文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ

訴えと反応。

2023年12月12日(火曜日)

樹下美術館は2007年6月10日に開館しましたので今年は17年目でした。
ところで現在ブログを書いていますが、当初は「樹下だより」として、ホームページにイベントやふとしたことを載せ、月に1,2回掲載していました。しかし「一年ほど過ぎると内容がブログに近いということで「日頃草子」と名付けてカテゴリーを独立させました。

出来れば毎日の更新ですが、初めからそれは無理と考え、三日以上は空けない程度の気持で、何とか今日も続けている次第です。
途中2018年だったでしょうか、タイトルの「草子」が偉そうな感じで気になってきましたので「樹下のひととき」に変えました。

その時色々考えた中から「樹下の一時」、「樹下のひと時」などに絞りましたが字面の柔らかみがいまいちで、髙田のブロガー丸山智慧子さんにメールで相談し、「ひととき」を勧められ、即座に決めた経緯がありました。

話変わりますが、何度か登場している現在展示中の鈴木秀昭さん作「色絵金銀彩天空茶碗」です。この茶碗に何人かの方が感想を述べられ、12月4日の当欄で「尾形光琳の紅梅白梅図屏風の雰囲気」や「エゴンシーレを思わせる」などの感想があり、それを聴いた私は「宇宙琳派」と言わせてもらいました。

ところがほかに「クリムトのよう」と言った人がいて、先日来館された良寛研究家・小島正芳さんは「加山又造を思わせる」と仰いました。いずれも「なるほど」と感心しました。

五つのたとえをもらっている
「色絵金銀彩天空茶碗」

この件に関して時間がある私は宇宙琳派からついに「天空琳派」へ変えさせてもらいました。

さて斯く色々な方に意見や感想を聞くのは楽しくかつ有意義なことで、思えば難題山積だった不肖上越医師会長時代のこと、いよいよ解決や実行に行き詰まると会議を開きました。何度も何度もです。すると理事や委員から良い意見や方法が突然のように飛び出し、解決の突破口になったことをを少なからず経験しました。

三人寄れば文殊の知恵ではないですが、忙しい皆さまに集まってもらうのですから、予め真剣に考え課題を整理し心から訴えることは常に必要でした。

上記の茶碗の感想は会議ではありませんが、良く出来た作品には静かに訴える力があり、ご覧になった方は思わず反応されることがあることを知りました。

以下は1936年製作のチャーリーチャップリン主演映画「Smile」のテーマ音楽で、後年の演奏です。


チャップリン本人の作曲ですから
本当に驚きです。

映画の「Smile」は歌無しでしたが、1950年代に歌が作られナット・キングコールが歌い、後年マイケル・ジャクソンがダイアナ妃の追悼音楽会で歌ったようです。

小島正芳先生と発行予定の著書「良寛の生涯と芸術」 竹。

2023年12月10日(日曜日)

二日続きの晴天のあとの本日はさすがに小雨模様。
されども比較的温かだった。
今年の樹下美術館は余すところあと5日となった。気のせいか今年ほど終了間近となってお客様が多くお見えになる年は珍しいのではないか。

そんな本日新潟市から良寛研究家の小島正芳先生が顔を出された。先生は来年早々の出版予定である著書「良寛の生涯と芸術」の表紙見本のプリントを持参された。500ページに及ぶ大著だ。

「良寛の生涯と芸術」の表紙見本。
2024年1月 考古堂発行予定。

背表紙に「良寛研究の集大成」とされているのが→「良寛研究の新発見紹介」と直されている。集大成ではお終いとなり、意にそぐわないこと、さらに最終校の段で新たな事実が見つかったので追加し間に合ったとニコニコされた。

名や地位へのこだわり無く、お好きな良寛研究に足を使い汗して長く探求された貴重な一冊。
先生のことだから、上から目線の堅い書物ではなく読みやすい、もしかしたらどこから読んでも面白い本になっているのではと、楽しい期待をさせて頂いた。

