母と農道へ

2010年10月11日(月曜日)

農道で 
 二日続きの良いお天気だった。休日のこの日、午後4時ころから久し振りに母を連れ出した。およそ40分、夕暮れの農道はこよなくのどかだった。

 

 私が知っているAさんは毎週日曜日になると、90才を越えた母親の車いすを押して2時間も町内を歩く。雨の日は、どうしてますかと聞いたことがある。

「イトーヨーカ堂を2時間くらい歩きます。たまにみやげも買いましてね」とにこやかなAさん。

 外は素晴らしい。親子にこれ以上の幸せはなかろう、お母さまにはいつも福相が現れている。なかなか出来ることではなく、Aさんは地域のパイオニアだ。

 

西国の人 2 新潟の大学院生さん

2010年10月10日(日曜日)

 二年前の秋、新潟市から当館を訪ねてこられた青年と話す機会があった。カフェでご挨拶すると、「よろしかったらどうぞ」と隣の椅子を引いて勧めてくれた。突然の積極的な振る舞いに少々驚いた。
 わが新潟県人が初対面でこんな風ににするのをあまり見たことがない。どこの人かな思って隣に腰掛けた。やや小柄できりきりとした黒目の人は果敢な印象だった。

 

 彼は都内の大学を卒業してから新潟大学の大学院へ来たと仰った。しかし元々は地方出身との事。出身地が気になって尋ねてみた。
「何処から来たと思われますか」と彼、西の方ですか、と私。
「ええそうです」
「もしかしたら広島ですか」
「そうです、よく分かりましたね」
東京の大学を経由してなぜ新潟へ、ともう一度尋ねた。すると彼は木立の向こうのどんよりとした空を指さして明快な口調で言った。
「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」
思いつけもない返事だった。自分が忘れていた青春の感性と力のようなものが思い出された。明快さといい、異国の、私なりの西国の人のイメージと重なっていた。

 

 ところで私の大学時代は6年間を同じクラスで進む。一学年1クラス、1クラスおよそ100人がほぼ一緒で、九州から東北まで出身地が散らばっていた。入学して間もなく地方ごとに性格や気風に独特さがあることを知るようになった。このことは6年間の軟式テニスの部活、その後8年に近い医局生活でも感じた。

 

 知り得た東海から西の人達は元気で果敢な人が多かった。特に部活の6年間、そちらの同輩、先輩は「オイ杉田!」などと言って気後れしがちな私の肩や背中を叩いた(叩いてくれた)。
 「所変われば品変わる、そして人も」。こんなことを携えて昭和50年初夏、東京から新潟県の現在地に帰ってきた。

 

 ところで広島県人について言えば、海外移住に注目した疾病と環境因子についての著名な研究がある。1950年代から始まってい同研究を読み聞きして以来、広島県民が広く海外へ出ていることを知った。海外移住には複雑な要因があろう。しかし若い頃に垣間見た西国人独特の元気、果敢さは払拭しがたく移住とダブル。

 

 出る人、広島県人。たまたまだったが、二年前にお会いした冒頭の青年のイメージもそこへ繋がった。
 

 彼と会って40日ほど経ったある日、以前大変お世話になった方と再会した。広島県ご出身ということは知っていた。
 (拙文は西国の人 1 から続いています。3へ続けてみます)

今日の雁子浜 今日の上越市大潟区の雁子浜。予報が完全に外れて空も雲も見事だった。

ヘルメット

2010年10月9日(土曜日)

 昨日、産業保健で関係している上越市大潟区の帝石トッピングプラント・頸城精油所へ行った。健康管理の講話と工場巡視の日だった。巡視ではヘルメットをかぶった。

 

 ヘルメットと言えば、上越市はつい最近地震に見舞われ、自宅でヘルメットに触ったばかりだった。それは三年前の7月、中越沖地震の時にそれぞれの家族用として買った。

 

 その地震当日、混雑するホームセンターで残り少ないヘルメットにありつけた時は正直ほっとした。ちょうど不肖小生は上越医師会の会長職をけがしていた。立場に従って上越市の被災地区を回り、夜間には柏崎市の西部地区も行った。現場のことはいまでもありありと蘇る。軍手に長靴、それにヘルメットがあればどこへでも行けそうな気がしていた。

https://www.juca.jp/blog/2007/07/post-31de.html
https://www.juca.jp/blog/2007/07/post-fdda.html
 

