催し二題

2007年11月16日(金曜日)

樹下美術館館長は30数年の町医者を営む医師です。毎週木曜の午後は休診にしていますが、大抵色々と用事が入ります。このたび15日木曜午後は当地の小学校で来春就学する園児の健診がありました。みんな個性的で可愛いく、診ていてとても幸せでした。
終わってから60キロ先の長岡市へ急ぎました。当地で開催されている「第55回全国博物館大会」のパネルディスカッションを聴くためです。
テーマは博物館の災害時リスクマネージメント。震災における文化財保護の社会的な順位の低さが指摘され、複雑な気持ちで聴いてきました。
夕刻のレセプションで北方文化博物館館長とサントリー美術館支配人にお目にかかれて光栄でした。
個人的に何かと忙しくよちよち歩きの小館ですが、関係する協会などの入会も果たしていきたいと思っています。

 

秋好日 歌舞伎を観に行く

2007年11月11日(日曜日)

私たちから見れば東京もわが周辺と言えなくもないということで、11月2、3日の上京を掲載しました。

 

荒川に遊ぶ水鳥

直江津の川に遊ぶ水鳥。橋のたもと、水鳥、そしてこれから向かう東京。さい先よく業平(なりひら)の風景が。

 

直江津駅構内の駅弁売り

はっぴに鳥打帽でレトロな風情。

 

歌舞伎座の提灯

夜、4演目の歌舞伎を見た。出そろった15人ほどの役者たちが無言でゆっくり舞台を動き回る不思議な演目「宮島のだんまり」は印象的だった。全体を通して菊之介は美しく、仁左衛門はきりりとして良かった。

 

クレープシュゼットの火

同夜の食事の最後は初めてのクレープシュゼットだった。 暗闇に炎が立ち上がって出来上がり。

 

銀座WAKOのウインドウ

翌日の銀座WAKOのウインドウは魅力的だった。午後は東京都美術館で印象派からピカソ、レジェまでみた。私が子供の頃、家で初めて飼った犬の名がレジェだった。父が付けた名だったが、胴長な犬なのでチュービズムと言われたレジェに符合していたのか、と急に思いついた。

荒天の日 -根知の色-

2007年10月21日(日曜日)

10月20日、直江津駅前のフリーマーケットへ出かけました。
季節風吹きすさぶ通りで、暖かみのある包装の寿司を買いました。
糸魚川市根知谷の笹寿司とありました。家で開けてみますと当ページ9月3日掲載「根知山寺の延年」の鮮やかな装束色を思い出しました。
ところで現NHK大河ドラマ「風林火山」で信玄に追われる村上義清は謙信を頼って越後に逃れます。謙信の厚い信頼のもと義清が任されたのは根知城でした。
根知はその後も様々な時代の波に洗われるようですが、美しい延年や素朴な寿司の色に、ふと人々の変わらぬ願いのようなものを感じました。雲たれ込める荒天の日に再会した素朴なハレの色でした。

 

秋は更けていく

2007年10月15日(月曜日)

このところ夕刻になると近隣の湖沼から海へと雁が渡ります。声とともに羽音まで聞こえますのでもの悲しいのですが、里ならではの詩情です。

 

 

里の夕 道に草花空に雁 ひと目ひと耳 秋は更けいく

去る6日(土曜)夕刻、チェンバロ演奏会を致しました

2007年10月10日(水曜日)

 

10月6日夕刻、樹下美術館陶芸ホールでチェンバロ演奏会が行われました。
大潟区の友人ご夫妻のご好意で企画され、お陰さまでささやかながら暖かな会となりました。
ホールが小さいので来年は2部でお知らせして出来ればと思いました。
東京から貴重なチェンバロをお運び頂いて演奏された加久間朋子様、梶山希代様、お客様、企画頂きましたお二人様、本当に有り難うございました。

実りの頸城平野

2007年9月17日(月曜日)

今年の稲作は好調だったのではないだろうか。頸城平野はあふれんばかりに実り、雀は歓喜の様子でした。20日に当館は初めて展示更新致します。今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。

                        大潟区潟田

 

雀の群れ

初秋…根知山寺の延年(おててこ舞)

2007年9月3日(月曜日)

ホームページ、特に周辺の四季を設けて以来、少しずつ近隣に出かけるようになりました。去る9月1日土曜午後、かねて知人に勧められていた新潟県糸魚川市の山間に伝承される「根知山寺の延年」を見に行きました。
親以外の大人が子供を世話すること、一貫した「かしこまり」、舞う子供の責任と名誉など、祭りが表象する地域継承と豊壌への願いについてあらためて打たれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋・展示作品入れ替え

2007年8月29日(水曜日)

○9月20日から絵画、陶芸とも一部を残して多くの作品を入れ替えます。
○ホール展示の倉石隆氏絵画について簡単な説明文をお渡しします。
○館内「今月のゆかり」では「一枚の写真一冊の本」と題して、珍しく二人が一緒に写った写真を展示します。同時に芥川賞作家・小田獄夫(上越市出身)が著し、陶斉、倉石ほか童話作家・坪田譲治、写真家・濱谷浩、画家・賀川孝と彫刻家・岩野勇三など上越ゆかりの人々が関わって出版された書物「高陽草子(昭和48年出版)」をケースに展示して説明文をお渡しします。今後作家ゆかりの人々の書籍、小品、写真などをささやかながら順次ご紹介して参りたいと思います。
○すでに倉石の油彩と銅版画の小品5点をカフェ、廊下などに追加展示してあります。

