明け暮れ 我が家 お出かけ
南国・西国の小旅行Ⅴ:佐世保は浦頭引揚(うらがしら ひきあげ)記念平和公園。
前記しましたように虹の松原を泣き泣き歩いた。その後再び筑肥線に乗って唐津で降りた。
唐津はレンタカーの営業所へ直行、車を午後1時から24時間レンタルして佐世保へ向かう。途中の伊万里などもスルーして、一路目的地、浦頭引揚記念平和公園を目指した。
浦頭(うらがしら)は複雑な佐世保湾のやや南よりに位置している。途中の花などを撮影しながら夕暮れ近く目的地に到着した。公園は小高い丘の上にあり、長い階段を登った。
正面の彫像などはホームページで見ていたが、目の当たりにして全体の広さと手入れの良さに驚かされた。歴史を丁重に扱うのは知性と良心であろう。公園は市が管理しているのだろうか。
公園からの眺め。引揚げ船は湾の左奥から右手前にある桟橋へ入港したらしい。
園内の説明板から。検疫後も厳しい行程が待っていたことが分かる。
昭和20年10月から25年4月まで引揚者と復員兵の合計140万人もの人が
南風崎(はえのさき)駅から故郷へ帰っている。
全国では舞鶴、佐世保、博多など8港ほかを経て、
660万人を越える人々が困苦のなか帰還したという。
表情や姿に癒された記念像。
制作者の小金丸氏は太平洋美学校教授、東大講師の経歴の人。
昭和21年の今頃の季節、0才と3才の弟、6才の姉と4才の私を引き連れて当地に上陸した父母。
満州では引き揚げを前に、母は私たち三人の子どものために一つずつ小さなリュックを作ったという。
出発の前の晩まで一番張り切っていた私は本番では全く駄目。リュックの代わりにオマル?を背負わされ、健脚の弟が頑張ったらしい。
かすかな記憶を拾ってみると緊張場面ばかりだ。満州で乗った貨車や客車、途中の襲撃、引き揚げ船の雑魚寝やうす曇りの甲板がうっすらと浮かぶ。しかし佐世保の上陸に関して全く記憶が無い。私はすでにふらふらになっていたのだろう。引き揚げはそれぞれにとって文字通り命がけだったのだ。
このたび訪ねた記念平和公園への階段を登り始めてから帰るまでの一時間、虹の松原同様やはり涙を禁じ得なかった。大きな荷物を背負い私たちを守った一文無しの父(満鉄病院の医師だった)を思っていた。
3月18日は九大病院→虹の松原→唐津、伊万里→浦頭引揚平和記念公園→佐世保で泊った。この日昼食を摂るヒマがなかった。
当旅行で見た家々の梅と椿、山道に満開だったアブラチャン、そして時折のキブシ。道中慰められた花は二三のエピソードとともに最後にまとめて掲載させて頂こうと思っています。
南国・西国の小旅行Ⅳ:虹の松原で泣く。
3月18日(日)、九大病院からタクシーに乗り最寄りの地下鉄駅で降りた。地下鉄は姪浜から陸上へ出ると筑肥線となり玄界灘に添って走る。車窓は広く次々に変わる海の景色が美しかった。小雨が降ったり止んだりしていた。
若き日の母のことで、写真によって唯一場所が特定出来るのが虹の松原だ。西唐津行きの普通列車は11時半ころに当地へ到着した。小さな空色の駅舎は無人で、目の前にはすでに広大な松原が広がっている。何十万何百万本といわれる黒松が続く素晴らしい場所だった。
左19才の母の虹の松原。学校の合宿のような行事があったらしい。
![]() 東に向かって白砂と松原 |
![]() 西へも |
多分ここへ来たら泣くだろうと思っていた。その通り松原を横断して白い砂浜に出るとすぐに涙がこぼれた。
また来ましたよ、背中の遺影に言葉を掛けた。ウオーキングの人たちは林の道を足早に歩く。砂浜を歩くのは自分だけだ。遠慮なく涙を落としながら歩いた。
カメラを見ていた日傘の母は77年経って車椅子の遺影となって背中に居る。しかし老若を駆け抜けたその人は、人生のはかなさだけを伝えているようには思われなかった。学び読み倹約し、老後も懸命に自立を続けた姿を私は脳裏に刻んでいる。
この人からもらった人生。はかなくはあっても美しい砂浜で泣いているだけで有り難いことではないのか。憐憫とともに深い感謝に包まれた。
感傷と言われればその通りだと思う。25年前の正月に、3泊4日の京都・奈良旅行を子どもたちとした。以来今日まで生きて、感傷旅行以外に私の旅は考えられなかった。
南国・西国の小旅行Ⅲ:九大医学部・病院 母への憐憫。
