花鳥・庭・生き物

百合

2009年7月6日(月曜日)

 樹下美術館隣接の庭で満を持していたテッポウ百合が一斉に咲いた。テッポウユリの花期は案外長く、匂いもスッキリして本当にいい。ピンク系もあってまだ100本ほど咲いてます。よろしければお暇をみてごらんください。

 

時を惜しむ様子がけなげ。

昼間の百合

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花かげのナデシコも可憐 

夕暮れのテッポウ百合

昨日午後、「降りて行く生き方」の上映会に行った。それから遅くまで草取り。暗くなっても百合の白さは特別だった。

紅(べに)へ

2009年6月21日(日曜日)

 閉館して夕刻にミーティングをした。厄介が苦手な私はミーティングが苦手。しかし、環境の理解と手入れは人への対応も深める、などがまとまった。

 

 庭では13日に掲載したガクアジサイ(山アジサイまた紅額?)が真っ赤になっていた。

   
13日:夢見ていた

一週間経って:恋している?

 

 

 ミーティングを終えて雲がよかったので海へ行った。大潟区土底浜に夕日を見る良いポイントがある。この時間は直江津港へと佐渡汽船がゆっくり近づく。

 

 夏になると、昔子どもたちと見た壮大な夕焼けをもう一度見たいと思うことがある。空と雲の全てが万華鏡のように染まり、背後に鮮明な虹が二つ掛かった。台風一過の大夕焼け、柏崎市の恋人岬(ちょっと名前が恥ずかしい)で見た。

   

雨の白花

2009年5月31日(日曜日)

 一昨日「初夏の海に」を書いたばかりなのに今日は一転して雨模様で肌寒い。雨の中隣接の庭で白い花が目立っていました。白花は遠目が効き清潔で心休まります。

 

 これから梅雨に向かって「ノリウツギ」「柏葉アジサイ」「テッポウユリ」「クチナシ」など白花の大御所たちが咲くことでしょう。

 

 樹下美術館には心がつらい方も来られます。そんな方が、自然や庭を見て良かった、というような感想を残されますと、ほっとした嬉しさを感じます。

 

※今夜の兼続で追加:それが上杉じゃ、と兼続の寛容に驚く幸村に余裕の一言。さすがでした。

 

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シラン/白花 シャリンバイ
   
アスチルベ/白花 タイツリソウ/白花
   
バラ オオヤマレンゲ
   
ヤマボウシ ツユクサ/白花

何気ないマンテマ

2009年5月28日(木曜日)

頸城平野の一帯で田植えが終わった。少し前、田植えの直後に強風の日があった。「あんなに強く吹かれると、植えたばかりの苗が浮いてくることがある」と農家の方に聞いた。皆さんの色々なご苦労を聞くと、今更ながら小さなことでは嘆くまい、と思う。

樹下美術館裏の農道で、一面うす赤く花で染まっている所があった。花は30㎝ばかりでほどよい背丈。近づくと懐かしげな小紋を散らしたようで大変可愛い。近づくと可愛いのは、雑草の常、そして人の常かも。

家の図鑑で調べるとマンテマというようだ。江戸弘化年間の帰化植物とあった。年代が同定されるのは運ばれたいきさつが書かれた資料があるにちがいない。「上葉は披針形(ひしんけい)で鋭頭になる云々」といつもながら図鑑の説明は難しい。

帰化植物は本当に多い。自然の寛大な側面といえばいいのでしょうか。

マンテマの群生

アヤメとシジュウカラ

2009年5月20日(水曜日)

 昼、アヤメを見に美術館の庭へ寄った。昨年の春に植えた株が揃って開花していた。アヤメは色が粋で形が引き締まっておしゃれだ。来年もっと増えればいいなと思った。

 

 アヤメを見ていると近くの山桜に掛けた巣箱で賑やかなヒナの鳴き声がした。複数のヒナが育っているようだった。美術館がスタートした2年前に巣箱を三カ所に掛けたが、ヒナがかえるのは初めてだった。餌を運んでいるのはシジュウカラだった。

