食・飲・茶・器

今夜のNHK再放送は山中さんご夫妻だった。

2025年2月18日(火曜日)

今夜NHK「趣味どきっ、人と暮らしとだいどころ」の再放送で山中康廣さん(建築家)山中阿美子さん(カトラリーデザイナー)ご夫妻の台所をめぐるひと時が構成良く放映された。
阿美子さんの父上が樹下美術の常設展示作家・倉石隆氏ということでご縁があったご夫婦。ダイニングと台所だけの撮影による約30分の放映は食事とお仕事、そして二人の物語が滲む良い番組だった。

学生時代から協働されていた
お二人が設計したキッチン台。
人物は若き日のお二人であろう。

昔の新婚祝いのホーロー鍋を
見る。黄色は幸せの色。

阿美子さんが作るパンに
康廣さんが作ったレバーぺースト。
朝食のルーティン。

自分たちのキッチンと料理を
“居酒屋あみ”と仰った。

温かな時間。

二人で乾杯。

番組最後に“台所とは”と尋ねられ、
“創造の楽しい場所”とお答えになった。

パンを焼き、レバーペースト、冬野菜のラタトゥイユ、アジの刺身、モツ煮込みを番組中にそれぞれが分担して実に手際よく作られた。刺身担当のご主人、「ツマも美味しく作らないと」の言葉は素晴らしかった。
何十年も同じ道具を使い続ける生活。何とも言えないお二人の味わい。姿・顔まで似てくるのだろうか。

山中阿美子さんは私より二つ上の髙田高校の先輩。ご無沙汰していたけれどもお元気な様子で頼もしかった。夫婦でこんな風に成長できる自信はないが“何気なくも達人の域“を垣間見させてもらえて良い時間だった。

このたびの寒波初日の潟町。

寒波は峠を過ぎ小林古径記念美術館へ 昼抜きの食事例。

2025年2月9日(日曜日)

2月2日立春ころから始まった今冬一番の寒波が本日ようやく峠を越えた日曜日、小林古径記念美術館の「花にまつわる物語展」に行った。

除雪された雪は道路の両側に1,5メートル前後積み上げられてはいたが路面はきれいに現れ交通はスムースだった。

雪に降り込められていると美しさと新鮮さの美術館は別天地の如く感じられる。以下に印象的な作品を並べてみました。

小林古径による志賀直哉の小説題字と朝顔の扉絵。朝顔の色がなまめかしく、雪の時期に観るとハッとする。

古径さんが絵付けした湯呑。古径さんの器で熱いお茶を飲んでみたい。

かつてまちかど交流館で見た峯田敏郎の「白い百合のある庭」が入り口で迎えてくれた。穏やかな朱色の配分が清々しく、心込められた百合が愛らしい。

1896~1970年の上越市出身画家、斎藤俊雄の屏風。前年東京でみた田中一村を思わせる南国の画風。思いっきり良くかつ鮮やかで、とても雪国出身者の作品とは思われなかった。

エミール・ガレのガラス作品セット。うす褐色が施された透明硝子の花模様が軽やか。

同じくガレ作品。アール・ヌーボー趣味満点の上品さ。

北大路魯山人作の金彩に四季の花が描かれた10枚の皿セット。カットしたお肉に野菜の煮込みなどを分けて取ったら幸福であろう。

お馴染み齋藤三郎作品。手前の壺は青空を背景に辰砂のモクレンが美しく、もうしばらくすれば当地もこのような春が来よう。

齋藤三郎のお弟子さん、志賀重雄作品。黒釉に蝋抜きを思わせる筆で梅が描かれている。夜の梅は夜桜とは異なる粋な風情がある。

お馴染みの東洋越陳人は堂々の屏風。こうして美術館に展示されているのを知った天国の作者は喜んでいるに違い無い。

以下は本日の夕食と朝食です。

夕食は肉入りの熱いお蕎麦。

野菜炒めが付き。

ポテトサラダも。
ちょうど6時頃から
一時間少々かけゆっくり食べます。

昼食抜きの生活になって3年半が経った。因みに以下は本日の朝食です。

あずきが入った玄米ご飯、脱脂ヨーグルトにブルーベリーソースをかけ、家で採れた金柑の砂糖煮が二つ(金柑は皮だけ食べます)。かって野菜もありましたが、何か面倒なので最近止めました。もともと飲めない人間ですが、10年ほど一切アルコールを口にしていません。

