大晦日は本の整理にキーボードの掃除 昔はご馳走を配った。

2012年12月31日(月曜日)

強風に見舞われたが上越市大潟区はまだ雪は少ない。昨夕今朝と二件の在宅の看取りをした。長年手を尽くした介護、ご本人ご家族とも本当にお疲れ様でした。

 

さて日中の時間をデスクワークに費やし、夕刻から本棚の整理をした。混み合って見にくくなる本棚。思案の末80余冊に決着を付けた。かなり本棚が見やすく(取り出しやすく)なった。

 

本
時代を過ぎたもの、二度とみないであろうものを中心に選んだ。
32㎏の人を抱っこするのは簡単だが、本は重い。

 

キーボード
夕食後、なぜかキーボードの埃が気になり基板と離して掃除を試みた。
トゲ抜きで埃をつまみ、ハンドクリーナーで吸うと幾分すっきりした。
柔らかい樹脂で絶縁されている基板は覗いただけ。

 

当地では年越しの夕ご飯からご馳走(おせち)を食べる。その昔、大晦日の夕刻に当家でこしらえたご料理を何軒かの家に配っていた。
私のまさに子どもの頃、黒いおか持ちに品を入れて父の乳母だった人、女中さんだった人、何の縁か屋根屋さんの家などを廻っていた。もちろん歩きで。

 

ある年の夕暮れ、母に付いて行った。母は姑に叱られていたのかもしれない。何度かに分けて黙々と歩いた記憶がある。訪ねた家の人はとても喜んでいた。昆布巻き、黒豆、野菜と鶏肉の煮もの、数の子、赤青の寒天などがあったと思う。今となっては古い昔ばなしであろう。

 

皆様、本年は大変お世話になり有り難うございました。来る年が生きがいに満ちたより良い年でありますように。

 

 

山里、里山の幸 庭仕事。

2012年12月29日(土曜日)

寒くなって上越市牧区の縁者からジャガイモや里芋、豆などを頂いた。山間の野菜はやや小振りだが実に美味しい。違うでしょう、と妻の言う通り新鮮かつ濃厚な風味は一口食べれば分かる。

サトイモ
旧牧村の里芋。

豆
同じく赤インゲンと思われる豆。

現在ストーブに掛かっている美味しい黒豆は妙高市の方から毎年頂くもの(頂き物ばかりで本当に恐縮しています)。

先月ある患者さんからのお米は驚くべきものだった。何気なくご飯を口に含むと手が止まった。香り滑らかさ弾力、まじまじと見た米は見事な輝きだった。

どこのお米ですか、と次の診察でお尋ねした。実はあまり知らない人からの頂き物なのです、三和村かもしれません、と謎めいたお返事だった。なるほど三和区には「米と酒の謎倉」という食の施設がある、農家が分かればぜひ取ってみたい。

本当に美味しいものは家の食事、とは妻の哲学。自分でも小さな畑を作っている。“どこか美味しいものを食べに行きましょう”と誘われると困るらしい。

今夕の妙高連山
庭仕事の合間に見た今夕の妙高連山。左から妙高山、火打山、焼山。

さて本日午前で今年の診療を終えた。お天気は雲一つ無い晴天。午後3時15分から5時半まで腐葉土と肥料を混ぜた土を作り庭に撒いた。慣れない仕事で一時右腕が挙がらなくなり、夕食で握った箸の小指が戻らなくなった。

ここへ来て一転、暖冬を思わせる気配。冬本番はこれから、果たしてどうなるだろう。

思わぬお天気のプレゼント。

2012年12月27日(木曜日)

予報を覆す晴れ間となった午後、近隣の田んぼに行ってみた。

 

早い雪で始まった今年の冬、このところひどい降雪はなく大変助かる。

 

ハンノキハンノキと青空。

 

ヒシクイ
多くの渡り鳥が飛来している。

マガンとヒシクイはよく似ている。
遠目に分かりにくいが写真をトリミングして拡大すると嘴の色からヒシクイのようだ。

 