帝石トッピングプラントで 
 さて昨日の平時の工場巡視。安全のシンボル・ヘルメットをかぶって工場の保健婦さんと一緒の写真を撮ってもらった。

 そのあとで回った往診先のラジオが東北地方の新たな地震を伝えていた。私たちの国では平時に時として地震が起きるのではなく、続けて起きる地震のあいだに平時があるのではないか、と一瞬思った。 

 

秋の庭へ

2010年10月8日(金曜日)

 かってない厳しい夏を越え、庭もなんとか秋を迎えた。まとまって咲く白のリュウノウギクと紫のノコンギクがもうすぐだ。両方とも酷暑をものともせず非常に旺盛に増えて、菊恐るべしの感がある。

 

 余りの勢いに付近のリンドウやホトトギス、来春のクリスマスローズなどが隠れてしまっている。それで今夕は電気を点して菊をかなり抜いた。

花 咲き出して5年は経ったベニヤマシャクヤク(今年5月末の写真)。
以下は種子。

種子三つの鞘(さや)が開き、その後反転してこぼれんばかりになった昨日の種。
清楚な花から想像出来ないほど強烈な姿になる。
暗色が種子、赤は未受精の物質で種子の保護と引き立て役のようだ。
鮮やかに見せて鳥を魅惑しているのだろう。 

 

 庭は来年への支度が始まる。苗や球根の注文、植え付け、植え替え、施肥など秋も楽しい。今年は上に掲げた三株のベニヤマシャクヤクから一株選んで種まきと株分けに挑戦してみたい(相当難しいことだが)。

西国の人 1 ポルトガルのKさん

2010年10月6日(水曜日)

 先日、京都のある医院から一通の封書が届いた。差出された先生に面識はなかった。手紙は小生が書いた紹介状を持参した患者さんが来院されたと、知らせていた。簡潔のうちに丁寧さがにじむ書面だった。

 
 三ヶ月前、私は一通の紹介状を書いた。当地を離れて京都へ移るというKさんの為だった。60代のKさんはお元気で少し血圧が高いだけだった。
「主治医殿」、宛先がこれだけの紹介状。不案内な遠くへの転地では、具体的な紹介先の代わりに主治医殿とだけ書くことがある。Kさんは京都へ行ったらご自分で医院を探すと仰った。
 あれからしばらく経っている。どうされただろう、と心配していたところへ今回の知らせだった。

 背が高く眼鏡に笑顔が似合うKさんを初めて診たのは2年近く前だった。顔立ちは私たちと同じ日本人、なのに言葉が片言だった。それでお国を尋ねた。
「ポルトガルだよ」、思いつけも無い国名が返った。語尾の「よ」が跳ね上がって欧米人のイントネーションだ。
「おじいさん達がポルトガルへ移民したのですか」
「そうだよ」
「もしかしたら貴方のおじいさんは広島県の人ですか」
「そうだよ」
人なつこい目をさらに細めてKさんは答えた。
 広島県のことは当てずっぽうだったが、もしやと思って聞いてみた。以前にこれと似たことがあったからだ。

 Kさんと合う少し前、新潟市から上越へ、樹下美術館を訪ねてこられた青年とお会いしたことがあった。その人のご出身は広島県だった。
ー続けてみますー

地震、そして命の電話チャリティー茶会。

2010年10月3日(日曜日)

 今日の当地は午前の早くから数回にわたり震度4から5弱の地震に見舞われました。三年前の中越沖地震も同じ日曜日の午前。ドシン、ガタガタという音と揺れに三年前の恐怖を思い出しました。
 幸い展示や施設に被害はありませんでしたが、これ以上にならないことを祈るばかりです。

 

 午後から高田で行われている「命の電話チャリティー茶会」に行きました。当茶会の会費は2500円、関係者のご努力によって18回目とありました。広間を裏千家西口宗米先生が、小間は江戸千家小川紫雪先生でした。床の掛け物に秋の風光を感じ、お道具は陰影に富み、お花は時節の移りを物語っていました。

 

