明け暮れ 我が家 お出かけ

境内の落ち葉焚き 珍重な風情。

2012年4月20日(金曜日)

今年の庭は落ち葉や折れた枯れ枝が多かった。夕刻の出先でお寺の前を通った。広い境内の片隅、お庫裏の前に一すじ落ち葉焚きの煙が上っていた。寺の庭も冬のあと片付けが大変だったのでは。

 

近頃たき火は少々うるさくなった。しかし寺の片隅で行われる焚き火は春秋の珍重な風情ではないだろうか。

いのちの電話チャリティー茶会にお邪魔して。

2012年4月15日(日曜日)

4月桜の時期に毎年行われるいのちの電話チャリティー茶会。もう何度お邪魔しただろう、以前小生も一度だけお点前をさせていただいた。

 

茶券

 

社会福祉法人「新潟いのちの電話後援会上越支部」の主催である。継続は力なり、よく20回も続いている。(株)有沢製作所と大杉屋惣兵衛両者によるご後援の賜物にちがいない。

 

 お花古備前のへたり形花生けに入ったアオモジとコバイモ、春の静けさ。

火入れ齋藤三郎の辛夷の器が火入れに見立てられていた。
盆はミャンマーから伝わった蒟醤(きんま:漆器の一種)。

 

桜

 露地の桜は年によって開き方が様々だが、それがまた良い。今年はまだ蕾ながら赤々と色濃くあと一息で開花。一分咲きの手前なら八寸咲きと呼んみたい趣があった。

 

昨日砂浜を4キロも歩いたら右膝を痛めていた。二席の会だったが、一席でおいとました。お点前は入門1年の知人だった。静かで落ち着いたお点前をされ嬉しかった。

 

茜の霞射す風情の御本茶碗で戴いたお茶。大杉屋さんの口に楽しいお菓子、いずれも美味しかった。

最後のままごと。

2012年4月6日(金曜日)

草木の芽が伸びて、学校では入学式の時期となりました。

数えてみれば58年も前の今頃の話。我が家の庭の一角に畑があり、妹と友達の二人がままごとをしていたようです。セルロイドの皿や茶碗には木の芽や水仙の葉などが盛られていたのでしょう。

 

“ あのねえ、私たちもう小学校でしょ。

うん、

学校へ行ったら、ままごとなんか出来ないんだって。

ほんと?

だって姉ちゃんが言ってたもん。

 どうする?

、、、、止めようか。

うん、止めよう止めよう

これは?

埋めちゃおうか。

うん、埋めよう埋めよう 。”

春の畑を始めた母の傍らで妹たちがこんな会話していたと聞きました。庭などには子どもの可愛い思い出が埋っていることがありそうです。それにしても学校の威力は凄いですね。

 


演奏:エディ・ヒギンズ トリオ
“You Must Believe in Spring”(春を信じて・ミシェル・ルグラン作曲)
かってイタリア軒のエレベーターでエディさんと出会ったことがありました。
背が高く柔和な紳士でした。

。今夜とんでもない暴れん坊が そして甥のチーズケーキ。

2012年4月3日(火曜日)

新潟県上越市の日中、すでにトラックの横転や家屋被害など激しい風の影響が出ていた。当地は台風でもこれほど猛烈な風はめずらしい。

 

 夕刻の中谷内池
夕刻の中谷内池、このころやや静かになった。

 

夕刻には一旦弱まったように見えたが、夜19時半過ぎからは未経験レベルとなった。空と海はゴーゴーと鳴りっぱなしとなり、外の至る所で風切り音が悲鳴をあげる。ドーン、グラグラ、ミシミシッ、ド^-ン、グラグラ。これでもかとばかり、古い木造三階建ての家は攻撃され揺さぶられた。

 

ガタガタ、バタバタ、障子とガラス戸がごちゃごちゃな音を立て、カーテンがふわりと踊る。間もなく2回の停電。こんなに怒り狂う風は初めてだ。災害の気配もしたのでヘルメットを被り、気を取り直して明日のために紹介状を一通書いた。

