樹下だより

齋藤三郎、謎の鵠沼(くげぬま)時代。

2012年5月25日(金曜日)

5月発行という当館収蔵作品図録がまだできない。齋藤三郎氏の道程でどうしても埋まらない時代があり、あと一歩のところで止まっている。その時代を飛ばすことも可能だが、二度と出せない図録のこと一旦終了としたが欲が生まれた。

埋まらない時代とは昭和15年までいたサントリーの創業者・鳥井信次郞氏の個人窯である壽山窯を出て、18年に出征するまでのおよそ2~3年の期間である。この時期は神奈川県は藤沢市の鵠沼で制作したことが知られている。それ以前の作品は僅かながら手許にある。出来れば鵠沼時代の作品、なかんずく底にある署名をぜひ見たい。

ところで新潟県立近代美術館の過去の展覧会図録に1943年制作という齋藤さんの花瓶が載っていた。当年は昭和18年に当たるのでまさに出征直前の鵠沼と推察される。

 

このたび同美術館に研究のためという趣旨で閲覧と撮影の許可願いを提出した。

齋藤さんの作品は箱のないものが多い。髙田時代の早い時期を集めた父は新聞紙にくるんで運んだ。一般に箱はあっても制作年の記載がなく、年代同定で悩まされる。頼みは署名だが、名前、書体とも様々に変遷を重ねている。しかし変遷には一定期間ある種傾向を有するので、色々見るのはためになる。

 

県立近代美術館の作品は素晴らしい呉須掻落牡丹紋花瓶(ごすかきおとしぼたんもんかびん)。果たして署名は?閲覧予定日を来週週木曜日にさせていただいた。許可されれば午後の休診日なので今から楽しみだ。

当館にも時代が判然とせず、まさかと思うがもしやという作品が一点あるので余計である。

 

120524柳町付近の夕暮れ
昨日、上越市頸城区柳町付近の夕暮れ。

チェロとギターのコンサートバナー

ホームページ「作品」を改編しました、どうかご覧下さい。

2012年5月23日(水曜日)

樹下美術館ホームページの「作品」欄が見やすくなりました。

 

齋藤三郎、倉石隆両氏の作品をそれぞれカテゴリーに分類して、見だしを付けました。以下の大きな写真をクリックしますとホームページの「作品」欄に繋がります。どうかご覧下になってみて下さい。

 

作品ページ見出し

 

 齋藤三郎作品は以下のような見出しで「青磁・白磁」「染め付け」「鉄絵関連」「色絵」「そのほか」および「書画」に分類し、合計44点を掲載致しました。

齋藤三郎作品
 

 

倉石隆作品は以下のような見出しで「素描」「油彩」「銅版画」「挿絵」に分類し合計38点を掲載致しました。

 倉石隆作品

 

樹下美術館では毎年趣向を変え、かつホームページ上の作品のいくつかと出会えるよう工夫を致しております。

愛らしくも初々しいヒナ  齋藤さんの器で食べてみる。

2012年5月19日(土曜日)

仕事場の庭が鳥の声で賑やかだ。軒の三ケ所にあった雀の巣から一組が巣立った。モミジに止っていた二羽はそのヒナか。

もう二組はまだ巣に居て猛烈に啼いている。親は気の毒なくらいせっせと餌を運んでいた。

スズメのヒナ1

なんて可愛いことでしょう、私たちにもこんな時代があったのですね。

さて、連日旬の頂き物が続く。ワラビと筍に続いてフクラゲとカレイを頂いた。こんなにもらってバチがあたりそうだ。

そこで今夜は齋藤三郎さんの器を出して食してみた。しかしさすが齋藤さん、私たちでは完全に負けだった。まず切れ味よい包丁と品の良い盛りつけが課題。途中はともかく、少なくとも最初と最後で負けなのである。

齋藤さんはプロの料理人を育てるほどの食通だったと聞いた。家庭料理のつもりでするとまず失敗だろう。

 皿
今夜使った二種。色絵梅文中皿と染め付け山家文扇皿。

お造り、焼き物、汁
写真も下手で何を作ったのかも分からない、本当に恥ずかしい。

料理はサービス精神が働き、つい分量を多めにしたくなる。まずそこからが問題。

特に良い器を使った料理の場合、分量はほどほどに少く。あるいはどう器を見せるかが勝負かもしれない。水の切り具合、立体感、取り合わせ等々などなど。味は当然、料理はとんでもなく深かろう。

器の数と種類は十分にある。鑑賞用で終わらせたくない。今年は無理だが、いつか「齋藤さんの器で食べる会」が出来れば、と妻と話した。

レ・ドゥのフルーツケーキ くるみぼーるのクッキー そして上越地域医療センター病院。

2012年5月17日(木曜日)

上越市東雲町にあるレ・ドゥーのケーキは非常に美味しい。熱心なパティシエとはご近所だったので幼少のころから知っている。東京で修行し、当地で開業後も上京を続け一途に研究された。

 

