樹下だより

新年明けましてお目出度うございます。

2013年1月1日(火曜日)

越後らしく荒れ模様のうちに、年が明けました。

健やかな年であれ、と念じています。

 

賀正

 

新年早々下手な字をお見せしてしまいました。

イヴの日樹下美術館今年の閉館。沢山お越し頂き有り難うございました。

2012年12月24日(月曜日)

本日クリスマスイブの夕刻、2012年の樹下美術館が終了しました。12月は早い雪など相当な悪天候でしたが、皆様はじめ東京や福井県からのお客様にもお寄り頂き感謝しています。

Hollyなイヴにちなんでyoutubeからジャズピアニスト・デューク・ピアソンによる「Cristo Redentor(クリスト・ヘデントール)」を使わせていただきました。Cristo Redentorはご承知のようにブラジルの首都リオデジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像のことです。
私はキリスト教徒ではありませんが、1970~80年代にこの曲が入ったデューク・ピアソンの以下のレコードをよく聞きました。

 


ピアソン自身のプロデュースによる1969年「duke pearson how insensitive」。
「STELLA BY STARLIGHT」や「MY LOVE WAITS」など素晴らしい。

 

コルコバードのキリスト像
WIKI Pediaからコルコバードのキリスト像。

樹下美術館の来年度は7年目の節目となります。

追加作品や言葉の解説などを加えたためすっかり遅れた図録を節目として今度こそ刊行致します。(こんなことを何度言ったことでしょう!)

●6月に昨年好評だったチェロとギターの演奏会を催します。

●10月の毎週土曜日夕刻に「陶齋の器で食事会」を計画致してます。

どうかご期待ください。

小春日和となった日 カルメン故郷に帰る 昭和27年の上京。

2012年12月17日(月曜日)

このところ雪も降らず風も無く、時に雨の日があったので樹下美術館の雪はおおかた消えた。

 

本日の樹下美術館
本日午後、施設帰りの樹下美術館。

夜になると隣室からテレビ映画の音が漏れ聞こえる。いつものように何の映画?と妻に聞く。「カルメン故郷に帰る」だった。一、二度みているが、いずれも断片的だ。

国産初のカラー映画ということ、随所で“色”が意識されていた。木下恵介監督、高峰秀子が綺麗で滑稽、牧歌的な軽井沢と浅間山が素晴らしかった。

 

カルメン故郷に帰る
「カルメン故郷に帰る」より生徒たちの踊り。後ろは浅間山。

昭和26年製作ということ。主役の踊り子が乗る貨車は草軽電鉄の凸型電気機関車が牽いた。
昭和20年代の社会には戦争の傷跡とナイーブな民主主義への期待が織り混ざり、児童生徒であった私にも独特な時代の味わいが残る。

 

昭和27年、5年生の夏休みに若い叔母に連れられて、姉弟と三人で東京へ行ったことがある。信越線の車列は長く、上野まで長時間かかった。

その車中、痛々しい姿の傷痍軍人がたびたび募金箱をもって現れた。お金を入れるかどうか、子供心に苦しんだ。
赤羽か大宮(あるいは双方?)では駅構内の大きなレンガの建物が大破したまま、爆撃の痕が生々しかった。

三人で一週間ほど寝泊まりして世話になった年配の叔母は、築地で幼稚園を営んでいた。彼女は美しい人だった。

幼稚園では、近くの米軍病院(旧聖路加、現国立がんセンターの場所)の看護婦さんたちの子どもを多く世話していた。お母さんたちが院内の免税店からラッキーストライクなどのタバコをみやげに買ってきたが、叔母は笑顔でそれを私たちに見せた。

他の時の伯母はとても疲れて見えた。銀ブラや読売ホールの音楽会、神宮球場、上野動物園などへ連れて行ってくれたのは若い叔母だった。

「パンパン」「ルンペン」というような言葉を教わり、「私もルンペン」と若い叔母は笑った。僅かの米を持参して上京した三人の子供。昭和20年代の東京の親戚には迷惑な事だったろう。後年幼稚園の叔母にそのことを言うと「分かってくれたかね」とにやりと笑った。今その伯母もない。

 

「カルメン故郷に帰る」では軽井沢の生徒達が美しいオルガンの音に合わせて男女で踊る。

昭和29年から髙田市の某中学校へ通ったが、ある日、映画「二十四の瞳」の鑑賞学習が市内の映画館であった。やはり木下恵介氏と高峰秀子さんの映画だ。

 

その往き帰り、男女が手をつないで歩くように言われた。

民主教育の一環だったのだろうが、大変に恥ずかしかった。私は実は手をつなぎたい人がいたが、実際は当然別の人で、覚えていない。

診療所と美術館の忘年会 身から絞り出される血税 超然たる品位の国として。

2012年12月15日(土曜日)