 

まもなくお花の教授に出ていた妻が「ああ、ひどかった」と言って帰ってきた。ドードーと鳴る家の階段を上がって来ると、私のヘルメットを見てびっくりして転んだ。

 

先回「力強い春の訪れを」と書いたらとんでもない暴れん坊の訪れだった。 

 

実は20時ころ風の中、甥がケーキを届けに来た。風の夜に「こんんばんわ」と言われると少々驚く。風に強弱がではじめた深夜、食べたチーズケーキは超がつくほど絶妙で、一息つけた。

 

甥が作ったケーキ
甥が作ったケーキ

 

明日のニュースが心配される。

あじ、ピアニシモな豚飼いの“いばり仔豚”と“あげ足地鶏”

2012年4月1日(日曜日)

昨日A氏宅の夕食に続いて、ふたたび食事の話になりました。

 

今夜の夕食は昨日頂いた鯵と弟から届いた“いばり仔豚”のフライでした。

 

いばりこぶたに鯵そして奈良のお酒、IMG_0939

芳しい豚肉はどんな野菜とも合う。

宮城県南三陸町、
弟は、その山中で30000㎡の放し飼いと餌の研究によって
イベリコ豚をさらに美味しくしました。

 

福島原発から120キロ遠隔の南三陸町の山中は、放射線とは無縁だったという事です。

 

スペインでの生活経験を活かして美味しい肉のほかウインナー、ベーコンなどの良品を限定生産しています。

昨年末イタリアはフィレンツェ鶏を学び、“あげ足地鶏”としてラインナップに加えたようです。

 

和歌山県で林業に関わっていた甥が昨秋から助っ人として入りましたので、頼もしいかぎりです。

 

ピアニシモな豚飼いフォルテシモな豚飼いに続いて本人が今年出版した「ピアニシモな豚飼い」

 

お肉などご興味の方は、お問い合わせ下されば大喜びすることと思います。 

【エルコルティッホソーナイ(ソーナイ牧場)】 
電話:022-646-5592 杉田 徹 

 

 すみれ子さん講演会バナー

あじ。

2012年4月1日(日曜日)

昨日とは打って変わって寒い一日、明日も寒くなるらしい。

 

本日午前、同級生から今朝獲れたという鯵を何枚も頂いた。スタッフと分け、今夜は鯵のたたきとフライで決まりだった。

 

アジ
今朝獲れた鯵。

 

聞けば沖合2,5キロ、イルカの群が来ているということで刺し網を上げに行ったら沢山入っていた、という話も興味深かった。 

 

そして午後、樹下美術館へ友人のA氏夫妻が寄って下さった。はからずも夕食をうちで如何ですか、とお声をかけて頂いた。有り難いお声掛け、鯵は新鮮なうちにと言って妻は下ろすと身を持参した。A氏自ら包丁を振るって盛ってくださった。

 

暖炉
薪ストーブは暖かい。
 

ストーブの部屋で奥様手作りのご馳走に時の経つのも忘れ、気がつけば11時だった。

 

似たような年頃で、色々同感となったが、お二人とも「らしさ」は健在。さすがだ、と思って家路についた。

 

土曜深夜に書き始めましたら日付をまたぎました。

お守り。

2012年3月30日(金曜日)

さる3月19日に母の実家があった佐賀県は鹿島市古枝を訪ねた。その折、近くの立派な神社「祐徳稲荷神社」を参った。同社で患者さんたちのおみやげにと女性には赤の、男性には青いお守りを買った。

 

当日、在宅の方たちへと考えて50枚ほど用意したが、帰ってから気が変わり外来の皆様にもお配りした。一日で無くなってしまい電話をして沢山送ってもらった。

 

お守り

 当地における私の37年間は文字通り皆さんのおかげだ。 

 

今日の暖かさは並大抵ではなかった。午後、車が示した外気温は19度もあった。若者は半ソデだったのでは。ここが温帯であることを思い出した一日だった。

 

すみれ子さん講演会バナー

日増しの春。

2012年3月29日(木曜日)