来年になったら倉敷市に行き、美術館や瀬戸内とともに良寛さんが修行した備中玉島の円通寺を訪ねる予定がある。繰り返し円通寺を訪ねられている小島先生から色々教えて頂いた。

円通寺から海が見える事も知った。良寛さんの故郷出雲崎も海と佐渡島が見える。玉島で10年におよぶ孤独で厳しい修行中、師は海を目にしては郷里を思い慰められたことだろう。

ところで円通寺境内に竹藪があり、小島先生が仰るには“筍や竹は中が空洞で「空や無」を表している。そのうえ、ふしがあることで節度、さらに重圧を跳ね返すしなりを有する事などから禅の修行で着目される植物”とお話された。

齋藤三郎作「染め附け竹文水指」

また同寺に良寛堂ほか師の立像や詩碑があり、岡山県で「聖良寛」と呼ばれ、さらに同県の三大茶会の一つに「良寛茶会」があるなど良寛さんは非常に重んじられているという。
とても嬉しい事で、瀬戸内の陽光と円通寺の茅葺きの佇まいが見られる事を今から楽しみにしている。

本日お越しの皆様まことに有り難うございました。

久し振りのSPレコード。

2023年12月9日(土曜日)

冬に希な二日続きの晴天。樹下美術館の今年開館が1週間を残すことになり色々な方に寄って頂いた。
A氏が久し振りにSPレコードを持参され居あわせたお客さんたちと聴いた。

あらためて平和を祈ろうと、初めに鐘のテーマで、エディット・ピアフの「谷間に三つの鐘が鳴る」と藤山一郎の「長崎の鐘」を掛けた。
最初の曲は人生の節目である誕生、結婚、死に際して谷間に響く三度の鐘を歌っている。三回目の鐘が戦死で無い事を祈った。

「長崎の鐘」は長崎市で被爆し、妻を失いながら被災者の治療に専念、自らも亡くなられ医学者への鎮魂と長崎市民の希望を繋ぐ歌。


昭和24年発売レコード「長崎の鐘」
藤山一郎の歌。

私の年代では知らない人がいない歌の一つ。
私自身昭和43年、医療に踏み出した年、九州を一州するきな団体旅行の医療班バイトとして同行した時、長崎市でバスガイドさんが歌うのを聴いた。
歌は昭和26年の第一回紅白で大トリとして藤山氏が歌い、その後昭和56年まで三回紅白で絵歌われたらしい。

以下は本日かかったレコードの一枚、D・リパッティによるショパンのワルツから。
リパッティはなかなかのダンディ。


本日のSPレコードから
ショパン、ワルツ10番。

黒い帽子が似合うA氏が羨ましい。

慌ただしい日にご来館頂いた皆さま、代議士のUさん、有り難うございました。良い一日でした。

好天の日 「MY Foolish Heart」 明日明後日には晴れ間も。

2023年12月7日(木曜日)

晴れても一日、しばしば半日のいま時。本日の空は荒れたが何かと名残を惜しむ来館者さんたちが寄って下さった。

午後皆さんとお会いして、田んぼに白鳥を探しに行ったが一羽の影も無く、荒れた雲が光芒を引きながら移動するばかりだった。

強風区間のためこの日もほくほく線はのろのろと進んでいった。

戻ると静かになったカフェの窓からアラレで白くなった庭。まだ初雪ではない。

日頃の心を顧みて「MY Foolish Heart(愚かなりし我が心)」です。


1949年の映画主題歌の後年の録音。
原作は「ライ麦畑でつかまえて」

明日、明後日と温かい日射しが現れる模様、エナガや白鳥が撮れれば幸運。

夕刻から同業者ゴルフ会の忘年会があった。たかだか15年前のこの月には10回もの忘年会があった。時代は移り忘年会も古くなったのでは。

東京、神奈川からのお客様 旧師団長宿舎 落ち葉の大潟水と森公園 薄茶点前で エゴンシーレ・琳派風の茶碗 。

2023年12月4日(月曜日)