昨日に続いて雪が一段落している本日、診療所と樹下美術館の忘年会があった。忙しければ頑張り、暇なら耐える一年が終わる。

 

お世話になる人、支援して下さる人も参加して18人。抽選会、出し物、歌、センチュリーイカヤさんで三時間を過ごした。

 

シャベル三味線
女性スタッフ持参のシャベル三味線。
彼女の「シャンシャン馬道中」「十日町小唄」は秀逸だった。

 

シャベルが鳴って
ますますシャベルが冴える。

 

診療所も歌う
診療所スタッフが歌い。

 

美術館が歌う
当然美術館も負けなかった。 

 

拙宴会などをお出しして真に恐縮です。恥ずかしながら筆者は星降る街角でした。年に一度精一杯の全員参加、どうかお許し下さい。

 

明日は苦悩の選挙、しかしなんとか投票したい。

 

選ばれた方は大企業ばかりでない、私たちの「文字通りの血税」を震災復興と国民の健康・福祉・教育文化のため一円のムダ無く使っていただきたい。

 

大国の思惑が絡むえげつない近隣の挑発に簡単に乗せられることなく、超然たる品位の国として実直に歩むことを心から望みたい。

謎の西洋の婦人像 小説「従姉妹ベット」 そして原画。

2012年12月13日(木曜日)

樹下美術館の展示作家倉石隆の作品を蒐集し始めたのは1996年からでした。作品はご遺族や関係者からのご厚意のほか画商にお世話いただいた作品もあります。

倉石氏の作品を探す画商のプロ魂に何かと感心させられました。そのうちの一枚が以下の女性像です。
オレンジ系の赤一色で描かれた女性は珍しく西洋人、しかも一種謎めいた雰囲気の作品でした。

 

強い視線、少し歯並びが悪そうな口元、、、決して麗しい美人とは言いがたく見えます。あまつさえ頭上には暗い赤で湯気のようなものが情念の如く立ち、バックとしては不思議なあしらいでした。

 

油絵のベット髪飾りと肩のレース模様が精一杯のおしゃれ。

当作品にはタイトルが無く、勝手に「西洋の婦人像」としていました。わざわざこのような西洋人を描くのに、どんな意図があったのだろう、見るたびに首をかしげました。

これとは別に、ひごろ倉石氏の作品や資料を探して、インターネットで「倉石隆」を打って検索していました。ネットのお陰で何冊か貴重な本が手に入りましたが、ある日氏が挿絵をしているバルザックの小説「従姉妹ベット」(河出書房出版 世界文学全集 第42巻 昭和46年3月1日再版発行)が古書として売られていることを知りました。西洋の婦人像が来てから3,4年後のことです。

綿密な図録である新潟市美術館出版の「郷土作家シリーズ 倉石隆」の資料に従姉妹ベットはありません。一体どんな本、そして挿絵なのか。申し込んだ品の到着を心待ちしました。

 

表紙のベット届いた本の帯の女性の髪飾り、眼差し。「西洋の婦人像」はこの人にちがいありません。
上掲の油彩は習作にしては完成度が高く思われます。
ベットへの特別な思いが、あらためて油彩制作へ向かわせたのでしょうか。

挿絵のベット文中挿絵のベット。
油彩画よりふっくらして鼻が大きく異常に細い指。淡いブルーが掛けてある。

挿絵原画上掲の原画(エッチング)

 

ところで今年11月はじめ、東京のある方のご厚意で倉石隆の版画を何枚もお届けいただきました。中の数枚は従姉妹ベットの挿絵原画(銅版画)で、とても感激しました。

バルザックは小生の高校時代に谷間の百合を読んだことがありましたが、従姉妹ベットは知りませんでした。
しかし小説を読むに従って倉石氏の油彩人物画は復讐劇の主人公ベットを見事に描き出していることを知りました。

それにしましても美人画が多い絵画の世界で、取り残された女性を存在感をもって描く。倉石隆の才能にあらためて驚かされます。

また書物「従姉妹ベット」に出会ったのは検索サイトで、版画の送り主さんが樹下美術館をお知りになったのは当館のホームページからでした。インターネットは不勉強な美術館長に思わぬ発見や繋がりをもたらしてくれて助かります。

 

樹下美術館は12月24日で今年の営業を終了致します。来春は3月15日開館と致しましたが、ベットの油彩と本、それに原画の銅版画を揃えて展示したいと思います。

小さな木の雪囲い 暮れる樹下美術館。

2012年11月29日(木曜日)

胸までの低い木の囲いが少し残っている。支柱を立てて縛らないと雪の重みで折れたりぺちゃんこなる。

 

午後を休診としている本日、小降りとなった夕刻、簡単な雨支度をして妻とともに20カ所ほど済ませた。

来年のことなど考えながら、あれこれ木をいじるのは楽しい。また夕刻の美術館を見るのも好きだ。可愛がっている動物が仕事を終え、静かに自分の所に帰ってくるような気がする。