慌てて冬のあと始末をするより、のんびりとお天気を楽しみたい一日だった。数日前から軒下に入ったスズメは抱卵を始めたのか。順番を待つような風情で一羽が巣を見上げていた。

巣を気にするスズメ昨日、降り出した雨の中、巣を気にするようなスズメ。

1もくれん
新堀川沿いの木蓮。
2新堀川沿いの桜
新堀川沿いの桜。

今日、樹下美術館の近く、新堀川に沿う桜並木の蕾が膨らんできた。白木蓮は待ちきれないほどだった。


本日午後のカフェ。

4デッキ
午後のデッキ
5クリスマスローズ
一番に開花した庭のクリスマスローズ

寒くはないが、週末のお天気はくずれそう。春の雨は次々と木の芽、草花を目覚めさせていく。

 

すみれ子さん講演会バナー

旅の印象: 花 人 猫舌 田畑 偶然 外人バー。

2012年3月27日(火曜日)

 普段親や故郷について問われれば父親の土地や係累のことを考える。長男として跡を取ればなかば当然なのか。一方鉄路で1000キロはあろう佐賀県の母の故郷は長きにわたり文字通り遠かった。


この旅行で母の生地を、記憶もままならぬ幼児期来はじめて歩いた。また何人かの親族とも会えた。風土と人、自らの血脈には父方とともにもう一つの質量が込められていることを、漠然ながら知らしめられた。

 

無二の親。しかしその人に近づくようになったのは晩年のわずか十数年だ。短かかったが知り得た分で興味を持ちなんとか母を好きになることが出来た。

 

 親を知るのにこれほど時間がかかるとは。だがそれが可能になるまで長生きしてくれた事や、間に合った自分の幸運にも感謝しなければならないことだろう。

 

今回の旅行はあまりに急ぎ足、ほとんど一日2食で過ごした。それでも幼年から成人まで若き母を育んだ土地を辿り、聞いていた話に触れることも出来た。努力家だった母と実直な係累、そして力強い風土。短い旅ながら、どこか懐かし気な春風に吹かれ、母の故郷の気を胸一杯吸い込んできた。

 

これからはそれらを自身に足し直し、残りの人生にいくばくかの膨らみを持たせることが出来れば、有り難い事だと思う。

 

今回は車窓や見聞など余談を記して旅の記録の最後とさせて頂きたいと思います。

 

【見て来た花々】

花1車窓の菜の花
筑肥線の菜の花

同キブシ
花5ナンテンとシダレウメ
同じく手前にナンテン、奥にしだれ梅
花2ヤブツバキMG_0270
佐世保への山道でヤブツバキ

同じくアブラチャンとレンタカー
花6ウメ
錦帯橋の公園の梅

【樹木】

樹木2クスノキ
祐徳稲荷のクスノキ
樹木1キンモクセイ
古枝小学校のキンモクセイと校長と教頭先生

 

さすがに山も庭も常緑広葉樹(照葉樹)が主だった。冬でも緑の山、緑の庭、生活や心持ちにも影響しよう。

 

【田畑】

畑2麦畑
母に聞いていた青々とした佐賀県の麦畑
畑1棚田
佐世保への山道で力強い棚田

 

母はかつて故郷の二毛作を盛んに話していた。そして今回突然現れた棚田、とても強靱な感じだった。

 

【垣間見た九州の人
●男性:・きりっとした男前が多く、まめで親切、女性によく気配りしている。
●女性:・活発な美人が多くよく働く。男性をリードしているようだ。

●猫舌:福岡に到着した17日夜、出てチャンポンを食べた。店内は向かいに4人の女子高生と右遠くにOLが一人居た。みなチャンポンを食べている。料理の熱さはちょうど良かった。しかし彼女たちは、麺を箸でとるとしばらく胸元あたりで止めて話などをする。麺を冷ましているらしい。7,8秒するとさらにフーフーしてから食べる。
ほかの子も一様に麺を上げて一旦止め、さらにフーフーして食べる。右端のOLも箸の麺を持ち上げてじっと止めている。それからフーフー、実に根気よく冷ますのである。
まもなく私の隣に若いサラリーマン風の男性が座った。彼もやはり同じようにした。女も男も、お客さんたちが揃って熱心に冷ますのが可笑しかった。これは偶々ではないのでは、と感じるほどだった。
そういえば母も極端な猫舌だった。しばしば「熱っ!」と言っては口をもごもごさせていた。