 西口先生から貴重なお話をお聴きし、知人の奥様の心静まるお手前。本当に有り難うございました。

 風炉窯 
   いつものようにお茶室の提供は(株)有沢製作所さん、御菓子は大杉屋惣兵衛さんの協賛でした。また今年の待合も植木ひろ子先生のオブジェです。大きな球形にあしらわれたツル類にゴンズイとサザンカの実が沢山配されていました。今にも動き出しそうな変化と愛らしい色彩が相俟った麗しの作品でした。

 

 テーマである命の尊さにあふれたチャリティー。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

樹下美術館の家具

2010年10月1日(金曜日)

 小さな樹下美術館ですが、館内にはいくつかの家具があります。デンマーク、イタリア、アジア、そして日本。時代も清代、ミッドセンチュリー(20世紀半ば)、現代まで、生まれも世代も越えて静かに混じり合っています。展示作品やお茶、庭などと共にお楽しみ頂ければと思います。

 

 振り返りますと建物については、設計家・大橋秀三氏とともに相当苦労を分け合いましたが、家具の選定は技術的な問題から解放されて楽しい思い出です。

 大橋氏は建物との相性から北欧調を望まれていましたので、芯となるカフェの椅子はセブンチェア、灯りはペンダントライトにしました。当初セブンチェアは少し大まかかな、と感じましたが、セッティングされますとおおらかな表情を現し自然の中の樹下美術館にぴったりでした。

  この椅子と以下のマッシュルームスツール、およびスノーボールペンダントとネルソンベンチはいずれもミットセンチュリーの代表作と言えましょう。その時代は倉石隆、齋藤三郎(陶齋)氏とも、自らの道を踏み固める時期に相当します。そのためでしょうか作品と家具は馴染み合って、懐かしくもみずみずしい香りを館内に漂わせていいます。

 

 ところで、絵画ホールのマッシュルームスツールには奇跡のような経緯がありました。ホールが小ぶりでしたので低い椅子を二つ置くことを考えて検討しました。壁面の湾曲に合わせて方向性のないスツールと決め、デザイナースツールが豊富な天童木工に絞りました。バタフライは方向性がありましたので、ムライとマッシュルームの二者択一となりました。油絵との相性と印象的な表情からマッシュルームに決めようという頃、この椅子のデザイナーを知りました。

 

 マッシュルームは40年近くも前に、三人の学生によってデザインされていて、その一人は倉石画伯のご長女・山中女阿美子さんだったのです。こんなことがあるのでしょうか、非常に驚きました。以来 ずっとお父様の作品に囲まれて特に幸せに見えます。当椅子の評価は高く、昨年パリ国立装飾芸術美術館に収蔵されました。

 

1カモグリ 
椅子 カモグリ
2ネルソンベンチ 
ネルソンベンチ
3李朝のコンソールテーブル 
清代のコンソールテーブル
4ペンダント 
ペンダントライト
5マッシュルーム 
マッシュルームスツール 
6セブンチェアーとアデルのテーブル 
セブンチェアと丸テーブルのロンド 

以下に多少の説明です。

●椅子「カモグリ」:ピエロ・リッソーニ(イタリア)のデザイン、Porro社製。当館の二つのホールを結ぶ短い廊下にある愛らしい椅子です。さわやかな籐の背もたれと滑らかな座面のしつらえが見どころでしょうか。カモグリはイタリアの避暑地の名のようです。

●ネルソンベンチ:ジョージ・ネルソンのデザイン、オリジナルはハーマンミラー社製(アメリカ)。1940年代のデザインでライセンスフリーとなっている現在、多くリプロダクトされています。和風の趣を考えて陶芸ホールに置きました。

●清代のコンソールテーブル:上越市本町にあった店「ドラゴンフライ」で、陶芸ホール正面の大きな箪笥テーブルとともに求めました。当初李朝かと思いましたが、清代のようです。アジアの家具を揃えたあの素晴らしい店が一時的にでも上越にあったとは、夢のようです。

ペンダントライト「スノーボール」:ポール・ヘニングセンのデザイン、ルイスポールセン社製(デンマーク)。8層のペンダント。柔らかな光と楽しい変化、光源が容易に見えない灯です。

マッシュルームスツール:山中グループのデザイン、天童木工社製(日本)。

セブンチェア:アルネ・ヤコブセンのデザイン、フリッツ・ハンセン社製(デンマーク)。1955年の発売以来同社の看板商品。先発のアントチェアとともにロングセラーを続け、世界に向け双方で600万脚の出荷を誇っているそうです。