今日から樹下美術館のカフェで彼のフルーツケーキを出せるようになった。当館は小ロットのささやかなカフェ。それでもこまやかな心遣いで作ってくださった。お気づきのことは何でも仰って、とまで。

 

フルーツケーキ
甘さに、粘りと軽さが絶妙。カップはシェリーの三角ハンドル。

 

また、知人の紹介で「クルミボール」さんが焼かれたクッキーが間もなくメニューに入ることになった。本日見本が届いた。

 

クッキー
愛らしい手作り感は美術館に親しむと思った。

 

くるみぼーるさんのクッキーは、上越地域医療センター病院の東玄関ホールでも販売されている。同病院ではほかに「珈琲工房かさはら」さん、「惣菜の木曽路」さん、「移動クレープ サニーズ」さん、「キッチンママ 潤蘭」さんが日替わりで出店されている。ささやかながらこうしたこころみは開かれた病院としてとても良い。

 

不肖医師会の役員時代に同病院と関わった。大した成果も残せなかったが、その後院長はじめスタッフ一丸の真摯な取り組みを知るにつけ安堵がよぎる。

 

最近では訪問看護が始まったというニュースを読んだ。きっと成功するだろう。患者さんご本人はもちろん、ご家庭や生活背景を重んじる病院として、ますます発展されることを心から祈っている。

鈍行と美術館 上越市は文化的。

2012年5月16日(水曜日)

今日は長岡市から鈍行列車でお客様がこられた。

 

介護の合間などに、鈍行でゆっくり来ましたと仰るお客様が時々見える。

 

鈍行の時間は心にも体にも貴重であろう。

 

ベニシジミ
昼さがり、美術館の庭で真っ白なヒメウツギにシジミチョウが軽やかだった。

 

今日のお客様は上越が大好きで、妙高山を背景にしたお濠の蓮も桜も毎年見に来ると仰った。 

以下追加です:妻によると、その方は上越市は文化的だとも仰ったという。やや面映ゆいが嬉しい感想だ。

 

以前、新潟市の方から同じような感想をお聞きしたことがある。戦後花開いた疎開文化が関連していることかもしれない。しかし他所から見た上越市のイメージに「文化的」という一面があるのであれば大事にしなければ、と思う。

 

チェロとギターのコンサートバナー

カモグリに座ってアールグレイ 始まった田植え。

2012年5月12日(土曜日)

週末土曜日午後は仕事休み。3時のお茶を美術館で飲んだ。二つの展示室を繋ぐ場所の小さなガラステーブルにお茶を置き、これも小さなカモグリの椅子に掛けて紅茶を飲んだ。カフェにお客様が見えていると、どうも遠慮してしまう。

 

館内でお茶
シノワズリのカップ&ソーサーでアールグレイを美味しく飲んだ。
 

デッキ水が入った美術館裏の水田。一部で田植えが始まっている。

 

デッキに出て水田を眺めた。これからとてもいい季節になっていく。クレマチスと紫陽花を植えて草取りをした。

荒れ模様の祝日 白磁の根付(ねつけ)は判じ文字

2012年5月4日(金曜日)

せっかくのみどりの日が風雨に見舞われた。気温も下がって気象は厳しい一面を見せている。たまっている用が多く、午後美術館に顔を出した以外は一日中机に向かった。

そんな日の昼、ひょうんなことから齋藤三郎の小さな作品が出てきた。両面に文字の透かし彫りを施したわずか4,5センチの白磁の根付(ねつけ)である。読みといい、作りといい思ったより手の込んだ作品だった。

 

まず読みがすんなり行かない。無造作に穴ばかり開けられているようだが、ちゃんと字が彫ってある。出会った6年前に読んだのを忘れていてすぐには分からなかった。

根付け表
根付け裏

ようやく読めたので、妻の所に行って尋ねるとしばらく睨んでいた。表はさんずい(三水)、裏はもんがまえ(門構え)、と言うと「あっなるほど、齋藤さんは天才だわ」と感心した。

小片の裏表に施す透かし彫りは、筒などよりはるかに難しそうだ。漫然と彫るだけでは、相手の文字の裏ばかり見えて興ざめだろう。互いに抜け合う部分と途中で止める所をうまく案配してデザインする必要がありそうだ。面白みも出したいし、紐も通さなければならない。ウーン、たしかに厄介だ。(もしかしたら片面ずつ作って貼り合わせるのかな?)