●外人バーで猫舌の話:3月18日夕刻、ホテルで尋ねるとすぐ前に外人バーがあると教えられた。私は飲めない口だがせっかくの佐世保なので入った。カウンターの向こうに濃いキャップの静かな外人さんが一人いた。ホステスさんが二人、私は二十代の人と話をした。彼女は若い米兵と結婚しているということ、さわやかな普通のお嬢さんだった。
気になっていた博多のチャンポンの店で見たお客さんたちの猫舌を話した。はじめ不思議そうな顔をして聞いていたが、私があまり言うので、もう一人のホステスさんにそのことを話し始めた。
すると、そう言えば私もするということになってきた。麺類に拘わらず熱いものは大抵一旦箸を上げて冷まし、フーフーして食べると。二人で繰り返し食べる仕草をして、やっぱりフーフーするわねと顔を見合わせて笑った。それから「あなたたちはそうしないの?」と怪訝そうに聞かれた。私は博多のチャンポンを冷ましたりフーフーなどせず、ドンブリから直接口に運んだと言った
母もそうだったが九州の人は猫舌が共通しているのではないか。猫舌は可愛い仕草に見えるから全く直さなくてもいいと思う。

●外人バーで雪の話: 新潟県から来たというとすぐ雪の話になった。ところによって4,5メートルと聞くと彼女たちはびっくりして、携帯をいじっている外人にもそのことを話した。当然ながら二人とも英語が素晴らしい。
彼女達が言うには佐世保に一旦雪が降ればその日は町全体がパニック。坂が多いので車は大混乱し、むしろ誰も乗らなくなる。
それから大人も子ども一日中テンションが上がり、雪だるま作りに熱中する。降った雪を総動員して町の至る所に大小の雪だるまが出来上がるらしい。おもむろに一昨年の暮れに作ったという雪だるまの携帯写真を見せてもらった。なかり砂が付いてはいたが、にんじんの目鼻、頭に黄色のオモチャのバケツが乗っていた。
そんなところで私の一杯のチンザノが終わって店を出た。ワンショット1000円だった。10時?から料金が高くなるらしい。短い時間だったが、昼間あちこちで泣いたのを忘れて楽しいひと時を過ごした。

外人バー
佐世保の外人バー

 【偶然】
●カメラ18日の昼虹の松原でポケットカメラを落としてしまった。駅に戻って気がつき、探しに行くと広い松林だったがちゃんと見つかった。

松原のカメラIMG_0214
雨に濡れて見つかったカメラ。

●婚姻届け母の旧宅を探すため戸籍を持参していた。昔の戸籍は字が小さく手書きなので読みにくい。18日夜、たまたま戸籍を見ていたら住所の脇に婚姻届け日が書かれていた。昭和14年3月18日とあり、当日がまさに両親の結婚記念日だった。

●お彼岸のおはぎこのたびお会いした90半ばになる現実家のおばあさん(母の義妹)はお元気だった。私たちが佐世保に引き揚げた直後の昭和21年3月に10日間ほどお世話になっている。当時結婚三年目だったというその方は、お彼岸ということで、餅を突いておはぎ作った、と話された。
空腹と疲労におはぎ!どんなに嬉しいご馳走だったことだろう。これまで引き揚げた具体的な期日が分からなかったが、まさに三月の今頃だったことも分かった。

 

【言葉】

●「福祉は地味ばってん堅実だってゆうんよ」。「助言する人がいるなんてうらやましかー」。こんな風に女子高生が話していた。良い方言なら若者たちも自然に使う。言葉に気遣いがこめられ、語感が優しく聞いていると音楽のようだ。上越の方言はどうなのだろう。