●丸テーブル「ロンド」:ルイジ・ビリアーニのデザイン(イタリア)。生まれは異なりますが、セブンチェアとよく合います。W1300φXH740の一本脚テーブルは6,7人で囲むことが出来、狭いカフェは大いに助かっています。

●コンソールテーブル:クラフト葉音(はのん)製(長野県小淵沢)。前面の美しいカーブが風の跡のようです。

コンソールテーブル   このテーブルは現在、陶芸ホール正面のガラスケースの中で作品のディスプーに使用されています。葉音さんの雰囲気を取り戻すべく表に出して写真を撮りました。

 

 およそ以上ですが、今にして思えば随分無理をしているなあ、と感じます。しかしみな丈夫で何気なく、しかもちゃんと個性があります。家具らしい家具だったのでは、と無理を痛みにしないよう振り返っています。

自然で優しい異能の人、司修さん

2010年9月26日(日曜日)

司修(つかさおさむ)先生は優しくて魅力的な方だった。本日午前、筑波進先生のご案内で樹下美術館をお訪ねくださった。私は大緊張してお迎えした。こちらの緊張を見て余計優しくなさったのかもしれない。

そのむかし、氏は練馬の倉石隆宅近くに住まわれ、お二人は毎日のように往き来されたという。本日は、館内で倉石氏の挿絵原画を顔を付けるようにしてご覧になり、なつかしいなあ、うまいなあ、と仰った。陶齋の陶芸作品も熱心にご覧頂いた。

絵をご覧の司さん
倉石氏の挿絵原画をご覧になる司氏

 カフェで
倉石氏の絵の前でお茶

 その後、カフェでお茶をご一緒した。若き日に倉石氏などお仲間たちと大いに飲み、議論し、時には喧嘩もしたことなどをお聞きして楽しいひと時だった。先生は若々しく、眼差しに青年の光を保有される。あったかもしれない不遇などは,みな教養と力に変えて膨大なお仕事に臨まれたことだろう。

 先生の画業、なかでも装丁と挿絵はその界の寵児の観がある。調べてみると装丁(挿絵がはいることもある)は、三浦哲郎、埴谷雄高、佐佐木幸綱、夏樹静子、大岡昇平、向田邦子、松本清張、石井桃子、中村真一郎、佐木隆三、井上光晴、山田風太郎、吉田健一、谷川俊太郎、瀬戸内晴美、椋鳩十、西脇順三郎、梶山季之、有吉佐和子、金子光晴、赤川次郎、小川国夫、水上勉、加賀乙彦、大江健三郎、岸田今日子、星新一、遠藤周作、柴田錬三郎、立花えりか、江藤淳、白石かずこ、黒岩重吾、竹中労、室生犀星、長谷川郁夫、野坂昭如、古井由吉、松谷みよ子、いぬいとみこ、阿刀田高、森敦、石原慎太郎各氏ほかのご本に。ギヨーム・アポリネール、バーネット夫人、ウラジーミル・ナボコフ、ミヒャエル・エンデ、ジュール・ベルヌほかの翻訳本、そして多くの文庫本と、ご活躍は驚嘆を禁じ得ない。

司さんのご本樹下美術館が所蔵している司さんのご本(一部はカフェに出ています)

 また小説家として自ら著作、挿絵、装丁(作者自装)になる書物も多数にのぼり、小生の僅かな蔵書でも格別な趣が感じられる。作品では人の遠く暗い場所に潜む生き物の、あるいは個人の源がしばしば掘り出される。それらによってある種経験の共有感覚が呼び覚まされ、読み終えると浄化を受けたような深い作用を感じる。

 これまでに得られた1984年ボローニャ国際図書展グラフィック賞推薦、ライプツィヒ国際図書賞金賞、講談社出版文化賞ブックデザイン賞、小学館絵画賞、小学館児童文化賞、毎日出版芸術賞、川端康成文学賞、などの栄誉は自然なことだったにちがいない。

  本日午後から高田やすねで上越芸術協会・たかだ文化協会主催による先生のご講演があった。画業の遍歴から最近のお仕事である与謝蕪村まで、興味つきないお話に時の経つのを忘れた。最後に、これまで出会った全ての人が自分の先生だった、と振り返られた。