頸北から北方面 田から北方面。遠くに新井柿崎線が走っている。
 

 

頸北から南を
南方面。
晴の日の雪は神聖なほど真っ白。

 

こんな好日を閉館にしてしまってもったいないな、と思った。昨日は閉館作業中にお客様が見えて、カフェで過ごして頂いた。本日はそのカフェの窓も防雪の板囲いをした。来年3月15日まで本当に申し分けありません。

 

当「館長のノート」ブログは続けますので宜しければ覗いてみてください。

デンマークの器 オラランティのお菓子 冬を工夫して。

2012年12月26日(水曜日)

クリスマス寒波と予報されていたが、幸い本日寒さのわりに雪はさほどでなかった。

 

冬の本番はこれから。しかし春を待つだけでは人生が短くなってしまうような気がする。貴重な人生、それなりに何かと意欲をもって過ごしたいと思う。

 

スタンド本日のR8沿い大潟区潟町にある同級生のGS&メンテ工場。

 

カップとお菓子寒い夜、デンマークの器が二つ。フルーツケーキでお茶を飲んだ。
左がプレゼントされた器。
美味しいフルーツケーキは南高田のオラランティさん。

 

随分昔の事、デンマークに留学されていた医師が当方を訪ねて来られた。お出ししたカップをご覧になると、なつかしいなあ、と仰った。その後残念なことにニケあった一つを割ってしまった。

 

その医師の奥様が今年から美術館の庭を手伝ってくださる。器を壊したことをお聞きになったと、ご夫婦からクリスマスの器が届けられた。

 

平和の国の品らしくゆったりして肌は雪よりも白く、デザインはまことに愛らしい。

イヴの日樹下美術館今年の閉館。沢山お越し頂き有り難うございました。

2012年12月24日(月曜日)

本日クリスマスイブの夕刻、2012年の樹下美術館が終了しました。12月は早い雪など相当な悪天候でしたが、皆様はじめ東京や福井県からのお客様にもお寄り頂き感謝しています。

Hollyなイヴにちなんでyoutubeからジャズピアニスト・デューク・ピアソンによる「Cristo Redentor(クリスト・ヘデントール)」を使わせていただきました。Cristo Redentorはご承知のようにブラジルの首都リオデジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像のことです。
私はキリスト教徒ではありませんが、1970~80年代にこの曲が入ったデューク・ピアソンの以下のレコードをよく聞きました。

 


ピアソン自身のプロデュースによる1969年「duke pearson how insensitive」。
「STELLA BY STARLIGHT」や「MY LOVE WAITS」など素晴らしい。

 

コルコバードのキリスト像
WIKI Pediaからコルコバードのキリスト像。

樹下美術館の来年度は7年目の節目となります。

追加作品や言葉の解説などを加えたためすっかり遅れた図録を節目として今度こそ刊行致します。(こんなことを何度言ったことでしょう!)

●6月に昨年好評だったチェロとギターの演奏会を催します。

●10月の毎週土曜日夕刻に「陶齋の器で食事会」を計画致してます。

どうかご期待ください。

クリスマスの映画だった「遙かなる国から来た男」。

2012年12月24日(月曜日)

弟が書いた本「ピアニシモな豚飼い」の223ページで著者は訪ねて来たフランス人に次の様な歌詞の歌を歌って聴かせる。

「ル・プレド・ドゥジュビアン」

「ル・プレド・ネヴァ・コオッセエ」

「ダァレ・ダァレモ・アラマン・・・・・・」

聴いたフランス人は、その歌を知らないと言い、歌詞は古いフランス語のようだとも言う。

弟が歌ったのは以下の映画「遙かなる国から来た男」の主題歌の冒頭部分だった。映画は1956年に作られ、シャンソン歌手のジルベール・ベコーと女優フランソワーズ・アルヌールが主演している。

 