昨日日曜日も雨降りで、昼前に神奈川県から美大出のご夫婦とその友人が新幹線で見えた。出迎えてから上越市内大町の旧師団長官舎のレストラン「エリス」でランチをご一緒した。

館内は一段ときれいになり、各地から選んだ旬の食材を丁寧にあしらった料理を食べた。

いつ雪が降ってもおかしくない
初冬の館。

 上越市とは思われない
麗しい館内。

磨かれたグラスは良いレストランの証し。

筒石のイカと金柑の料理

 

長崎のスマガツオと黒姫大根の料理。

齋藤尚明さんの蓋物の器が
嬉しい佐渡サーモンと
ル・レクチェの料理。

メリハリが効いた美味しい料理の数々。明治時代の建物で時空を越えた贅沢な時間を過ごした。

三人の宿は眼下に冬の日本海が荒れ狂うホテルハマナス。客人は「凄いなあ」と歓声をを上げた。冬の日本海の波濤は貴重な観光資源だと思う。

一夜明け、本日日曜日昼に「絵付け陶芸三人展」をご一緒した。黒岩卓実さんの軽やかで壮快な赤絵、鈴木秀昭さんの凝縮された宇宙、正木春蔵さんの慎ましい美意識など共感し合い楽しく眺めた。

それから腹ごなしに大潟水と森公園を歩いた。

公園の落ち葉と足許。

帰ってから茶室で妻が点前して薄茶を飲んだ。

藤村正員の「雪聲」の軸。

展示中の鈴木秀昭作
「色絵金銀彩天空茶碗」。
器は大きく十分濃茶も行けそう。

上掲の抹茶茶碗をご覧になった本日のお客さんは「エゴン・シーレ」のようだと仰った。
その前にある方が尾形光琳の「紅梅白梅図屏風」のようだと仰っていた。
いずれもその通りの頼もしい感想であり、ずるい私は「宇宙琳派」と、良いとこ取りをさせてもらうことにした。

気持ち良く晴れた日曜日 賢治のこころの本の一節 エナガとコハクチョウ 

2023年11月26日(日曜日)

昨日の悪天候とは打って変わりよく晴れた日曜日。昨日の仕事終了時、コロナワクチンが1本残っていた。これどうしたの、とスタッフに聞くと、先生のですという。
私の場合、全てのコロナワクチン接種は熱は出ず倦怠感もほとんどないが接種部位の痛みが数週間続く。
昼近くに打ち昨夕から始まった左上腕の痛みで寝る向きを決めるのに苦労した。

本日昼少し前に美術館へ出てると寒かったが風は無く良く陽が射していた。スタッフにサラダの大盛りを作ってもらい田んぼのベンチで朝昼兼用のサンドイッチと果物を食べた。

厨房にあったお客様用の軽食。
とても美味しそうだ。

私の食事と読んだ本「宮沢賢治のこころ」。司修(つかさおさむ)さんの章「詩は童話、童話は詩」を読んだ。司さんの本は時空が多様に変化するが、脈絡が丁寧なのでほかの人の章より興味深くまた読みやすい。

賢治が妹とし子の臨終を詠んだ「永訣の朝(抄)」は胸が潰れる思いがする。これまで多くの人を看取ったり経過を看たので臨終の切実は分かる。

永訣の朝(抄)で、とし子は喘ぎながら「あめゆじゆとてちてけんじゃ」と何度か言う。あめゆじは雨雪(雨雪→みぞれ?)ではないかと思ったが(後段にそう説明もあった)、「とてちてけんじや」」は見当が付かなかった。
司氏の説明に「取ってきてくれますか」とあった。とし子は外に降るみぞれを取ってきてと喘ぎながら頼んでいるのだ。額にあてたいのか、あるいは食べたいと言ったのかもしれない。

病気は恐ろしいもので、しばしば病に苦しむ人を容赦なく高熱が襲う。熱は面倒だが一方で「うなされる」「意識朦朧となる」などの現象が生じ、臨終では通常耐えられない苦しみを緩和しているように見えることがある。

