樹下だより
暖かな大寒の日に絵画のサインを撮影。
倉石隆の絵画のサインを図録に載せようということで、写真を撮りに美術館へ行った。
穏やかな晴れ間の夕刻、遠回りをして雑木林や田んぼを通った。かつて午後4時といえば辺りは暗くなったのが4時40分の空はまだ明るい。
作業の後始末。イーゼルに乗せ照明を当てて30枚近く撮った。
倉石隆の作品には傑作と思われるものでサインが無いこともある。
今朝の新聞は本日の大寒を知らせていた。しかし、暖かい。
拙句) 大寒や見上ぐる空の高さかな
記念砲台 倉石氏と同じ場所 越前海岸からの水仙。
私の高校時代は患った結核のため卒業まで4年もかかり、総じて孤独だった。そんな時代の、数少ない楽しい思い出に、ある日の美術の授業がある。
穏やかな春陽の日、私は一人で学校を出てどこか小高い場所へ行った。そこで関田山脈を背景に桃の花咲く田を描いた。思った以上に旨く描けうっとりするような時間を過ごした。
しかしその後、絵を描いた場所が全く思い出せなくなった。ある場所まで辿ると忽然と消えるのだ。現在母校・髙田高校の周囲には田も高台も無い。あれだけ気持ちよく山脈を見遙かせた場所とはどこだったのか。
ところで一昨日、故倉石隆氏の奥様とお電話で話した折り、氏の髙田中学時代のことをお尋ねした。氏には矢野利隆、賀川孝、矢島甲子夫各氏の同世代で中学からの画友がいる。
そのお電話で、幻のごとき場所の名前が出た。中学時代の倉石氏は、仲間とともに授業をさぼってはよく「記念砲台」へ行ってスケッチをしていたとお聞きした。
記念砲台?うっすら聞き覚えがあった。しかしかすかに耳に残るその場所はどこなのか、判然としない。
そして昨日夕刻、倉石氏の交友関係のことをさらに聞くべく髙田の舟見倹二さん宅をお訪ねした。舟見氏は倉石隆氏より7、8才お若いが、現在も旺盛な制作活動を続けられ芸術家たちの世代を繋ぐ大切な役割をされている。
多岐かつ詳細なお話は興味深いものばかりだった。一段落すると「記念砲台」とは何ですか、とお尋ねしてみた。
「そりゃまた、懐かしいものが出てきたね」と仰った。
現在本城町にある地域振興局(旧上越支庁舎)の場所は、かつて一段高い土手状になっていた。そこを記念砲台と呼んでいたが、陸軍髙田師団の演習地だったようだ。
氏の父君は師団の重要施設・偕行舎を預かる将校だった。それで冬が近づくと百を超える植木鉢に雪よけを施すため記念砲台へ行って茅や笹を刈って運んだ。子どもには大変だったが懐かしい場所とおっしゃった。
同行した妻は妻で「学校のスキー授業が記念砲台であった」と述べた。
格調高い舟見邸の一室。
興味深いご自分の作品が展示されていて見飽きることがない。
髙田の街は変わった。なるほど振興局(支庁舎)のある所に、かつて記念砲台と呼ばれる台地があったなら当時の田も、桃も山脈まで一望できたろう。自分が写生をした場所はそこにちがいない。学校からおよそ10分、方向も距離も体が覚えているものと合っている。
高校時代の貴重なひとときを過ごした場所の謎が、この2日間で突然解けた。そこはかつて倉石隆が授業を抜け出し仲間とともに絵を描いた所でもあったとは、幸運なことだった。
砲台で舟見氏は茅を刈り、妻はスキーをしたという。髙田の人達にとって記念砲台は、色々と懐かしい場所だったのではないだろうか。
※付記:記念砲台で納得出来る絵が描けた午後、とても気を良くして学校へ戻りました。何かと自信が無かった学業や健康でしたが、その頃から自分を包んでいた悲観的な気分が漠然とした希望へ変わりはじめたような印象があります。
この一年で高校を卒業できる、、、「春の記念砲台」。
(記事を書いてからあの日あの頃、その気分などが漠然とよみがえりました。そのため付記の部分を翌日1月15日に追加しました)
本日の東京は荒天となり銀座にも積雪があったという。当地大潟区はみぞれが降ったもののほとんど積雪はない。
夕雲が巨人になった 倉石隆氏のモノトーン。
先日の夕刻、仕事の帰り道が西に向いた。曇り空におぼろげな陽が見えて、ジグザグの雲が掛かっていた。
倉石隆氏によく見られるモノトーンの調子に似ていると思った。縦横一枚ずつ撮影して帰り、写真の上下を変えてみると人が歩いているような姿となった。
逆さにすると夕陽を背に巨人が歩く姿、あるいは種をまく人のようでもある。
とても気に入っている倉石氏の「画室」。油彩 99.0×99.0㎝
夕暮れの空の色から倉石氏のモノトーンの絵が繰り返し浮かぶようになった。そもそも氏の絵画は華やかな色相のそれではなく、陰影を重んじたモノトーン調で描かれるものが非常に多い。グレー系のほか朱色(バーミリオン)も好まれる。
倉石作品の制作年や氏の交友など溜め込んでいた宿題があったので本日昼、久しぶりに奥様にお電話した。とてもお元気なお声に安堵するとともに、モノトーンのことで以下の様な生前のご本人のお話が聞けた。