19日(日)は二日目、この日から母の若き足跡を訪ねてみる。ホテルの小さな食堂でモーニングを食べ、ハンカチで包んだ遺影をリュックに入れて8時半すぎに宿を出た。
母が学んだという九州大学の看護学科(当時は別の呼び名があったらしい)のこと。入学式のこと、級友と本の貸し借り、寄宿舎のしきたり、泣いてばかりいた同級生、満点を取れなかった最終試験、、、、何度も聞いていた。
訪ねた朝の構内は静かだった。話のとおり医学部と附属病院は大変立派で広大、旧帝国大学の風格を今に伝えていた。看護学科は現在保健学科に含まれて北東の隅にあった。
![]() 大きな病院 |
![]() 看護学部がある保健学科 |
![]() 昔からの正門らしき左部分 |
![]() 右部分 |
看護学校の入学式で母は初めて見る同級生の身なりの良いのに驚く。みな立派な袴を付け、時計をしていた。その中で、自分は自らの母が縫ったつんつるてんの袴で時計も無かったらしい。
父の夭折などある種不遇の中、8年間皆勤した高等小学校から看護学校まで主席を通したという。満州で医師の夫(小生の父)と出会う母。終戦後新潟の我が家へ嫁として入るや、「ぐうの音も出ないほどに」姑、小姑たちに押さえ込まれたらしい。ばらばらな作法、風変わりな言い訳、作り話のような話など一部変人扱いを受け、私たちさえある部分そう思うようになった。
しかしその晩年(80才を過ぎて)、遅きに失したが母の中に“素晴らしい人”が見えるようになった。息子が言うのも可笑しいが、勤勉と読書、超絶な記憶力、一発で人を見抜く眼力など、、、。私たちの方こそ見抜かれていたのか?私は自分を恥じ、母へ強い憐憫を抱くようになった。
恥ずかしながら平成16年から4年間、当地の医師会長職をけがした。260人の医師たちは個人としてみな優しいが、当然ながら団体活動となると時に面倒な側面を見せる。医師会は自身の問題とともに公共として常に複数の課題を抱えている。
会員に抵抗されて動きが止まれば地域の水準は遅れる。その前4年の副会長時代も含めて、地域水準などを意識させられると非常にストレスを感じた。
不思議なことだったが、行き詰まりそうになると母を構いたくなった。車に乗せ、散歩をし、昔話を聞く、最晩年は車椅子を押した。すると気が休まり、面倒な会議を続ける意欲が沸いた。母をかまうことがストレスに良いなどとは考えてもみなかった。
余談が長くなりました。
看護学校の外出は厳しかったようでしたが、一旦外出の際は上掲の門で、「行ってきんしゃい」と守衛さんに言われたようです。
(記載しました母のことは一部当ノート「我が家」に書かせて頂きました、繰り返しをお許しください。)
次は大学を出て10:30頃の地下鉄ー筑紫線でおよそ1時間10分、昼の「虹の松原」を書かせていただきます。
南国・西国の小旅行Ⅱ:チャンポン 旅の携行物は多いな。
17日夜無事に福岡の宿に着いた。なぜか九州の実感が無く大阪に居るという錯覚を吹っ切れなかった。
16日から15000人もの参加者がある巨大な学会が開催されていて、福岡市内のホテルはどこも満室。数日前にようやくキャンセルで小さなホテルが一室取れていた。
店内では皆チャンポン、お客さんを見ていてある事に気づいた(後日書きます)。
せっかくの九州。博多駅前のビル内にあった店「リンガーハット」でチャンポンを食べた。初めて知ったが、同店は国内外におよそ500店舗を展開するチェーンらしい。
普段から自分はさほど食べ物にこだわりが無く、外食も大抵のものを美味しいと思ってたべる。この夜餃子とともに食べたチャンポンは沢山入る野菜が新鮮であっさり味、健康的な食べものだと思った。
壁にお洒落なボード。チャンポンや店の歴史のことかと思ったら、野菜、麺、スープ、どれもみな特別仕立てだと書かれていた。ちなみにリンガーは幕末~明治に長崎に来た英国の実業家の名、ハット(hut)は小さな家という意味だった。
一人旅の身支度。リュックとポシェットは数日前ジャスコで買った。
革ジャンと帽子はいつものもの。
それにしても今どきの旅行は携行物が多い。沢山のJR切符、航空予約券、ホテルのクーポン券、保険証、運転免許証、財布、薬、本、紫外線カット品、整髪料、充電器、自作の行程表、鍵類、飛行場の駐車入場券、着替え、カメラ。家に居れば何気ないものまで毎日眼を遠し管理して携行する。旅慣れないので随分なストレスだ。明日から本番、妻が居ればこの携行ストレスは半減するのにと、思いながら休んだ。