動画を見ると映画はクリスマスの物語だと分かる。うろ覚えの弟の歌詞もまあまあだ。

主題歌「遙かなる国から来た男」を当時よく父がレコードを掛け、機嫌の良いときに歌った。いつしかレコードは無くなり、弟は本の中で父から歌を習ったと書いている。

私は教わった記憶はないが、気に入っていて学生時代の帰郷の際も自ら掛けて聴いた。今年you tubeで見つけた時にはタイムカプセルを開けた気がした。こんな映画だったんだ、とも知った。

 

一つ違いの弟が50数年経って書いた一節は、遠い日と父母への懐かしさを特別なリアリティをもってよみがえらせた。

 

その頃のクリスマスイブ、鳥を焼き赤玉ポートワインを一口飲んで赤い顔して上機嫌だった母の顔も浮かぶ。

本日天皇誕生日に見たもの、行ったこと。

2012年12月23日(日曜日)

優しい陛下の御誕生日。夕刻は風雨強まったが日中に雪は降らなかった。

 

午前中、ショートステイ中の患者さんが一時意識障害を生じられ、施設へ往診した。ほどなくステイが可能な状態に回復された。

 

「有り難うございました。親には一日でも長生きしてもらいたいのです」
帰り際、せがれさんが土下座をされたのでびっくりした。

 

千鳥薄日の午後、柿崎の海を歩いた。砂浜の千鳥に近づくと一斉に飛び立った。
“親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれでる 濡れたつばさの銀の色”

千鳥を見ると感傷的になる。

フジツボ砂浜に上がった漁具の浮子。赤味を帯びたフジツボがびっしり。
直径60~70㎝くらいの珠。

庭海から帰って庭の傾斜地をレンガや石で囲った。かなり適当な“なから仕事”。

サンタクロース美術館の近くの家の塀。サンタが縄ばしごで入ろうとしていて非常に可愛い。

冬至の日 メガソーラー発電施設 太陽は二回目の出番。

2012年12月21日(金曜日)

うす曇りの一日。
特養ホームの出務を終えて帰り道となる樹下美術館に寄った。なおえつ茶屋のsecoさんがいらしていた。お元気で嬉しかった。

 

さて本日は冬至日ということ、南に寄った低い太陽がぼんやり見えていた。

 

冬の太陽午後二時半頃の太陽。

 

メガソーラー急ピッチで工事が進行する帝石トッピングプラントのメガソーラー発電施設
道路の目の前にあり親和的で知的な景観だ。

最大出力1メガワット(1000キロワット)以上の太陽光発電施設を

メガソーラーというそうだ。

 

美術館の帰り道に(株)帝石トッピングプラントの敷地がある。4万6千㎡の敷地内に建設され最大2メガワットの発電が可能だという。

 

上越タウンジャーナルによれば同じく上越市谷浜地区にも最大出力2,4メガワットのソーラー発電施設が来年中に完成する予定だ。

 

雪国でも可能なソーラー発電。上越地域はまだまだこれからだ。新潟県東部産業団地(阿賀野市)にはすでに2メガワットの施設があり、さらに15メガワットの県計画がある。
全国では50~100メガ級の発電所が各地に計画されている。着工から数ヶ月~半年など短期間で完成されるのもメガソーラーの特徴であろう。

 

命の誕生と生成が一回目の出番なら、いま命を救うために二回目の出番となった観の太陽。学問、企業努力とともに頑張ってください。

嬉しい東京新聞、足温器と電気敷き毛布。

2012年12月20日(木曜日)

年を取って意見、見解などについてより感覚的になった。合う合わない、しっくりくる、こない、という風に。

 

それで、おそらく私が生まれた時から当家で取っていた中央の大手A新聞を止めた。上から目線、特定人物への忌避、原発事故の矮小化、など作為や誘導を感じ、ほとんど読まなくなっていた。

 

東京新聞すっきりして読みやすい。

 