朝・夕の食事前は気持ち良くお腹が空きますので身体に良いのではないかと感じています。

ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。

2025年1月19日(日曜日)

本日日曜日も穏やかに晴れた。午後、庭に使う用土を買いにホームセンターへ出かけた。昨年秋から庭全体に肥料入り用土を蒔いているがまだまだ足りない。

本日芝生の目土3袋、花の培養土8袋を求めた。それぞれ小さめの14L袋11個を台車に積んだ。台車は一杯いっぱいになった。支払い後車まで運ぶ途中、溝のようなヘコみでガタンと音がして台車が前にひっくり返った。台車を起こしたところで遠くからスタッフが走って来て、車に載せるまで手伝ってくれた。

さて連日の鳥(ハクガン)です。今日はホームセンターへ向かうのに田を見ながら走った。午後2時半過ぎた頃、高く飛ぶ雁の大きな群を見た。双眼鏡を覗くと大半がハクガンだった。

車の向きを変えて群を追ってみた。雁の方向は朝日池で、車の私はあちこちの道をジグザグに走らざるを得ない。車が池に近づく頃、群は池の西端、米山に向かって手前の狭い部分を旋回していた。低く何度も回る。おそらく近づく前に下りてしまうだろうと考え遠くから望遠で撮った。

頭上を通過する群。

遠くからだったが以下の写真が撮れた。

湖上を旋回する群。

ここに居た方たちにとって
光景は奇跡だったに違い無い。

 降る如く舞う如く何度も旋回。

ああ羨まし、大きな群だった。せっかく舞ってくれているのに私は遠くから、しかも遅れて撮らざるを得なかった。普段のねぐら入りは17時前後であり、明るいこの時刻に現れるのは滅多に無い。池のふちにおられた方達は何と幸せなことだったろう。

因みに群の近くに居たのは大抵地元の人か撮影をしない観察者さんだ。一方普段三脚に大望遠レンズで撮る遠来のマニアさんたちはやや遠く東の方で構えている。車の数は数十台はあった。今日ばかりはここで待っていた人達が大変な幸運を掴んだと言える。

さて昨夕は京都、滋賀旅行でお世話になったAさんご夫妻から届けられた見事な鮎の甘露煮を食べ、本日は百人一首歌留多の最中を頂いた。

皺一つ無い見事な子持鮎。
美味しくてほっぺたが落ちそうだった。

百人一首の札が上下2枚の皮となって一包みされている。それにさお状になった甘い餅が入った小豆あんを切って挟む。
高校時代、一時家で百人一首が流行り、母に習って「むすめふさほせ」などを覚えて楽しんだ。このたびお菓子といえど札通りの図案はとても懐かしかった。

本日はせっかく紫式部の「め」で最中を作ったのに撮る前にバクリと食べてしまった。歌は「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」だった。幼なじみとの短い出会いの名残惜しさを雲隠れする月にたとえた歌だった。しかし私の式部最中(もなか)は巡り会うなり即お別れだった。

そこで二つめの河原左大臣(かわらのさだいじん)「陸奥(みちのく)の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに」」を作って食べた。
「しのぶもぢずり」は福島県信夫地方の染めによる衣のことらしい。“もじずりのように乱れた私の心はあなたのせいです”と歌っている。

その昔、「しのぶもぢずり」の意味など全く分からずに遊んでいた。しかし意味不明の変わった言葉でも、かえって頭にこびりつい長く忘れずにいることがあるんだと思った。
※河原左大臣は嵯峨天皇の皇子だった人。

美味しい鮎、楽しい最中、京・近江の文化を有り難うございました。

京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。

2025年1月8日(水曜日)

4泊5日の京都滋賀旅行は本日延暦寺を参拝して終わる。この日は延暦寺のみなのでいつもより遅く出発した。

初めて来て色々お世話になった山科駅。

この度はケータイにSuicaを入れてきた。初めのうちは不慣れだったが、次第にさっさと改札出来るようになった。ちなみに全部で13回の改札、4670円を電車代に使った。
一方タクシーは12000円ほど乗っている。がめつく言うと二人とも昼食を摂らない分およそ2600×4日=9200円を節約できているので、一定分タクシーの埋め合わせにはなっている。