泣いたり笑ったり 南国・西国の小旅行Ⅰ。
“いつか母の故郷の佐賀県を訪ねなければ、それに自分が4才の足で初めて歩いたであろう日本、佐世保も”。漠然と抱いていた考えを昨年8月に母が亡くなり、満州から引き揚げた三月を期に、このたび実行してきました。
主な行程は以下のように慌ただしかった。
17日夕刻(飛行機)新潟空港→福岡空港→福岡泊まり→18日(タクシー)九大病院→(筑肥線)虹の松原→(筑肥線)唐津→(レンタカーR202)唐津→佐世保→浦頭引揚記念平和公園→佐世保泊→19日(レンタカー・西九州自動車道など)鹿島市→泰智寺→蔵通り→古枝小学校→祐徳稲荷→(長崎本線)肥前浜→吉野ヶ里公園→従弟宅→(長崎本線)鳥栖→博多、福岡泊→20日(山陽新幹線)博多→広島→(東海道線本線)広島→岩国→(バス)錦帯橋→(東海道本線)岩国→広島→(山陽新幹線)広島→大阪→(タクシー)なんばグランド花月→(タクシー)大阪空港→(飛行機)新潟空港。
一部は一般的な観光ルートではなく、かつ妙な書き方のためお読みになった方はさっぱりかもしれません。申し分けありません。
本日は肌寒かった広島から暖かい大阪へ。そして今夜の新潟空港は思わぬ降雪で驚かされました。泣いたり笑ったり驚いたり色々ありました。備忘も込めて次回から拙旅の模様を記してみます。
遅く書き始めましたので日付をまたいでしまい、21日(水曜日です)の夜中となりました。
先生お気を付けて、皆さんも。
「先生お気を付けて」、最近何人かの患者さんに言われた。この連休に九州へ行くと、2月以来皆さんに配りものをしてきた。私用で休むことになり、本当に申し分けないと思っている。
私ごとながら昨年8月に母が亡くなった。以後その故郷である佐賀県の旧古枝村(現鹿島市)を訪ねることをずっと考えていた。越後へひとり来て65年余、母からは晩年になって色々生地のことを聞いた。浜の蔵通り、古枝小学校、潟(がた)、川あそび、七夕、祐徳稲荷、遠くの山、水車小屋(もうないだろう)、菩提寺(泰智寺)、、、。
このたび65年の星霜を経て小さな遺影となっての里帰りだ。昭和21年3月、一家で満州から佐世保に引き揚げたあと、10日ほど母の実家に滞在した。私は4才でしかなかったが、畑の向こうに見えた母の家になんとも言えない安心と希望をおぼえた。
今回は戦後136万人もの引き揚げ者が上陸した佐世保港浦頭(うらがしら)埠頭、記念平和公園、そこから全国へ向かって引き揚げ者が乗車したという「南風崎(はえのさき)駅」などへも寄りたいと考えている。
帰りに広島で降りて少し戻り、小学校時代からの憧れ“錦帯橋”へ寄れることも嬉しい。平日を潰してこんなに家を空けるのは昭和50年の開業以来初めてだ。これも患者さんたちと母のお陰だと感謝を禁じ得ない。
19日まで当ノートをお休みさせていただき、後日九州のことなどご報告させていただければ有り難いと思っています。
患者さんの皆様、どうかお変わりなくお過ごし下さい。何十年ぶりに乗る飛行機で行って来ます。
(3月17日午後1時15分)
たとえ翼があっても。
早春の頸城平野(本日の昼,大潟区蜘蛛ケ池周辺から)
日中の晴天は夕刻が近づくにつれて気温が下がり冷たい風が吹き出した。昨年の地震の時間が近づく頃に、美術館の近くで田の白鳥を見ていた。雪解けした田には北帰行を控えた白鳥が沢山集まって食餌をしていた。
一年経つのに映像の被災地は膨大な瓦礫の山に占拠されたまま。腹に響くような復興の足音が届いてこない。
夕刻近く急に強まった季節風に向かって飛んできた白鳥。
黒っぽい若鳥も一人前だ。
田んぼに落ちていた白鳥の羽。逆光のガラステーブルに置いて見ると美しい。
新潟県にはまだ7000人の福島県の方が避難されている。私の診療所でも何組かの親子さんと顔馴染みになった。ご主人たちの多くは単身福島県で仕事をされてると聞いた。
春を迎えて帰る鳥、翼がありながら帰れない福島県の人々。放射能汚染が家族を引き裂く。麗しい日本はこんな国ではなかったはず。
昼の温かな時間に妙高市から孫子が海を見に来た。大喜びでシーグラスを探して帰った。
今日は今年一番お客様が来られた。