その結果東京新聞にした。紙面に余分な感じがなくシャキッとしている。なにより真摯に伝えようとする気持ちが伝わる。

昔在京したころにこの新聞を取っていた。東京のこともよく分かるし、妻は「公平な感じがする」とも言った。
地元新聞店の取り継ぎがないので一日遅れの郵送。当面朝刊だけだが、一日遅れとも気にならない。

 

ところでこのところ足が冷える。本日は足温器と初めてとなる電気敷き毛布を買った。両方ともあっというほど安く、毛布は早く寝たいほど暖かい。

鍵善良房のお干菓子 森橋丈明さんのお茶碗。

2012年12月18日(火曜日)

幾分恥ずかしくも、「館長のノート」には「頂き物」というカテゴリーが必要かもしれません。

 

新潟市のお茶人から京都みやげ鍵善良房(かぎぜんよしふさ)の干菓子をいただいていた。格調の包装を開けると「おちょま」と名付けられた愛らしくも味濃い和三盆(わさんぼん:日本古来の砂糖、あるいは砂糖菓子)が出てきた。

 

お菓子良房のお干菓子。

 

お茶とお菓子おちょまをお伴に、上越市の陶芸家・森橋丈明さんの白釉茶碗でお茶を頂いた。
明瞭なカイラギが浮き出た立派な筒茶碗だった。
純白は冬の透明感、お茶の緑が遠い春を想わせる。

 

おちょま: おちょぼ口と云うように小さく可愛いの意味があるらしい。祇園では舞妓さんの見習いを「おちょま」と云うとも。
小さな半鐘型のテッペンに赤い点があしらわれている。雑誌BRUTUSの「おみやげグランプリ」干菓子の部でグランプリに輝いている。
カイラギ:焼き物の厚いうわぐすりがかもし出すでこぼこのまだら模様。
筒茶碗:筒型の深めの抹茶茶碗。保温を考えて冬を中心に用いられる。

 

この森橋さんのお茶碗を来年のカフェにお出しする予定です。

小春日和となった日 カルメン故郷に帰る 昭和27年の上京。

2012年12月17日(月曜日)

このところ雪も降らず風も無く、時に雨の日があったので樹下美術館の雪はおおかた消えた。

 

本日の樹下美術館
本日午後、施設帰りの樹下美術館。

夜になると隣室からテレビ映画の音が漏れ聞こえる。いつものように何の映画?と妻に聞く。「カルメン故郷に帰る」だった。一、二度みているが、いずれも断片的だ。

国産初のカラー映画ということ、随所で“色”が意識されていた。木下恵介監督、高峰秀子が綺麗で滑稽、牧歌的な軽井沢と浅間山が素晴らしかった。

 

カルメン故郷に帰る
「カルメン故郷に帰る」より生徒たちの踊り。後ろは浅間山。

昭和26年製作ということ。主役の踊り子が乗る貨車は草軽電鉄の凸型電気機関車が牽いた。
昭和20年代の社会には戦争の傷跡とナイーブな民主主義への期待が織り混ざり、児童生徒であった私にも独特な時代の味わいが残る。

 

昭和27年、5年生の夏休みに若い叔母に連れられて、姉弟と三人で東京へ行ったことがある。信越線の車列は長く、上野まで長時間かかった。

その車中、痛々しい姿の傷痍軍人がたびたび募金箱をもって現れた。お金を入れるかどうか、子供心に苦しんだ。
赤羽か大宮(あるいは双方?)では駅構内の大きなレンガの建物が大破したまま、爆撃の痕が生々しかった。

三人で一週間ほど寝泊まりして世話になった年配の叔母は、築地で幼稚園を営んでいた。彼女は美しい人だった。

幼稚園では、近くの米軍病院(旧聖路加、現国立がんセンターの場所)の看護婦さんたちの子どもを多く世話していた。お母さんたちが院内の免税店からラッキーストライクなどのタバコをみやげに買ってきたが、叔母は笑顔でそれを私たちに見せた。