スタッフが後片づけ
間もなく5時、スタッフが後始末をはじめ。

 

囲いを終えた妻が帰る
妻が片付け物を持って帰りはじめる。

 

帳が降りた
帳がおりる。

秋の暦が終わる明日、当地は降ったり止んだりだが、雪にはならないようだ。

小さな青空サービス 三回目の鑑賞会 大垣の柿。

2012年11月20日(火曜日)

今年の秋は雨ばかり、あるいは今年の夏は暑い、または寒い、などおよそお天気の感想は悪い場合が多い。今年の春は何て調度良いのでしょう、というような話はめったに聞かない。

 

青空本日は季節風の強い雨交じりのお天気。時々小さな青空のサービス。

 

皆様と
三回目となった作品鑑賞会。私自身の勉強にもなり楽しかった。

 

柿また柿を頂いた。このたびは岐阜県の柿農家へグループで行かれた方からの見応えある富有だった。一ケを妻と半分こ、芸術品と言っても過言ではない味応えだった。

設計家大橋秀三さんのこと 初冬の高田公園。

2012年11月15日(木曜日)

この二日間、しばしば雷がごろごろ、しかも非常に大きな音で鳴る。気温が下がり冬に向かって季節の足は速い。

 

午後、建築関係の方たち10名様が、当館の設計士・大橋秀三さんとともに来館された。私の話も聞きたいということで顔を出した。

 

なぜ大橋秀三さんだったのか、という急所の質問を受けた。
答は非常に簡単。ある会合で出遭い、その時「とても格好良かったから」とお答えした。設計、施工管理のお付き合いにおいて確かに色々あった。しかし案の定、氏の造形感覚、個性、根性、そしてヒラメキともに尋常ではなかったこと、無二の出会いを幸運に思っていることをお話した。(褒めすぎ?)

 

白鳥
夕刻油絵の具を買いに髙田の大島画廊さんへ行った。頸城区の田んぼに多くの白鳥。(近づくと首をもたげて警戒される。この4~5倍の数がいました。)

 

公園通り
夕刻の髙田公演の通り。まだ残る桜の紅葉が印象的。

 

髙田公園はスケールが大きく、四季折々に立派な見どころを有している。今後新たなハコモノで邪魔などせず、麗しさの維持管理でまこと十分に思われる。

 

公園+会館(ホール)は旧常識かもしれない。

荒天の日、二回目の鑑賞会。

2012年11月13日(火曜日)

次第に荒天となった午後、鑑賞会に見附市と上越市からお三人ずつお見えになった。

 

悪天候のご来場に張り合いを感じる。皆で自己紹介の後、二人の作家のプロフィールを説明させていただき、場内を回った。

 

倉石さんでは戦後の髙田時代、伝票などおびただしい書類の裏表に描かれた素描。油絵「秋」と芸術雑誌における倉石氏。謎だった西洋の女性を描いた油絵と、バルザックの小説「従姉妹ベット」の挿絵のことなどを聞いて頂いた。

 

記念写真
終えて記念写真。

 

齋藤さんでは師、富本憲吉の如実な影響。年代に見られる作品の特徴。作品入手のエピソード。雪持ち笹の紋様に関する話題などをお話させて頂いた。

 

 窓
終わってカフェに降りると外は激しい風雨。
お茶と雑談のあと在宅回りが近づきお先に失礼した。

 

皆様はゆっくりされたとお聞きしています。楽しい時間をご一緒できて嬉しく存じました。

 

作品鑑賞会
来る20日(火)、27日(火)も開催いたします。宜しければどうぞお寄り下さい。

ロイヤルドルトンのカップでトーストの夕食 窓に写る「秋」の少女を見ながら。

2012年11月11日(日曜日)

今夕、時折雨が交じる庭で低い木々の冬支度をした。アジサイ類、ヒメウツギ、ニシキギ、チョウジザクラなどに支柱を立てて縛る。

 

トサミズキほかにまだ沢山あるが雨が強くなったのでお終いにした。

 

妻は所用で出かけ夕食は美術館のカフェでトーストを食べた。夕食にトーストとは非常に変わっているが、たまには良いと思った。

 

トーストセット

レギュラー珈琲は気に入ったいるロイヤルドルトンのデミタスカップに入れてみた。パンの加減がよく、弟から届く「いばり子豚」のハムも美味しい。
セットは二杯分の珈琲付きで800円でした。

 

ガラス窓の「秋」
ふと見ると、窓ガラスに背後の絵画ホールにある「秋」の少女が写っている。
狭い階段通路を通して写るこの絵が見えるのは左から4番目の席で、しかも夕刻にくっきりする。

 

絵は庭の木立の中に浮かぶ趣、一人の夕食を少女を見ながら楽しんだ。

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