多くの看取りからもう一つ、高熱は臨終において体力の消耗を早め、結果として苦しみを短縮する働きがみられることもあった。

そんな訳で熱など好ましからざる事象は因果関係はともかく、ある場合においては苦しみの緩和や短縮に働くことがあるというのも不思議なことだ。

ちなみに賢治はとし子が息を引き取ると押し入れに頭を突っ込んで号泣したそうです、と書かれていた。ちなみに私は父の時も母の時も、辺り構わず恥ずかしいくらい泣いた。

食事と本の後、腕は痛かったが隣の空き地でゴルフボールを打ち、後に大池いこいの森へ向かった。

あわよくばエナガがきてくれればと待ったが中々現れない。待ちくたびれて少し移動すると、チーチー、シーシーとあたりに声がしてシジュウカラと一緒に何羽も現れた。

パッパッと素早く動くのでカメラはなかなか間に合わない。
何とか数枚は撮れたので美術館に戻りハーブ茶を飲みながらモニタを見た。すると私のメラを見たある男性に話し掛けられた。
その人は風景は雲が大事ですね、エナガですかシジュウカラと仲良しですね、などと本当に良いことを仰り、ひとときご一緒した。

頃合いを見て朝日池へ。しょっちゅう通っているので恥ずかしいが、短い期間しかないので通うほかない。

カメラの時刻で午後4:22

午後4時59分、池の東方向
池は喜びの声でいっぱいになる。

いつか動画にして鳴き声もつけてお出ししてみたい。

爽やかに晴れた日曜日、開院20周年記念のコンサートがあった。

2023年11月19日(日曜日)

本日よく晴れた日曜日、午後3時からA先生の所で開院20周年の記念コンサートがあった。
ピアノ小松園子さん、バイオリン腰高多恵さん、フルート田中志都さんによるトリオアンサンブルだった。
院内を待合室中心に広く工夫され立派なホールに設えられ、100人近い入場者さんで一杯だった。
プログラムはショパン、モーツアルト、ビゼー、チャイコフスキー、久石譲etc、ガーシュインのメドレーほか初耳の曲もあり、終始楽しい音楽会だった。

ツィゴイネルワイゼン、熊蜂の飛行、モンティのチャルダッシュなどテクニカルな曲の熱演、モーツアルト「フィガロの結婚」はエレガントに、チャイコフスキー「眠れる森の美女」のワルツのオリエンタリズム、ニューシネマパラダイスで交錯するバイオリンとフルートのスリリングな和音、ガーシュインはラプソディインブルー、アイガットリズム、ス・ワンダフルなどがちりばめられ、みな心ゆくまで楽しみました。

プログラム

チラシ、当日のプログラムとも美しく、選曲バリエーションが素晴らしく、安定したピアノのリードにバイオリン、フルートの熱演は高い天井に響き、本当にブラボーでした。

色々と忙しいお支度は大変だったことでしょう。
A先生ご夫妻、スタッフの皆さま、20周年お目出度うございます。お陰様でとても良い日曜日でした。

「生誕140年 小林古径の世界 」 朝日池、コハクチョウのねぐら入り。

2023年11月18日(土曜日)

上越市立小林古径記念美術館で10月21日から始まっている「生誕140年 小林古径の世界」は明日で終わる。本日出かけたところ5章に分けられた一級品揃いの充実した内容で来館者も多く高揚した気持で回った。

お忙しい笹川副館長さんがほぼ一緒して下さり繊細かつ多様な線、空間と構成など日本画の、なかんずく古径のエッセンスに触れることが出来有り難かった。

展覧会図録を買い忘れたので明日再訪し全国主要な美術館の収蔵作品を網羅した貴重な展覧会をもう一度脳裡に収めたい。

古径記念美術館への往路、稲田橋を見る。つかの間の晴れ間、強風に洗われる空の色と雲が良かった。

入場券

美術館を出ると晩秋の外堀と南葉山。

まだ明るかったので地元大潟区の朝日池へねぐら入りする白鳥を見に寄った。

 

 

 

湖面はせいぜい15~20分で真っ暗になる。何とか写せるのはISO感度のおかげ。

朝日池の白鳥はさらに数を増しているように見受けられた。

本日西日本は当地以上の厳しい寒さに見舞われたようで広島市などの降雪風景がニュースで報じられた。今冬は暖冬、厳冬どちらだろう?