他の時の伯母はとても疲れて見えた。銀ブラや読売ホールの音楽会、神宮球場、上野動物園などへ連れて行ってくれたのは若い叔母だった。

「パンパン」「ルンペン」というような言葉を教わり、「私もルンペン」と若い叔母は笑った。僅かの米を持参して上京した三人の子供。昭和20年代の東京の親戚には迷惑な事だったろう。後年幼稚園の叔母にそのことを言うと「分かってくれたかね」とにやりと笑った。今その伯母もない。

 

「カルメン故郷に帰る」では軽井沢の生徒達が美しいオルガンの音に合わせて男女で踊る。

昭和29年から髙田市の某中学校へ通ったが、ある日、映画「二十四の瞳」の鑑賞学習が市内の映画館であった。やはり木下恵介氏と高峰秀子さんの映画だ。

 

その往き帰り、男女が手をつないで歩くように言われた。

民主教育の一環だったのだろうが、大変に恥ずかしかった。私は実は手をつなぎたい人がいたが、実際は当然別の人で、覚えていない。

冬ばらの淋しき選挙を見送れり。

2012年12月16日(日曜日)

曇りの本日選挙があり、夕刻投票をしてきた。

帰宅すると黄色いばらが一輪、静かに世を忍ぶ様子だった。 

 

冬ばら

 冬ばらの淋しき選挙を見送れり

冬ばらの見送る淋しい選挙かな

俳句は難しい。

診療所と美術館の忘年会 身から絞り出される血税 超然たる品位の国として。

2012年12月15日(土曜日)

昨日に続いて雪が一段落している本日、診療所と樹下美術館の忘年会があった。忙しければ頑張り、暇なら耐える一年が終わる。

 

お世話になる人、支援して下さる人も参加して18人。抽選会、出し物、歌、センチュリーイカヤさんで三時間を過ごした。

 

シャベル三味線
女性スタッフ持参のシャベル三味線。
彼女の「シャンシャン馬道中」「十日町小唄」は秀逸だった。

 

シャベルが鳴って
ますますシャベルが冴える。

 

診療所も歌う
診療所スタッフが歌い。

 

美術館が歌う
当然美術館も負けなかった。 

 

拙宴会などをお出しして真に恐縮です。恥ずかしながら筆者は星降る街角でした。年に一度精一杯の全員参加、どうかお許し下さい。

 

明日は苦悩の選挙、しかしなんとか投票したい。

 

選ばれた方は大企業ばかりでない、私たちの「文字通りの血税」を震災復興と国民の健康・福祉・教育文化のため一円のムダ無く使っていただきたい。

 

大国の思惑が絡むえげつない近隣の挑発に簡単に乗せられることなく、超然たる品位の国として実直に歩むことを心から望みたい。

やっと晴天 修理されたセーター 昨夜の流星。

2012年12月14日(金曜日)

去る12月9日、突然の早い雪で始まった今年の冬。恨めしい空が本日は風もなく一日中晴れた。

 

昼の長峰池昼の上越市は吉川区長峰池にモチを伸ばしたような雲。

 

その晴の日、大事なセーターが修理を終えて帰ってきた。15年前、イタリアへ行った人からたまたま妻が買ってきた品だ。

 

様々な色の糸で織られているのに、落ち着いている。気に入って着ているうち、肘が透けて見えるようになりついにこの秋、穴が空いた。さよならは辛い。

 

肘当てをしたらどう、突然妻が言った。肘当ては、初めからスタイルとしてジャンバーやジャケットなどで見慣れている。しかしもともとは修理として用いられたはず。

 

なるほど、妻は髙田の洋品店からそれ用の革を二枚買ってきた。自分で試みたがうまくいかなかったようで、専門家に依頼した。それが本日まこと見事に出来上がった。

 

肘当てのセーター
肘当てが施されたセーター。

 このようなことは他に代え難く嬉しい。
こんな品は日本に無い、と修理した方が仰ったそうな。

 

