらに一年通えることだけは嬉しかった。

今年の始まりは晴天に恵まれた。

2015年3月15日(日曜日)

今日今年の開館日は良く晴れました。
およそ閑散で始まる樹下美術館ですが、本日30数名のお客様は近年の記録でした。

窓外の水盤には雀の群も飛来して遊んで行きました。

 

水盤の雀小鳥もゆっくり。

展示やお渡ししている短い作品解説も好評で、皆様には賑やかにして頂きました。

明日、樹下美術館は本年の開館です。

2015年3月14日(土曜日)

長らくお待たせ致してましたが、樹下美術館は明日から今年の開館です。
今年の倉石隆は「倉石隆の男性」、齋藤三郎(陶齋)は「陶齋の鉄絵と色絵」の展示です。

「倉石隆の男性」:氏の描く男性は老人や子ども以外はおよそもじもじしたり、沈黙したり、寂しそうだったり、ともすれば滑稽です。美しく描くより本物を描きたい、という倉石氏。このような描き方は氏の骨頂でありましょう。「自画自賛」を嫌った氏独特のダンディズムを感じますが、如何でしょうか。

「陶齋の鉄絵と色絵」:鉄を主成分とするうわぐすりや顔料を用いて製作されるのが鉄絵です。窯炊きの条件や鉄の濃度などで黒、茶、緑、黄色、赤などに発色します。一見地味ですが、器は落ち着いた風合いを見せます。一方色絵は多色を用いて絵付けをしますが、陶齋の色絵は華美に走らず上品です。氏は様々な技法を自在に駆使しました。

 

絵を架ける展示作業を終え皆様に差し上げる資料を刷り、カフェや庭はすっかり整いました。
カフェだけのご利用もOKです。

イチゲイチゲの花。

クリスマスローズクリスマスローズの「ニゲル」という種類です。初めは真っ白ですが、次第に赤っぽく色が変わります。
この種類だけの庭もいいだろうなあ、と思っています。

雪が溶けたばかりですが早くも庭のヤブコウジの端でイチゲが咲き始めました。
カフェの正面の木立の中にクリスマスローズを移植したり新たに植えたりしました。
まだ寒い庭ながら、きっと目を楽しませてくれることでしょう。

どうか本年もお楽しみに。
何卒宜しくお願い申し上げます。

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