比叡山ケーブルカー坂本駅。
京阪電駅からバスで10:30ころ到着。

昭和2年に建てられた駅舎は国の有形文化財に登録されている。

縦長の窓や灯り
が文化財的。

窓外にはうっすらと雪。

時々現れる晴れた琵琶湖を眺めながら11分で延暦寺駅に到着。

ベンチの雪。

鐘楼のある階段上から見た
改修中の根本中堂。

護摩祈願が行われる根本中堂は2026年まで10年がかりで大改修中。受付で二人分の祈祷を申し込む。ともに「家内安全」と「健康祈願」にした。間もなく暗い堂内で20人分ほどの護摩祈祷が始まった。
私達はやや高い所の椅子に並んで座る。不動明王を祀った祭壇の前に僧が座り読経を始める。こちらから見えないが6、7人の若い僧が堂内に居て経を唱和する。
祭壇に小さな火が灯され、僧は経を唱えながら絶え間なく印を結び法具を操る様子。大勢の僧の唱和が堂内に響き荘厳な雰囲気になってくる。前段は辺りを清め、不動明王をたたえながら呼び寄せる儀式と思われた。
読経の響きが高まると護摩の火は一段と大きく立ち上り明王が現れたらしい。
祈願を申し込んだ者の県と名、祈願内容が読み上げられていく。終盤、私達一人一人の祈祷になった。祈願を書いた護摩木が焚かれあらためて炎が立ち上った。唱和のなか何とも言えぬ有り難みがこみ上げ胸が熱くなる。終わってお札とお守りを一式もらい暗い堂から出た。妻は目を赤くして感動したと言った。

護摩供養
延暦寺ホームページから。
まさにこのように見えていました。

外でずっと梵鐘が鳴り続けている。祈祷を終えて鐘楼へ行くと次々に参拝者が撞いていた。

  お年寄りがお孫さんとおぼしき人と
撞くと、拍手が起きた。

私達も列に並んで撞いた。

さて以下は昭和30年(1955年)秋中学二年生の秋に行った関西修学旅行における延暦寺・根本中堂の写真です。
当持は二眼レフが大流行。みな親にせがんだカメラをぶら下げて歩いた。私は父に連れられ柏崎のカメラやさんで買って貰った。

如何にも山中の寺院に見える。
周囲は狭いが正面はどうだったのだろう。

根本中堂は大きくて恐らく二眼レフには入りきらなかったのであろう、右手に回って斜めから撮っている。

比叡山を占める延暦寺は150余の堂塔があり、世界文化遺産になっている。この日他にも魅力的な所があったが、護摩祈祷を受けたあと鐘を一つ撞くと晴ればれとしてしまい、他所を見ることなく下山することにした。

早いか遅いか、長いか短いか、歳月はどちらも合っている。修学旅行から70年近く経ったが、振り返ってただ一言“何とか生きて来ました、本当に有り難うございました”としか言えない。

足を揃えたらと言われて
撮ってもらった。

 

敦賀駅で。
新幹線が逞しく見えた。

私達の旅行は不思議と買った切符よりも早く帰ることになる。このたびも買い換えた。

どっとお腹が空いたので京都で買ったお弁当を車中で食べ、帰宅すると延暦寺のお札を並べて妻作のはりはりとお蕎麦を食べた。

はりはり。

祈祷と祈願のお札、それとお守り。
運転、作業、健康にいっそう気を付けけよう。

 濃茶を練って旅行の無事に感謝。
石山寺で求めた井筒製のお菓子が美味しい。

旅行中は慌ただしい晦日にも拘わらず、2日もお付き合い頂いたAさんご夫婦には感謝に堪えません。お陰様で何倍も楽しい旅になりました。どうかお元気で、またお会い致しましょう。私達も身体に気を付けその日を楽しみに致します。

何日も長々と書き連ねて失礼致しました。今年もどうか宜しくお願い致します。

本日は終日風と共にみぞれが降り辺りは再び白くなっています。今後の二日間寒波の再来です。

七草粥に大根のバター煮 蝋梅。

2025年1月7日(火曜日)

本日1月7日は強風に見舞われたが暖かかったため、平地の雪は殆ど消えてしまった。
今日は七草がゆの夕食。珍しく妻の方から撮ってみたらと言う。そんな時に限って上手く撮れないのですが載せました。

粥と豚汁。

 

いつも頂くお宅からの大根。
良い味でした。

蝋梅。

昨年植えた仕事場の蝋梅がけなげに黄色の蕾と花を付けていました。一枝とって玄関に飾るといい匂いが漂っています。午後の往診で寄ったいつものお宅の庭でも良く香っていました。うちの蝋梅はこのお宅のを真似て植えた次第です。
荒れる寒い時候に咲く蝋梅。しかも長く咲くので感心します。

ブログのヘッダーも蝋梅に替えました。

旅行の最終日、延暦寺は次回にさせてください。夜になってザーザーと雨が吹きつけ始めました。次の寒波が近くで待っているらしく、冬本番はまだ先です。

本日ちゃんとした初雪?