さて昨夜午前0時過ぎ、庭に出ると流星が見えた。文字通り氷るように澄んだ夜空に10数分間で4つ。寒さで家に入り暖まって再び出るとまた4つ。
東を中心に様々な高さでスー、と光っては消える。願い事など浮かぶ暇もないが、星たちが小声で「さよなら」と言っている気がした。

 

背後の枯れ木に満天の星。ちょうどオリオンが天頂近く差しかかり冬の大三角が歴然と輝いている。様々な星で枯れ木が静かなクリスマスイルミネーションと化していた。

 

高校生だったかある深夜、我が家の三階から出て大屋根に寝そべり飽かず流星を見た。昨夜雪がなければ毛布を被り、寝そべることもできたのに。

謎の西洋の婦人像 小説「従姉妹ベット」 そして原画。

2012年12月13日(木曜日)

樹下美術館の展示作家倉石隆の作品を蒐集し始めたのは1996年からでした。作品はご遺族や関係者からのご厚意のほか画商にお世話いただいた作品もあります。

倉石氏の作品を探す画商のプロ魂に何かと感心させられました。そのうちの一枚が以下の女性像です。
オレンジ系の赤一色で描かれた女性は珍しく西洋人、しかも一種謎めいた雰囲気の作品でした。

 

強い視線、少し歯並びが悪そうな口元、、、決して麗しい美人とは言いがたく見えます。あまつさえ頭上には暗い赤で湯気のようなものが情念の如く立ち、バックとしては不思議なあしらいでした。

 

油絵のベット髪飾りと肩のレース模様が精一杯のおしゃれ。

当作品にはタイトルが無く、勝手に「西洋の婦人像」としていました。わざわざこのような西洋人を描くのに、どんな意図があったのだろう、見るたびに首をかしげました。

これとは別に、ひごろ倉石氏の作品や資料を探して、インターネットで「倉石隆」を打って検索していました。ネットのお陰で何冊か貴重な本が手に入りましたが、ある日氏が挿絵をしているバルザックの小説「従姉妹ベット」(河出書房出版 世界文学全集 第42巻 昭和46年3月1日再版発行)が古書として売られていることを知りました。西洋の婦人像が来てから3,4年後のことです。

綿密な図録である新潟市美術館出版の「郷土作家シリーズ 倉石隆」の資料に従姉妹ベットはありません。一体どんな本、そして挿絵なのか。申し込んだ品の到着を心待ちしました。

 

表紙のベット届いた本の帯の女性の髪飾り、眼差し。「西洋の婦人像」はこの人にちがいありません。
上掲の油彩は習作にしては完成度が高く思われます。
ベットへの特別な思いが、あらためて油彩制作へ向かわせたのでしょうか。

挿絵のベット文中挿絵のベット。
油彩画よりふっくらして鼻が大きく異常に細い指。淡いブルーが掛けてある。

挿絵原画上掲の原画(エッチング)

 

ところで今年11月はじめ、東京のある方のご厚意で倉石隆の版画を何枚もお届けいただきました。中の数枚は従姉妹ベットの挿絵原画(銅版画)で、とても感激しました。

バルザックは小生の高校時代に谷間の百合を読んだことがありましたが、従姉妹ベットは知りませんでした。
しかし小説を読むに従って倉石氏の油彩人物画は復讐劇の主人公ベットを見事に描き出していることを知りました。

それにしましても美人画が多い絵画の世界で、取り残された女性を存在感をもって描く。倉石隆の才能にあらためて驚かされます。

また書物「従姉妹ベット」に出会ったのは検索サイトで、版画の送り主さんが樹下美術館をお知りになったのは当館のホームページからでした。インターネットは不勉強な美術館長に思わぬ発見や繋がりをもたらしてくれて助かります。

 

樹下美術館は12月24日で今年の営業を終了致します。来春は3月15日開館と致しましたが、ベットの油彩と本、それに原画の銅版画を揃えて展示したいと思います。

2026年2月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

▲ このページのTOPへ