 

 鳥を撮ったモニターを見ると、逞しくかつ左右対称性が見事だ。そういえば概して動物は左右対称を基本にしている。動くことに存亡をかけると形は左右対称が必要だったのだろう。

 

 そもそも動物以前に出現した植物は、動かずに光を求めることに賭けていた。結果、形はかなり柔軟だ。そして後からやってきた動物は、植物が得た光エネルギーを順に頂戴する(漁る)ために動く必要があった。植物の素朴・素直な形に対して動物が非常に機能的で、どこか狡猾に見えるのもなんとなくうなずける。

 

アヤメとシジュウカラを見ながら、物思う自分のオクテぶりを悲しむ昼でした。

 

アヤメで一つ格好がついてきた 餌取りに出るシジュウカラ
   

   

トクサ

2009年5月14日(木曜日)

 強風の一日、隣接の庭で若いトクサが頑張っていた。この時期人間で言えば学童だろうか。逆光で見ると筒状の茎がセルロイドのように透けてきれいだった。

 

 中で特に幼い個体はツクシに似ている。調べてみるとツクシ(スギナ)もトクサ科だそうで、フシや頭の形は確かによく似ている。いずれもシダということ。花も無く地味だが、どこか風変わりなシダはあなどれない。

 

 下の写真は昨年夏の様子。夏に向かってトクサは真っ直ぐに、いっそう涼しげに伸びてくる。今年は昨年の倍近くに増えているようで楽しみだ。すぐ近くに田んぼがあるので水性に属するトクサはここが合っているのかもしれない。

 

 同じ場所に昨年植えたアヤメが元気な蕾をつけて、間もなく開花を向かえる時期となった。

 

逆光のトクサ

昨年の庭/右の石畳の脇にトクサ

   
   

グループホーム

2009年5月8日(金曜日)

  近くにグループホームがあって、月に一度伺っている。グループホームでは一定の認知症のあるお年寄りの方々が職員さんたちに見守られながら協同的に生活をしている。部屋は個室。介護保険の時代になって伸び、それぞれ地域で大切な場として定着している。

 

 館内は穏やかで、時々皆さんとスタッフさんの歌声が聞こえたりする。今日の訪問では目の前の林に白い藤が沢山咲いていた。
長いつきあいとなったAさんの部屋で小さな箱を見せてもらった。彼女の大好きな可愛い可愛い品が入っていた。ここでは多くの方が、それぞれに大好きな品を持っている。

 

 皆さんが比較的安定していて長くいらっしゃるのが嬉しい。

 

 

押し車の荷台に小さな箱。緑色の蓋が付いている。

 

ゴッホのアーモンドの花の絵に似た白藤。

 

 

春の大潟水と森公園

2009年4月24日(金曜日)

朝、仕事前に上越市大潟区にある公園へ行った。長年の整備が終了した新潟県立大潟水と森公園は、新緑に山桜が混じって穏やかな春に包まれていた。

ここは小学校2年生の遠足先だった。変化に富んだ入り江と半島、そして島もあって水辺の地形は素晴らしい。一帯は古くから埴輪、石器、土器、ヒスイの装身具が沢山出ている。山桜も見応えがあり、この地を選んだ先祖たちの生活感を身近にできる。

エリアは広大なため数カ所に駐車場がある。国道8号線からも近く、近年人の訪れが増えている。

途中でひさしぶりにT氏と会った。東京都世田谷区から仕事で来られ、長く当地に住まわれている。今日、私と同い年だと分かった。こんなに良い場所があるのだから体を大切にして、また会いましょうと仰った。

樹下美術館、当公園、そして鵜の浜人魚館を手頃なお出かけコースとして紹介したいと昼に電話が入った。上越タイムス社からだった。美術館でコーヒー、水辺の森を歩き、海辺の温泉で一風呂。自画自賛も入れてリフレッシュのイメージが繋がる。上越タイムス社には何かと応援をして頂いて感謝している。