読書「宮沢賢治のこころ」 柿崎海岸 来館したU君 田と朝日池の白鳥。

2023年11月16日(木曜日)

本日休診の木曜日は午前9時に起きて「宮沢賢治のこころ」という本を読んだ。本は先日の上京時に持参し往復の新幹線や夕食前などの時間に読んだ。
著述家や画家など6人の賢治ファンが書いた本文が150ページと比較的短く一通り読み終えていた。

しかし一読ではみな忘れてしまうので一旦読んだ本も2、3回また読むようにしている。
この度は画家・作家・装丁家・絵本作家の多彩な司修(つかさおさむ)さんの「詩は童話、童話は詩」のセクションの2回目を読み始めた。

氏は樹下美術館の画家倉石隆と同じ主体美術協会に所属されているご縁で2010年9月に当館で講演をして頂いている。
心の奥底に照らされる氏の物語は画家らしく複雑な遠近法のようであるが、時に伝聞から俯瞰、そして接写へと及び、そこから対象を突き破るように深く入っては飛ぶように出るなど不思議な次元や距離を体験させられる。

まだ二度目の途中なので何とも言えないが、賢治の本(特に詩は)は難しいのと司氏のところが面白いので繰り返し読もうと思っている。

さて10時を過ぎて柿崎海岸へ行った。柿崎は何十回どころではない、数百回も歩いたのではなかろうか。殆どテトラもなく砂浜が残っているので私には海と言えばここしかないという感じだ。

海岸は東西でかなり様子が異なる。たいてい真ん中辺より西を歩くが東側に比べて砂浜は広くシーグラスは多い。一方東側は西側より砂利が大きく砂浜の背の崖は高い。上掲写真は西側で、まばらな高齢の釣り人が一斉に帰るところだった。

陽は明るく柔らかかった。

東側の海岸線。ずらりと若い釣り人が並んでいる。

3700歩あるいた後美術館に向け新井-柿崎線を走った。柿崎地区で白鳥の群を見た。

小さな群を見ていると次々にほかから降りてくる。白鳥といえば雪上で見る事がほとんどだが、今年は雪の無い黄色の刈り田にいる。稲には二番穂が沢山ついているので今年の水鳥はお腹いっぱい食べているのではなかろうか。

美術館に戻ると中高の同級生U君夫妻が顔を出してくれた。息子の中学時代の校長で世話になり、ほどよい加減で寄ってくれる。
氏は僧籍を有しているので、何故一向宗は一揆を起こしたのに浄土宗は無かったのかなどと無茶苦茶な質問を許してもらい、近いうちに食事を一緒にしようという話になった。

さて去る11月6日の本欄で例年「朝日池」をねぐらとする白鳥が隣の「鵜の池」にいるのを不思議に思って書いた。しかるに本日夕刻に訪れた鵜の池はサギが並ぶだけだで白鳥の姿は無かった。

サギだけの鵜の池。

一方隣の朝日池では、

次々に白鳥が降りてくる。

枯れた蓮でいっぱいの湖面ながら鳥たちは気楽に憩っている風。

ゴルフ場のホテルの明かりが一部灯っていている。だがこれ以上遅くは暗くて撮影は無理だった。

一昨年から12月下旬の短い時期、ホテル全館に明かりが灯り、ある種絶景的な眺めが出現した。今年はどうなるだろう。ぜひとも再度まばゆい湖面を見てみたい。

それにしても鳥たちは鵜の池と朝日池をどのように使い分けているのだろうか。

週末の上京 イタリアン 永遠の都ローマ展 ピエタに涙。

2023年11月13日(月曜日)