“南国的な絵への憧れはあるが、色彩に乏しい雪国で育ったためどうしてもモノトーンの傾向になる”
と仰っていたと云う。明快なお話だった。
全くの例外はあろうが、新潟県出身(雪国)の画家には内的で実直な傾向が共通するのだろうか。芸術を形成するいくつかの要素のなかで故郷の影響は重要なものの一つかもしれない。
そのほかにも興味深いお話を伺って有益だった。あと一息の図録、突破口になりそうな気がした。
イヴの日樹下美術館今年の閉館。沢山お越し頂き有り難うございました。
本日クリスマスイブの夕刻、2012年の樹下美術館が終了しました。12月は早い雪など相当な悪天候でしたが、皆様はじめ東京や福井県からのお客様にもお寄り頂き感謝しています。
Hollyなイヴにちなんでyoutubeからジャズピアニスト・デューク・ピアソンによる「Cristo Redentor(クリスト・ヘデントール)」を使わせていただきました。Cristo Redentorはご承知のようにブラジルの首都リオデジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像のことです。
私はキリスト教徒ではありませんが、1970~80年代にこの曲が入ったデューク・ピアソンの以下のレコードをよく聞きました。
ピアソン自身のプロデュースによる1969年「duke pearson how insensitive」。
「STELLA BY STARLIGHT」や「MY LOVE WAITS」など素晴らしい。
樹下美術館の来年度は7年目の節目となります。
●追加作品や言葉の解説などを加えたためすっかり遅れた図録を節目として今度こそ刊行致します。(こんなことを何度言ったことでしょう!)
●6月に昨年好評だったチェロとギターの演奏会を催します。
●10月の毎週土曜日夕刻に「陶齋の器で食事会」を計画致してます。
どうかご期待ください。
小春日和となった日 カルメン故郷に帰る 昭和27年の上京。
このところ雪も降らず風も無く、時に雨の日があったので樹下美術館の雪はおおかた消えた。
夜になると隣室からテレビ映画の音が漏れ聞こえる。いつものように何の映画?と妻に聞く。「カルメン故郷に帰る」だった。一、二度みているが、いずれも断片的だ。
国産初のカラー映画ということ、随所で“色”が意識されていた。木下恵介監督、高峰秀子が綺麗で滑稽、牧歌的な軽井沢と浅間山が素晴らしかった。
昭和26年製作ということ。主役の踊り子が乗る貨車は草軽電鉄の凸型電気機関車が牽いた。
昭和20年代の社会には戦争の傷跡とナイーブな民主主義への期待が織り混ざり、児童生徒であった私にも独特な時代の味わいが残る。
昭和27年、5年生の夏休みに若い叔母に連れられて、姉弟と三人で東京へ行ったことがある。信越線の車列は長く、上野まで長時間かかった。
その車中、痛々しい姿の傷痍軍人がたびたび募金箱をもって現れた。お金を入れるかどうか、子供心に苦しんだ。
赤羽か大宮(あるいは双方?)では駅構内の大きなレンガの建物が大破したまま、爆撃の痕が生々しかった。
三人で一週間ほど寝泊まりして世話になった年配の叔母は、築地で幼稚園を営んでいた。彼女は美しい人だった。
幼稚園では、近くの米軍病院(旧聖路加、現国立がんセンターの場所)の看護婦さんたちの子どもを多く世話していた。お母さんたちが院内の免税店からラッキーストライクなどのタバコをみやげに買ってきたが、叔母は笑顔でそれを私たちに見せた。
他の時の伯母はとても疲れて見えた。銀ブラや読売ホールの音楽会、神宮球場、上野動物園などへ連れて行ってくれたのは若い叔母だった。
「パンパン」「ルンペン」というような言葉を教わり、「私もルンペン」と若い叔母は笑った。僅かの米を持参して上京した三人の子供。昭和20年代の東京の親戚には迷惑な事だったろう。後年幼稚園の叔母にそのことを言うと「分かってくれたかね」とにやりと笑った。今その伯母もない。
「カルメン故郷に帰る」では軽井沢の生徒達が美しいオルガンの音に合わせて男女で踊る。
昭和29年から髙田市の某中学校へ通ったが、ある日、映画「二十四の瞳」の鑑賞学習が市内の映画館であった。やはり木下恵介氏と高峰秀子さんの映画だ。
その往き帰り、男女が手をつないで歩くように言われた。
民主教育の一環だったのだろうが、大変に恥ずかしかった。私は実は手をつなぎたい人がいたが、実際は当然別の人で、覚えていない。
診療所と美術館の忘年会 身から絞り出される血税 超然たる品位の国として。
昨日に続いて雪が一段落している本日、診療所と樹下美術館の忘年会があった。忙しければ頑張り、暇なら耐える一年が終わる。