●「とっとーと?」 ユーモアがコミュニケーションを和らげる。

とっとーと・?
よく分からなかった地下鉄・筑肥線の広告。
「席を取っているんですか?」「取っているんです!」と言う意味なのか、それにしても。

【九州は独立国?】
ほんの一部をみただけだが九州の海岸線は長大で、海も山河も豊かに見えた。大企業はことごとく進出している。これまで知り得た九州人も含めおしなべて皆さんは自我がハッキリしてまめだ。九州弁は独特で情がこもりやさしい。
なんといってもアジアが近い。今後何か事が起これば九州は独立してしまうのではないか、と少々心配した。

以上恋々として長くなりました。著名な観光地を巡ったわけではなく、隅々まで個人的な旅でしたので面白くは無かったかと思います。読んで頂いた方々に恐縮と感謝を禁じ得ません。

すみれ子さん講演会バナー

南国・西国の小旅行Ⅶ:錦帯橋 なんばグランド花月 雪の新潟空港。

2012年3月25日(日曜日)

母の遺影を背に旅行の最終日3月20日。これまで急ぎ足ながら念願の地をめぐることができた。博多発7:44の山陽新幹線で帰路についた。 帰路で是非寄りたい所は錦帯橋だった。小学校時代に集めた切手のなかで最も目を奪われていた図柄が錦帯橋。立体的で変化に富んだ大きな橋は印象的で、いつかは見たいと思い続けた。                                             錦帯橋の切手。

1ゆずスカッシュ
博多で買ったゆずスカッシュは美味しかった。
2いちすけ号IMG_0654
電車を模した「いちすけ号」

 

博多から広島まではあっという間。錦帯橋の岩国へは広島から山陽本線の鈍行で往復した。岩国駅から橋までの交通は赤いバス「いちすけ号」だった。電車を模した形態だが内外とも頑丈で、真ちゅうなどもピカピカに磨かれていた。

 

70才にして初めて錦帯橋とはいかにもオクテなことだが、憧れの橋を渡りおおいに満足した。橋を中心に眼下一帯はいかにも清々した広大な日本庭園の様相。江戸初期から今日までたびたびの損壊を越えてよく保存されている。大きな建造物を造るならこのように他に比類のないものを作るべきではないかと思った。

 

広島は寒かったが、錦帯橋は若い人にも人気があるようでかなり賑わっていた。

3錦帯橋
周囲の美しい自然をいっそう見事に引き立てている。
4園内の噴水
一帯はみな気持ちがよい。

大阪空港発19:00の新潟への帰路。新幹線は京都まで行くとそこで2時間弱の余裕が見込まれていた。一月前には西行ゆかりの勝持寺へ行こうと考えていた。しかし桜が未だなこと、空港へのシャトルバスの面倒も考えて見切りをつけた。思いついたのが新大阪で降りて「よしもと」を見ることだった。

出発の1週間まえ、突然に浮かんだ180度の方向転換。すでに感傷旅行は十分に済ませていよう。いい考えだと思いなんばグランド花月の切符をネットで買っていた。

5なんば花月周辺
難波界隈。

満員の会場でザ・ぼんち、オール阪神・巨人、のりお・よしお、月亭八方、それに吉本新喜劇を途中までみた。渾身の漫才は素晴らしく、大阪の人たちと一緒に笑えて幸せだった。間もなく乗る飛行機なのに、落語は飛行機が着陸に失敗する話で戸惑った。

6新潟空港の雪

暖かな大阪から雪の新潟空港へ。きっちり南西へ旅行した実感がした。20日の食事は昼食を広島駅で買ったお弁当(あなごや海鮮類がほろほろと入り大変美味しかった)。夕食は空港でカレーを食べました。

さて以上無事に旅行を済ませることができました。患者さん達にはご迷惑をお掛けいたしました。母の逝去から考えていた念願が叶って喜んでいます。

次回は旅行の諸印象を記して終わりに致します。大変長々となり恐縮しています。

すみれ子さん講演会バナー

2025年7月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

▲ このページのTOPへ