晩夏 -雲の秋-

2007年8月24日(金曜日)

昨日、新潟で医師会の会議が早く終わりましたので帰路は高速を止めて、夕刻迫る頃海沿いの国道を走りました。久しぶりの浜道、雲すがすがしく佐渡も間近に見えました。
柏崎の通過はやはり胸が痛みました。一帯では暮れてもなお復旧作業が続けられていました。
帰宅すると柏崎の方からお手紙が届いていました。仮設に入られたそうですが、お仕事を再開されほっとされたお気持ちが伝わってきました。

 

角田岬灯台

 

越後七浦

いつ見ても美しい

 

サーファー

佐渡を背に入り江を独り占め

 

米山を望む

柏崎方面はやはり胸が痛みました。

残暑お見舞い申し上げます

2007年8月16日(木曜日)

 

夕刻過ぎ、暑さでやつれた庭に水まきをしました。
旁らの灯り近くにギンヤンマが飛来しました。しばし彼とともにすごしました。

齋藤三郎の版木とハガキ

2007年8月15日(水曜日)

 

 

陶齋の最初の弟子となられた志賀重雄氏(東京都)から先日いくつかの資料が届けられました。その中にハガキ用の版木がありました。
前回の「今月のゆかり」でご紹介した昭和20年代に父宛に送られた、はがきにあった版画に類する版木でした。
版画や陶印を彫る陶齋の刀さばきは素晴らしかったと、志賀氏が述べておられます。ハガキと共に館内に展示しました。

盛夏 -秋へと移ろう-

2007年8月6日(月曜日)

去る日曜日に訪ねた頸北湖沼の長峰池と新潟県立大潟水と森公園です。旧盆を控えて野は秋へと移ろう気配でした。

 

 

ノコギリ草。

 

ホバリングするギンヤンマ。

 

ご存じシオカラトンボ。

 

この池で 紅絶やさずに あきつ居る
「ショウジョウトンボ」。私には珍しいトンボでした。

行水の花 -姫檜扇水仙-

2007年7月23日(月曜日)

梅雨から盛夏へ庭隅、路傍によく見られる花です。佐賀県出身で92才の母は、「子供のころ、行水をするといつもそばで咲いていた」と言います。
この花に似つかわしい話だと気に入っています。姫檜扇水仙(ひめひおうぎずいせん)と言うそうですが、長い名なので私の中では「行水の花」です。

地震・続報

2007年7月20日(金曜日)

 ようやく国道8号線が復旧しましたので、19日午前6時、混雑を避けながら柏崎市へ向いました。現地直視と柏崎市医師会長との面会が目的でした。みどり麗しい刈羽の地が醜くうねり、ひび割れ、倒壊して痛ましいばかりの変貌でした。一帯を一瞬にして悪夢と化させた自然の威力には、特別な意味が含まれているように思われてなりませんでした。
 そして惨状に対して僅か168センチばかりの人々が集まりあい、気力を尽くして復興に向かう姿も本当に印象的でした。 
 先日当美術館を尋ねて下さった方が、倒壊した家屋とともに被災者としてテレビで放映されていました。強く胸が痛みました。どうかどうか頑張ってください。
 被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

館長

     
     

地震

2007年7月17日(火曜日)

樹下美術館館長は上越医師会の役員をしています。地震発生の16日当日、自家では10個ほどの器類が破損した程度で済みました。また美術館は展示ケース内の皿が一つ倒れましたが、無傷で助かりました。身辺を確認して、念のため医師会と市役所に出向きました。途中で多くの救急車と出会いました。ふだん目にしない遠隔地からの車が多く、上越市内の病院が中心被災地の患者さんを受け入れていることが分かりました。
 かなり安定して見えた上越中心部でしたが、柏崎市に隣接する柿崎、吉川の両地区では相当に状況が異なることが午後から分かってきました。そこで夕刻、同地の7つの診療所を回りました。物品や医療器具が散乱し手が付けられない状況の高齢医師宅。駐車場に大きなダメージを受けた中堅診療所など想像を超える状況を目の当たりにしました。
 夜になって中心被災地の柏崎市医師会長と連絡がつきました。彼は「柏崎市内にあって、こちらから入っていけない避難所がある。上越市側から入れる可能性があるかもしれない、行って見てほしい」という訴えがありました。
 事務長を伴い22時近く同地へと向いました。国道は通行止めでしたが選んだ裏道から幸運にもまっすぐ入る事ができました。停電断水の真っ暗な集落の体育館には100人を越える被災者がいました。係の方の案内で外傷を含む4人の患者さんを診ることができました。一回りし終わる頃、大変驚いたことに福島県から重装備のDMAT医療チームが避難所に到着しました。医師二人のほか看護師など4人、救急搬送も宿泊ケアも可能な頼もしいチームです。彼らに骨折の疑いがある患者さんの搬送依頼と同夜のケアを引き継ぐことが出来ました。隣接市で孤立している避難所医療で他県のチームと一定の連携ができてたことは貴重な経験でした。帰路、念のため夕刻訪れた上越市側の被災地区避難所にも寄りました。具合のすぐれない方が何人かおられ一通りのケアをして深夜に帰宅しました。
 大変残念なことですが、この数年新潟県は災害に見舞われ続けています。「待つより行ってみろ」、かつて耳にした経験地医師の話が実感として分かりました。突然の被災に対する組織と個の対応で現実的なヒントの多い一日でした。

 

 

     

 

     

 

     

 

   

福島県から到着した医療チームの車
(DMAT)

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