2024年12月18日(水曜日)

本日近隣は雪に降られ、今冬初めてどこもかしこも白くなった。積雪は10㎝前後で冬将軍の挨拶と理解される。これから先が大事なのだが、将軍は何も詳しく答えない。頼りの予報は一旦ひと休みを告げているけれど、その通りにお願いしたい。

以下は本日の写真。白一色となり風もなくきれいだった。

 

上掲2枚はいつもの近隣の道。

 

樹下美術館の庭。

 

美術館裏手の水田。

 

潟町の仕事場の金柑。

本日は忘年会をした。ラ・ペントラッチャでスタッフはじめお世話になった皆さまと集まった。


みなあまり飲まなくなり、かと言ってしんみりでもなく、ほどよく飲食を楽しみ、今年の働きを慰労しあった。

昨日眼鏡、本日Suica、そして最終日。

2024年12月15日(日曜日)

昨日に比べて青空とお日様が沢山出た本日、柿崎のドコモショップでSuicaをスマホに入れて貰った。
ショップの予約は午後5時だったのが、カフェで何組かの方達と今年のお別れをしているうちに時間を過ぎた。電話をすると少し遅れても構わない、気を付けて来て下さいと親切な返事だった。
いつもお世話になる柿崎のショップ。私もそうだが高齢者が多くみられるのもどこか微笑ましい。

これで遠くの駅の切符自販機であたふたしなくて済むし、人並みにスマホをかざし改札を出入りできる。今の時代に生きているかぎり、たとえ高齢でもこのくらいはしてみたい。

さて本日で今年の営業?(本当は何といえばいいのだろう)を何とか無事に終えました。
今年の当館コレクション展は陶芸・齋藤三郎「文様展」、絵画・倉石隆「とにかく生きる展」から始まり、秋から企画展「水彩画 高宮あけみ展」を、続けて「ラッセル・ジョケラ ハンドメイド家具展」を最終日まで行いました。その間、10月に開催した日本良寛会会長・小島正芳さんの講演会「良寛さんに学ぶ」も好評でした。
年間を通してご来館頂いた皆さまはじめ作家と講師の方々には大変お世話になり、あらためて感謝申し上げます。

夕刻は撤収を終えたジョケラ氏に挨拶し、妙高市の身内とささやかな食事会をしました。

最後まで賑わった最終日。

さてまことに恐縮ですが明日から例年通り来年3月15日まで冬休みにさせて頂きます。
来年は開館19年目。今のところ特に企画展の予定はありません。忙しかった今年を振り返り爺と婆は骨休みをさせて頂き、来年は館内外、とくに庭とカフェををしっかり維持したいと考えています。

初顔で好評だったドライカレー。

来たる年にまた元気でお会いしましょう。


Among My Souvenirs
(思い出の中に)

ささやかなブログは休みの間も続けるつもりです。

新たな眼鏡 マガモ 天ぷらソバ 同級生。

2024年12月14日(土曜日)

12月はなかばにさしかかった。今年6,7月に両眼の白内障手術をし、本日宿題だった新しい眼鏡が出来上がった。午後から世話になっているイオンの「メガネ館」へ取りに伺った。

お陰様で遠近くまなくすっきりと見え、一種晴れやかな気持でハンドルを握り帰ってきた。

何気ない感じのフレームで
気に入っている。

 

午後イオンに行く前に
いっときアラレがパラパラと降った。

上掲は本日のイオン。

夕刻の朝日池でマガモのつがい。

夕食の天ぷらそば。

本日来館された皆さま、寒い中まことに有り難うございました。午後のカフェに今年何度も来て頂いた中高同級生U君夫婦がいた。午前は高校を一緒し、ことあるごとに来館されるY君にも来て頂いた。以前から書いているとおり病によってお二人より一年遅れて卒業したのに、同級生として接して頂きいつも感謝している。