この根付は6年前、開館に際して齋藤三郎さんの最初のお弟子さんである故志賀重人氏から頂いた。その時、齋藤さんは大変器用な人で、透かし彫りにおける刀(とう)さばきなど実に鮮やかだった、とお聞きした。きっとこの面倒な作品も鼻歌などを歌いながらサッサと作ったことだろう。

 

午後3時すぎ、座ってばかりの机を離れて美術館へ行った。悪天候の中何組もお客さんが見えていて嬉しかった。

忙しくしている若いスタッフに根付けを見せると、「表は清い、裏は閑で、清閑」と即座に答えた。最近これほどびっくりしたことは無い。

何処へも出かけない連休。

2012年4月28日(土曜日)

本日から連休が始まりました。午前仕事をして、暦通りの連休です。気温もぐっと上がり晴れ渡りました。

 

お陰様でお客様に恵まれました。お二人の介助者に添われたフルリクライニング車椅子の方の訪問を嬉しく思いました。また午後には茶道に通われる若い女性のグループが見えました。中国、英国からのお嬢さんも混じって賑やかでした。

 

メガネ若者のメガネデザインはポップで楽しい。

春のお嬢さん達
活発なお嬢さんたちで美術館の春も加速。

 

連休中は何処へも出かけずゆっくり地域の春に親しみたいと思います。また家では溜まっている書類の処理、齋藤三郎、倉石隆の図録二冊の仕上げ、新潟市の団体機関誌6月号への執筆などに集中するつもりです(頼まれた2年のうち、まず1~5月号までお陰様で何とか終了しさせました)。

幸福のパン種 増補版 「新春、人間に」から。

2012年4月22日(日曜日)

幸福のパン種
幸福のパン種 増補版: 堀口すみれ子編 かまくら春秋社 
平成23年10月11日発行

 

この度の堀口すみれ子さんのご講演に際して「堀口大學詩集 幸福のパン種」の増補版を戴きました。
幸福のパン種は1993年、大學の十三回忌に発行されました。昨年10月、「新春、人間に」および「そして今は」の2編を増補して改版されました。

 
昨日のご講演の最後にすみれ子さんは「新春、人間に」を朗読されました。この詩は1971年の産経新聞の元旦の特別版に掲載されたものです。その年に福島第一原子力発電所が稼働したということでした。

 

大學は生前“僕の詩は50年早かった、50年経ったら理解されるよ、君はそれを見届けておくれね”と話したそうです。

当版の末尾で、「何気なく聞き流していた言葉ですが、ああ、あの言葉は本当だったのだと実感します」、とすみれ子さんは述べられています。昨年の福島の事故を顧みる機運から、この度の増補がなされたのだと思いました。

 

以下は「新春、人間へ」です。

“ 分かち合え

 譲り合え

そして武器を捨てよ

人間よ

 

君は原子炉に

太陽を飼いならした

君は見た 月の裏側

表面には降り立った

石までも持って帰った

 

君は科学の手で

神を殺すことが出来た

おかげで君が頼れるのは

君以外になくなった

 

君はいま立っている

200万年の進化の先端

宇宙の断崖に

君はいま立っている

存亡の岐れ目に

 

原爆をふところに

滅亡の怖れにわななきながら

信じられない自分自身に

おそれわななきながら、、、

 

人間よ

分かち合え

譲り合え

そして武器を捨てよ

 

いまがその決意の時だ ”

 

元旦の特別記事にしては大変重い内容ですが、大學の先見性、詩人の良心の堅さをあらためて認識させられます。すみれ子さん、良い増補を有り難うございました。

 

今日は二つ良いことがありました。一つは放鳥されたトキのペアから初めてヒナが返ったというニュース。もう一つは書くのが恥ずかしいほど大量のハンディをもらってゴルフコンペに優勝したことでした。次回のハンディは29ということで、また挑戦したいと思います。

盛会だった堀口すみれ子さんの講演会。

2012年4月22日(日曜日)

堀口すみれ子さんによる講演会「堀口大學を巡る人々」は、昨夕盛会のうちに無事終了しました。

 

 堀口すみれ子さん

講演で語られたのはお母様のこと、そしてマリー・ローランサンとジャン・コクトーでした。

母:世界を遍歴し、文化勲章に輝く詩人・フランス文学者は、40代後半に関川村(現妙高市)の18才になる娘さんと出会い後に結婚します。漱石の「心」を仏訳するため滞在していた野尻湖ホテルでの邂逅がきっかけでした。
20を越える年の差。しかし幾星霜のうちに隔たりは埋められ、睦まじい夫婦の格へと育ち上がる過程が話されました。

 

マリー・ローランサン:大學はスペインにおいて亡命していたマりー・ローランサンと出会います。多くの国の言葉を話す日本の若き詩人をローランサンは鶯にたとえて詩を贈ります。恋か敬愛か二人の親交によって大學はローランサンの詩書集を翻訳し日本に紹介するようになります。
ジャン・コクトー:天才の芸術家コクトーの著作も大學によって我が国へと紹介され、二人の親交は深まりました。大學の蔵書に記されたコクトーのドローイングの洒脱さと滑らからさは驚嘆すべきものでした。氏は1936年世界一周の旅で日本に立ち寄りますが、大學は心を込めてこの国を案内しました。
情熱や探求によって育まれる縁、変化を遂げる関係、、、。とても感銘深い講演でした。

 

蘖(ひこばえ)

この日、講演に先立って当地の男性コーラスグループ「蘖(ひこばえ)」によって堀口大學作詩の2曲が披露されました。ハーモニーは詩とともに心に響き、会場は豊かな情感に包まれました。
すみれ子さんは三回目のご講演でした。同じ人からじっくり聞く話の意義深さをひしひしと感じました。

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