著作の一つに、お母様の生地を新潟県東頸城に探し当てる小説「紅水仙」がある。氏はまた倉石隆、矢野利隆、賀川孝、矢島甲子夫、筑波進氏ら上越出身の画家と親交を結ばれ、当地は初めてではないとお聞きした。私たちとの縁は決して薄くはなかろう。

先生、このたびは本当に有り難うございました、ぜひまたお越しいただきたいと思います。

本日の秋晴れ、そして明日は司修さん

2010年9月25日(土曜日)

雨によってクリーニングされた空。こんな日の雲は特に楽しい。ぷかぷかほわりと、一日中くったくなかった。

 柿崎区坂田池 今日の柿崎区坂田池(左に米山、右に尾神岳)

 

明日は司修(つかさ おさむ)さんをお迎えする日。氏は絵画、装丁、文学の異能の人としてつとに知られる。このたびは上越市展の審査に来越され、明日は上越美術協会・たかだ文化協会主催の講演会でお話しされる。

司氏は無所属で元主体美術協会の創始会員。樹下美術館常設展示の倉石隆氏とは共に歩まれた間柄とお聞きしている。明日、光栄にも同会・筑波進氏のご案内でお訪ね頂くことになった。不勉強な私などはコメントできる立場ではないが、氏の多彩で繊細なお仕事には深い教養と強靱な心身のバネを感じないわけにはいかない。

中学校の学歴を最終として映画の看板書きから画家、挿絵・装丁家、そして小説家にまでなられた人。1999年に法政大学文化学教授、2005年に同名誉教授のご経歴はそれだけで貴重な物語であろう。

 

樹下美術館のデッキ 今日の樹下美術館のデッキ

 明日のお天気も良い予報が出ている。我が小館振りは恥じ入るばかりであり、緊張をもってお迎えしたい。

雨の祝日

2010年9月23日(木曜日)

 今日は同業者のゴルフの予定日だったが、コースへ到着すると中止を知らされた。降り続く大雨に加えて落雷も心配されるという幹事の判断だった。残念だったが、思わぬ時間によって溜まった仕事が手に付き、それはそれでよかった。

 

 二日続きの猛雨の中、樹下美術館の来館者は本日ゼロかなと思ったが、6名が見えられたということ。大きな施設でもがら空きの日が珍しくない話を聞けば、樹下美術館は毎日頑張っている方だと思う。

 

 本日から販売のシーグラスのチョーカーが二つ出た。お買い下さったお二人に心からお礼を申し上げたい。可愛いオリジナルを置くことは思いのほか楽しい。

 

今日の米山  

9月の長雨が浸みこんだのか米山が一回り大きく感じられ迫って見えた。 

陶齋の椿、図録の追い込み

2010年9月22日(水曜日)

  小館といえども収蔵図録の一冊もなくて美術館とは言えない。こんな気持ちで今年冬から初夏まで夜を徹して図録制作に没頭した。それが夏になって暑さと年のせい?でペースダウン。最近、ようやく先行させた陶芸で写真レイアウトとキャプションの原型が出来た。

 

 作業を通して陶齋が絵付けした植物文様の多様さをあらためて知った。そこで作品のほか文様集のようなページを追加することにした。 

陶齋の椿文 
   上掲は約30種にわたる植物文様の中から椿を掲載させて頂いた。藍色の染め付け、黒・茶系の鉄絵、赤紫の辰砂(しんしゃ)、青磁に白土の象眼、辰砂に彫り、白磁レリーフ、華やかな色絵と、技法も多様。年代でみると、初期の花びらは先端に鋭い切れ込みが入るものが多いなど、時代による特徴もみられる。 

 

 図録はオーソライズされる使命があり制作にはプレッシャーがかかる。専門の学芸員も特別な予算も望めない我が樹下美術館。個人美術館ならではの愛着とねばりによって胸突き八丁を抜けたい。

ブリューゲル版画の世界展で新潟市へ、そして少々の探索と食事

2010年9月20日(月曜日)

 日曜午後、在宅の患者さんに小康がみられて、急遽新潟へブリューゲルの展覧会を見に行こうということになった。過日、同展を監修された森洋子氏から解説を聴講していたので楽しみだった。

 

ブリューゲル版画展 ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル版画の世界展

 

マウスパッド 
ショップで買ったマウスパッド

 会場の新潟市美術館は人気で、しかも若い人達で賑わっていた。膨大で濃密な内容から、主要なテーマの一つである人間の愚かさと罪が教義や時代を超えることを自然に知らされる。