お世話になる人、支援して下さる人も参加して18人。抽選会、出し物、歌、センチュリーイカヤさんで三時間を過ごした。
女性スタッフ持参のシャベル三味線。
彼女の「シャンシャン馬道中」「十日町小唄」は秀逸だった。
拙宴会などをお出しして真に恐縮です。恥ずかしながら筆者は星降る街角でした。年に一度精一杯の全員参加、どうかお許し下さい。
明日は苦悩の選挙、しかしなんとか投票したい。
選ばれた方は大企業ばかりでない、私たちの「文字通りの血税」を震災復興と国民の健康・福祉・教育文化のため一円のムダ無く使っていただきたい。
大国の思惑が絡むえげつない近隣の挑発に簡単に乗せられることなく、超然たる品位の国として実直に歩むことを心から望みたい。
謎の西洋の婦人像 小説「従姉妹ベット」 そして原画。
樹下美術館の展示作家倉石隆の作品を蒐集し始めたのは1996年からでした。作品はご遺族や関係者からのご厚意のほか画商にお世話いただいた作品もあります。
倉石氏の作品を探す画商のプロ魂に何かと感心させられました。そのうちの一枚が以下の女性像です。
オレンジ系の赤一色で描かれた女性は珍しく西洋人、しかも一種謎めいた雰囲気の作品でした。
強い視線、少し歯並びが悪そうな口元、、、決して麗しい美人とは言いがたく見えます。あまつさえ頭上には暗い赤で湯気のようなものが情念の如く立ち、バックとしては不思議なあしらいでした。
当作品にはタイトルが無く、勝手に「西洋の婦人像」としていました。わざわざこのような西洋人を描くのに、どんな意図があったのだろう、見るたびに首をかしげました。
これとは別に、ひごろ倉石氏の作品や資料を探して、インターネットで「倉石隆」を打って検索していました。ネットのお陰で何冊か貴重な本が手に入りましたが、ある日氏が挿絵をしているバルザックの小説「従姉妹ベット」(河出書房出版 世界文学全集 第42巻 昭和46年3月1日再版発行)が古書として売られていることを知りました。西洋の婦人像が来てから3,4年後のことです。
綿密な図録である新潟市美術館出版の「郷土作家シリーズ 倉石隆」の資料に従姉妹ベットはありません。一体どんな本、そして挿絵なのか。申し込んだ品の到着を心待ちしました。
届いた本の帯の女性の髪飾り、眼差し。「西洋の婦人像」はこの人にちがいありません。
上掲の油彩は習作にしては完成度が高く思われます。
ベットへの特別な思いが、あらためて油彩制作へ向かわせたのでしょうか。
文中挿絵のベット。
油彩画よりふっくらして鼻が大きく異常に細い指。淡いブルーが掛けてある。
ところで今年11月はじめ、東京のある方のご厚意で倉石隆の版画を何枚もお届けいただきました。中の数枚は従姉妹ベットの挿絵原画(銅版画)で、とても感激しました。
バルザックは小生の高校時代に谷間の百合を読んだことがありましたが、従姉妹ベットは知りませんでした。
しかし小説を読むに従って倉石氏の油彩人物画は復讐劇の主人公ベットを見事に描き出していることを知りました。
それにしましても美人画が多い絵画の世界で、取り残された女性を存在感をもって描く。倉石隆の才能にあらためて驚かされます。
また書物「従姉妹ベット」に出会ったのは検索サイトで、版画の送り主さんが樹下美術館をお知りになったのは当館のホームページからでした。インターネットは不勉強な美術館長に思わぬ発見や繋がりをもたらしてくれて助かります。
樹下美術館は12月24日で今年の営業を終了致します。来春は3月15日開館と致しましたが、ベットの油彩と本、それに原画の銅版画を揃えて展示したいと思います。
小さな木の雪囲い 暮れる樹下美術館。
胸までの低い木の囲いが少し残っている。支柱を立てて縛らないと雪の重みで折れたりぺちゃんこなる。
午後を休診としている本日、小降りとなった夕刻、簡単な雨支度をして妻とともに20カ所ほど済ませた。
来年のことなど考えながら、あれこれ木をいじるのは楽しい。また夕刻の美術館を見るのも好きだ。可愛がっている動物が仕事を終え、静かに自分の所に帰ってくるような気がする。
秋の暦が終わる明日、当地は降ったり止んだりだが、雪にはならないようだ。
小さな青空サービス 三回目の鑑賞会 大垣の柿。
今年の秋は雨ばかり、あるいは今年の夏は暑い、または寒い、などおよそお天気の感想は悪い場合が多い。今年の春は何て調度良いのでしょう、というような話はめったに聞かない。
本日は季節風の強い雨交じりのお天気。時々小さな青空のサービス。
三回目となった作品鑑賞会。私自身の勉強にもなり楽しかった。
また柿を頂いた。このたびは岐阜県の柿農家へグループで行かれた方からの見応えある富有だった。一ケを妻と半分こ、芸術品と言っても過言ではない味応えだった。
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