小3の凄まじい体罰 その2。

2025年9月8日(月曜日)

昨日はB先生によるC君の吃音に対する暴力的な振る舞いを記しました。先生が行った方法は軍隊やかつて話題になった戸塚ヨットスクールのそれに類する教育あるいは矯正だったのかもしれません。

しかし私達には決してそんな風に見えませんでした。行為はC君を徹底的に痛めつけ疲労困憊させれば忌まわしい吃音も姿を消すだろうという妄想的な執念に包まれ、暴走を駆り立ていたのではと振り返られるのです。

私は運動場の一件で事態は終わっていたと長年考えていましたし、後年級友たちと話す場合一様に話題は運動場の柔道に限られました。
しかしたまたま2013年と15年に樹下美術館を訪ねてきた分校同級生D子さんによってまだ続きがあったこと、それもさらに深刻だった事を聞くことになります。

Dさんの事に少し触れますと彼女は分校、本校、中高などを一貫して非常に優秀な成績で通し、東京の最難関女子大を現役で突破する秀才でした。そのうえスポーツ面でも花形、何より際立っていたのは声の良さと美しさでした。

Dさんは2013年と15年の秋に二度樹下美術館に来館されました。二回目の折、D先生とC君の話を知ってる?と訊かれました。柔道で投げ飛ばした話でしょう、と言うと、実はあれはその後も続いたんです、と言って以下のような会話になりました。

私)まだあったの。
Dさん)そう、学校の前の庭に深い防火用水があったでしょう。あそこへC君を連れ行って投げ込んだの。
はーっ?
泳げないCちゃんは浮いたり沈んだりおぼれそうになり、あわてて先生は服のまま飛び込んでC君を抱いて陸に揚げたの。
えー!完全に事件だね。
そうですよね、、、。
※防火用水池::縦5メートル横3メートルほどの池で大人でも背が立たないと聞いていました。

彼女はこの驚くべき話をある種淡々とまた最後には一種しんみりとした口調で終わったのです。私達とは何か異なった見方があったのでしょうか。

運動場でのことは大抵の級友が知っていますが防火用水の一件はDさんのほかは多分誰も知らないような気がするのです。偶々ということがあるかもしれませんが私にはうっすらとした謎として残りました。

それから10年が経ちみな二十歳を迎えました。分校で過ごした生徒は郷土の希望、新しく出来た鵜の浜温泉の一室に集まって祝いをしました。

時間がかなり過ぎましたので続きは次にさせてください。

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