花の力 

2009年4月19日(日曜日)

 今日は過ごしやすい晴れ日だった。午前早く常設展示の画家・故倉石隆氏のご縁者がバスで寄って下さった。展示一巡の後、親御さん達は思い思いにお茶を飲まれ、お子さんたちはジュースの後農道へと飛び出した。都会の人たちは皆さんとても田んぼがお好きだ。心和むご来館、あり難うございました。

 

 さて、隣接の庭で50余株のクリスマスローズが終わろうとしている。この花をご覧になるためだけに来訪される方もおられて嬉しい。展示ばかりでなく、美術館が周辺の緑花と一体となって和やかに立っていることを願わずにはいられない。※現在随所にスミレが咲き始めてます。

 

 今夜の天地人、雪割草をめぐる仙桃院と菊姫のやりとりは胸が熱くなった。花の力は偉大だと思う。景虎亡き後も続く涙腺攻撃はどうにも避けようがない。

 

 ドラマは喘ぐように御館の乱を終えた。今夜は兼続が浮揚してダイナミックな展開へと入り始めた。歴史上の人物を織り混ぜながら視聴率を維持するのかもしれない。

 

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美術館囲りの山桜 ゆび先大のアケビの花
   
いわゆるスミレ いつからか増えたスミレ
   

椿/袖隠し

農道で

膝までの丁字桜

お帰り

   

景虎の鮫ケ尾城

2009年4月12日(日曜日)

 今夜の天地人で景虎ともお別れ。終焉の地・鮫ケ尾城は何度も車で付近を通過しているが、現地を訪ねたことがなかった。にわかファンでもこれではいけないと、午後思い立って鮫ケ尾城へ向かった。40分ほどで着いた駐車場には随分車が多かった。夕暮れ時なのに本丸への坂道を行き交う人は絶えない。

 

 花期を惜しんでカタクリが延々と続く。途中、道を外れた暗がりに景虎清水という小さな井戸があった。またこの山中には白いカタクリがよく見られると聞いていたので、花を見ながら登った。

 

 はあはあと急な登りを約30分。孤立感ただよう山頂に本丸跡とその向こう下に米倉跡があった。急峻な山頂のため両方ともに小さく感じる。しかし小ささが、かえって物語のリアリティとイメージを浮上させて、胸が熱くなった。背後は深い谷と山々、、、。ここに追い詰められたら誰でも観念せざる得ないのでは、と思った。故郷を遙かに、景虎の無念はいかばかりだったか。

 

 そして今夜の天地人。景虎も華姫も哀れで、妻の前でうるうるしていた。両人が最後を過ごした場面は、夕方見た本丸跡の雰囲気に合っていた。死を前に強まる絆と浄化。最後、景虎にいいセリフがあって二人の御館の乱は何とか終った。しかし脚本家と演出家は苦労したのではないか。草場の陰で景虎はどう見ただろう。

 

 私が初めて御館の乱を知ったのは、高校時代の地域史の本からだった。一帯で繰り返された両軍の焼き討ちの凄まじさに慄然とした覚えがある。

 

 

景虎の清水はつとに悲しけれ 今はの水もここで汲みたか

 

 

 

景虎の無念を今に鮫ケ尾城 白きかたくり姫とあい咲く

(もっと真っ白な花もあるようです/思い→無念に後日直しました。)

 

山頂まで続くかたくり

 

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山頂(本丸跡)から。はるか左が御館だと思います。

敵中をよくここまでたどり着けたと感心します。関川を遡ったのか山道を辿ったのでしょうか。

※感想①せっかくの名所、景虎清水はもっと手入れをすればいいと思った。

※感想②鮫ケ尾城は春日山城よりもピュアな物語性がある。短時間の訪問だったが手頃に感じた。少し本気で取り組めば、さらに多くの人を魅了しよう。

 あちこちの天地人のノボリは現場を軽くしていた。少なくするか、早目に取り去った方が良いのではと思った。

 

 

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