先週末土曜日、上京し毎年集う同級生三組の夫婦による食事会に行った。年末が近づくとK夫婦と始めた食事会は間もなくN夫婦が加わり30回近く毎年続いている。昨年Nが亡くなったので昨年に続いて夫人が参加して5人の会食だった。

東京都心は来るたびに変わっているように感じられ、東京駅周辺は数年でさらにビルが林立し空が狭くなる。見るとビルとビルの間に新たな工事が進んでいるので、今後さらに建物のボリュームは大きくなり空は小さくなるにちがいない。

6時からの食事はKが選んだイタリアン。3時間近くも今昔を話し、N夫人に柔らかさが生まれていた。ホテルに帰ると深夜までラウンジで過ごした。アルコールを飲まなくなっているので食事時は水、ラウンジではノンアルのカクテルを飲んだ。

シェフが来て良く香るキノコなどの包み焼きを開いてくれる。氏はしばらく居てイタリア料理の状況などについて話してくれた(田舎あるいは家庭料理から今風の流行など)。

席のそばにあったフィギュア。

東京在住のN夫人と別れた後ホテルのラウンジで深夜まで時を惜しんだ。

ラウンジの眺め。
まるで巨大な光イベント。

翌日はお目当ての東京都美術館「永遠の都ローマ展」へ、。

展覧会パンフレット

撮影可能だった2点。
彫刻が多く会場の
ボリューム感は圧倒的。

以下同展の紹介分の一節です。

二千年を超える栄えある歴史と比類なき文化は、古代には最高神をまつる神殿がおかれ、現在はローマ市庁舎のあるカピトリーノの丘を中心に築かれました。その丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられます。同館のはじまりは、ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼります。
古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、またローマの名家からもたらされた絵画など、その多岐にわたる充実したコレクションは、古代ローマ帝国の栄光を礎に、ヨーロッパにおける政治、宗教、文化の中心地として発展したローマの歩みそのものにも重ねられます。
本展は、カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から古代の栄光、教皇たちの時代から近代まで、約70点の彫刻、絵画、版画等を通じて、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介します。

展覧会ではカピトリーノのヴィーナスに見られた上品な恥じらいは美しく、カエサル、コンスタンティヌス、アウグスティヌスなど歴史教科書で見た人物の突然でリアルな出現に戸惑った。古くはプトレマイオス王朝妃の像まであり、生き生きとした気品に魅了され人知れない作者のことを思った。

あまりに長大なローマの歴史は宗教の軋轢、民族の大移動、度重なる疫病、止まない紛争と戦争にひたすら揺さぶられる。その中で洗練された発想と熟練が必要な芸術がたゆみなく生み出され続ける。
同じ人間の出来事としてくらくらするような不思議を禁じ得なかった(他国、他民族からの尊崇という帝国に必要な要素があったにしても)。
彫刻が多く、館内一杯にあふれるヨーロッパの立体的なエッセンスに包まれると、次第に満足という気持になった。

上掲2点を遠くから。若い来館者さんがとても多い。都会の美術館で感じる事の一つに若い入場者の多さが挙げられる。彼らに混じると気持が高揚し楽しさが増す。当地でもそうあってほしいといつも願っている。

昼食は寿司を食べた。
食べながらK夫人が“かってフィレンツェでミケランジェロの「ピエタ」を見たが、その時のキリストに突然涙が出てきて止まらなくなった”と語った。

フィレンツェの「ピエタ」
ミケランジェによる四つのピエタの一つ。
(Kが送ってくれた写真から)

去る11月2日、美術作品を前に気を失う人のことを記し、10月22日には音楽会で涙を拭くスタッフのことを書いた。そして昨日はミケランジェロの作品に涙あふれたと話す人がいた。みな人間らしく素晴らしいことだと思う。

さて短くも長かった貴重な週末は十分に食べたので帰宅した夕食はカップヌードルで済ませた。
両日とも寒く本日月曜日は今期一番の寒さとなり、午後ミゾレが降り、燕温泉では積雪があった。

2024年5月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