美術館より人気のフキノトウ そして免許証やこぶしの絵。
美術館に隣接する自宅庭の南側は、小さな水路を挟む土手になっている。毎年フキノトウが出ていたが、私が少し植え足し、さらに以前庭を手伝ってくださったおばさんが足した。それで土手は沢山フキノトウが出るようになった。
フキノトウの一番乗りは私たちがしたい所だが、あるおじいさんが知っていてしばしば先に取られてしまう。そこへこの数年、あるおばあさんも狙っているという。
本日スタッフからもう出ていると聞いた妻が、いくつも取ってきた。これからどんどん顔を出すだろう。私たち、スタッフ、おじいさん、おばあさん、多分ほかにも。みんなで注目している土手。3月早くの美術館はいつもヒマだが、土手の方が先に賑わう。
本日、運転免許証が出来る日なので午後一番に安全協会へ行った。その昔、期限を20日も過ぎて気がつき、講習からやり直した経験があるので、今ではカレンダーに大きな丸を付けて用心している。
その足でギャラリー祥さんへ作品「こぶし」を搬入した。小品なので持参というべきか。すると夕刻オーナーから電話があって、私の絵を欲しいという人が二人現れた、と知らされた。
彼女は、公平なチャリティなので明後日からの期間、一番に来てとお話した、と仰った。嬉しい反面少し困ってしまうお電話だった。
潟町村立小学校、分校の同級会。
間もなくの開館、新潟市の団体への寄稿、胸突き八丁の図録など、休みは一歩も出ない日がある。
そんな日の本日、日曜日夕刻、潟町村立(現上越市大潟区)小学校分校の同級会があった。
優しかったS先生と一緒、昭和24年、分校2年生の記念写真。
60余名、これで一クラス。
上掲は分校2年生の時の写真。背景の立派な校舎は潟町村立中学校。当時小学校は土底浜に本校があった。恐らくそちらが一杯なため、潟町にあった中学校の空き教室へ私たち潟町、九戸浜、雁子浜 の生徒が分校として通った、と考えられる。
この記念写真には元気な同級生に混じって、すでに他界した仲間が居る。ひもじくも真剣な眼差しの彼ら彼女らを涙なくして見ることができない。
本日集まったのは12人だった。遠くへ行った級友もいるが、写真を見るに付けあらためて胸がつまる。私には、この分校同級会は如何なる会合にも増して心を無にして過ごせる。
分校は3年生までだったが、大きな行事があると本校まで行列して歩いた。記憶に無いが私はひ弱で、2キロ足らずの本校への道中でよくしゃがみ込んだという。
「お前、覚えているか。オレはお前がしゃがむ度に背負って歩いたのだぞ」、いつも聞かされたA君の言葉だ。そのA君は昨年夏他界してしまった。
私たちの幼年期はいつもサツマイモがおやつだった。そんな栄養事情が今日影響するのか、A君といい、まことに残念でならない。
来年の幹事は私がすることになった。
弟がイタリア行から帰った
昨年三月、南三陸町で放し飼で養豚を行っていたすぐ下の弟たちを、地震が襲うとは悪夢のような出来事だった。極めて幸いなことに居住が山間だったことと、学校の適切な避難対応によって一家は深刻な被災を免れた。
震災後、家を失った人達を泊めるなどしたが、昨年11月から一家四人は二ヶ月間イタリアへ行った。
イタリア行きは震災前からの計画の実行だった。弟は20余年前、スペインで羊飼いと暮らすなど、探求と称して何でも地で行く。このたびのフィレンツェもかなり強固?な主張をもって家族を連れて行った。
過日、滞在を終えて無事南三陸町へ帰還した。みやげは現代もののタイルと美しいノートだった。
二ヶ月の滞在はアパート暮らし。8畳ほどの部屋が三つ、それに家具一式と食器、シーツの替えなども付いて家賃は月8万円ほどだったという。
もとより経済に余裕などないが、そこの生活が気に入った弟は「オレの前世はイタリア人だ」と言ったらしい。
フィレンツェの店々のたたずまいが素晴らしく、もともとカメラマンでもあり沢山写真を撮ったと聞いた。店は仕事場を兼ねていて、食品、楽器、家具、道具類、等々みな魅力的であり、店内には美しい音楽が流れていたという。
無事に帰ったが、新たな計画もあるやに聞いている。そろそろ年でもあろう、健康には気遣ってほしい。
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