加齢で不自由になる生活を「老化ゲーム」で。

2025年9月28日(日曜日)

時間と日によって涼しい、寒い、蒸す、暑いなど色々な空が現れて落ち着かなかった9月は終盤になってきた。ゴルフに行ったり八千浦の中学生さんたちが来館されたり,新発田市から亡き同級生の奥様一同が見えたり、元気だった方の悪化と回復や遠縁の相続放棄手続きなど、何かと忙しかったのは事実。

いっぽう加齢により日常生活の場面や動作において何かと神経を使うようになっているため、この半年ばかりは普通に過ごすのにも新たに漠然とした忙しさのようなものを感じるようになった。

つまり外出の身仕度、出先での忘れもの注意、要注意な運転カ所、忘れかけた常識の気付き、起立直後の歩行、階段の昇降、靴の脱ぎ履き、あらかじめのトイレ、服薬のチェック等々が増え続けるのである。
これらは面倒な気遣いだが、意識し動作するたびに何故か近時面白い、あるいは楽しいと感じるようになった。
随所に存在する生活リスクの回避や克服がその昔子供から借りて行ったゲームのようではないかとふと感じるたのだ。

ゲームなら危機を処理するたびに強くなっていく。しかし加齢によるリスクはいくら回避しても、最早強くはなれない。ただ「無事」というごく小さな喜びが一瞬かすめるだけであるが、それで十分ではないかと思うのである。

今後ますます不自由は増え、ゲームには限界がありそうだ。だが待てよ、あるいはこの先にまた別次元のゲームが待っているかもしれない。今は深く考えず淡く期待はしてみよう。但し深刻な認知症だけは避けなければ「老化ゲーム」は成立しないように思われるので、それだけは気を付けたい。

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