明日で今年の樹下美術館は終わる。最後を飾って頂いたラッセル・ジョケラさんの「オーダーメイド家具展」も盛会だった。このところ連日お見えのHさんは明日も来たいと仰って帰られた。

身内のかなちゃん、すずちゃん、来館ありがとうございました。

毎日の雨。

2024年12月11日(水曜日)

このところ毎日のように冷たい雨が降る。時に上がるがおよそしっかり降る。気温が下がればそのまま雪になるだから、連日の雨にはぞっとさせられる。

雪国の山脈を越えた関東甲信あるいは群馬のカラッとした冬は、晴れ過ぎて風情が無いと過日の本欄に書いた。しかし現実になってみればドカ雪を連想させる連日の雨にはやはり気持が滅入る。

本日は気晴らしに私の人生唯一の海外旅行先、タヒチの夕陽の音楽を掲載しました。時は1970年代なかば、タヒチ7日間(実際は現地5泊)の団体旅行でした。
途中給油のソロモン島、眩しいFAA空港、博物館になっていたゴーギャンの家、知り合ったご夫婦との黒砂海岸ピクニック、パペーテのバザー、カタマランクルーズ、家々のブーゲンビリアの花、曲がった貸しクラブで回ったゴルフ場の澄んだ小川、珊瑚礁の遠くに見える白波、モーレア島の朝焼け、息を飲むボラボラ島の夕焼けetc。
大昔のことなのに年のせいで色々おぼえていて今更びっくりする。

わけても夕食のたびに眺めた鮮やかな夕焼けは忘れ難い。今冬の雪を案じながら、以前からYouTubeにあった以下の動画を貼りました。加山雄三主演の映画音楽のようですが、タヒチ周辺の雰囲気を伝えていると思います。


タヒチの夕陽。パペーテから
飛行機で50分ほどのボラボラ島。

本日もまた妻の夕食料理です。

海老ピラフ

二つの高瀬舟。

2024年12月6日(金曜日)

11月中旬の去る日、岡山県倉敷市から寄られた早川正弘さんから良寛椿と同地の名物羊羹「高瀬舟」を頂いた。一口大の羊羹が一個ずつ小舟の形をしたパッケージに入っていて、手を汚さずに上手く開けられる仕様になっていた。

 羊羹「高瀬舟」の外観。
お茶のお伴にとても良い。

 開いたところ。
シャリと呼ばれる砂糖が
吹いているのが美味しい。

高瀬舟とは底が平たく、浅い川でも往き来出来る舟。岡山県西部の高梁川(たかはしがわ)はじめかつて各地で見られた小舟で、このお菓子と同じ岡山県真庭郡落合町(現真庭市)が発祥とされている模様。同町には同窓の院長がいて50年も前結婚式に参列したことがある懐かしい地名だった。

さて聞き覚えがある高瀬舟。早川氏からおみやげを受け取った妻は「森鴎外の、、、」と言った。鴎外の高瀬舟は京都の高瀬川を行き交う舟上における話で、こちらの方が知名度が高いかも知れない。

上掲は先日の上京の際車中で読んだ岩波文庫の「山椒大夫・高瀬舟 他四篇」。江戸時代、流刑の罪人を京都から出港地大阪まで運ぶ月夜の高瀬川を行く高瀬舟。舟上の罪人と彼に付きそう役人の心と姿が描写されている。
清々しい表情をしている罪人は、苦しい病によって自死しようとするが死にきれない弟に乞われ手を貸し、死なしめたことを咎められ流罪を言い渡されている。
罪人の心境と金銭感覚に役人が打たれる短い物語だが、医師でもあった森鴎外が光を当てた先は今日でも全く同じ問題として存在し、時に表在化する安楽死の深刻なテーマだ。
行為は罪に問われるが、小説では月の光の揺らぎを浴びる罪人を形容して、「その額は晴れやかで、目には微かななかがやきがある」と述べ、困難な課題に挑んだ者を潔しとして擁護している印象がある。この点現代の倫理観とは異なるところだが、留学を経験している鴎外は問題を提起しながら氏が学んだ当時のドイツの方向を暗に反映させたのかもしれない。

京都の高瀬舟。
きょうと修学行ナビより引用。

本日は風強く荒れ模様の一日、病院紹介が必要な緊急用件が二つ続いた。
今週末寒波が到来し雪に見舞われる予報が出ている。気温が下がりいつ降ってもおかしくない状況になった。

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