 

 A3ほどのサイズに数百人の人物と妖怪などの詳細さ。奇想天外な象徴性。風景や船のスケール感と立体感。写真以前の時代にあって凄まじい迫力だ。若者達に混じってこのような絵画を目の当たりに出来たことを幸運に思った。

 

 ブリューゲルの後、同美術館の常設展示も見た。ここにあるとは知っていたが、4点のウジェーヌ・カリエールに出会えて大きな収穫だった。カリエールは樹下美術館の常設展示作家、倉石隆氏が傾倒した作家の一人だ。霧のカリエールと称させる所以がよく分かる。30点近く収蔵されているようだがもっと見てみたい。

 樹下美術館も一点カリエールを所有している。ネリーを描いた作品だが、本物であるかやや心配になった。カリエールは市美術館の常設展示室を入ってすぐに出会える。

 

 ところで同美術館は昨年カビや虫の汚染騒ぎに見舞われて、大規模な処置が施された。本日かすかな燻蒸の匂いが残る館内に安心と清潔感を覚えた。

 

 せっかくの新潟の日暮れ、美術館を出て信濃川の河口を見たい一心で車を西へ北へと走らせた。初めて見た窪田町のY字路の風情は大変印象的。

 行き着いた河口付近は港湾管理が強力で行き止まりとなる。入船(いりふね)みなとタワーなる少々風変わりな施設の7階展望台から夕暮れの河口を見物した。寂しいところで、この時間に女性1人なら怖かろう。

窪田町のY字路 
窪田町のY字路
入港する佐渡汽船 
入船みなとタワーから見た汽船入港
カーブドッチ 
ぽるとカーブドッチ
料理 
前菜
デザート 
デザート 
 出港する佐渡汽船
出港する佐渡汽船

 暗くなってみなとぴあにある旧第四銀行住吉支店内「ぽるとカーブドッチ」で食事。楽しめる7種のメニューで3800円はとても嬉しい。

 帰りの高速道路から見た秋の花火のやや侘びしさ。家に帰るとヘルパーさんに寝かせてもらった母にいつもの寝息が聞こえて、良い休日だった。 

我が身を美空の色として

2010年9月17日(金曜日)

 あの酷暑、尻まくりでもするかのように行ってしまった。朝の寒さに蒲団を足さず我慢をしていると、すぐに風邪気味になる。こんな人が増えはじめた。

 

 涼しくなったがさっぱり疲れが取れない、という方も多い。二ヶ月半にわたる異常な暑さ続き、これから涼しさに慣れていくことだろう。一方で食中毒が少なかったのは不幸中の幸いだった。しかし初秋はまだ安心出来ない。

 

家のまわりで雨中、露草がさかりとなっていた。濡れてはいても花はしっかり青空の色。

 雨の露草

ささやかな我が身を美空の色として雨に濡れてる露草の花

雲をみる日

2010年9月14日(火曜日)

  今日はまじまじ雲を見た人が多かったのではないだろうか。大小変化に富み、スケールの大きい展開が眼を惹いた。
 雲は形状を変えながら浮遊するなど、人知をこえる形態であるほか、環境を支配する壮大な機能まで有している。かく雲の造形美と様式は高尚だが、アートなどと自称することもなく、慎ましさはさすがである。

 

雁子浜東側の雲 上越市大潟区雁子浜の東

雁子浜の北東の雲 
上越市大潟区雁子浜の北東

潟田の雲 
 上越市大潟区潟田の南
 

 ひどかった夏のほんのお詫びに、とサービス満点だった今日の空。あすはどんな雲が見られるのだろう。

 

  さて、本日テレビを占領していた人達の印象は相変わらずのアナクロ二ズム、加うるに芸人の趣まで。35年間、まじめに納税してきたが、彼らを見るより雲を見ている方がよほどいいと思った。

樹下美術館にさわやかなオリジナルグッズ

2010年9月13日(月曜日)

 雨は降らないという一昨日の当て推量が外れて、同夜半から午前にかなりの降水があった。昨日伺った農家で「もう十分」というお話を聞いた。
 秋めいてはいるが油断できない、と思うのも少々悲しい。今年のお天気は本当に難しい。

 

チョーカー 
革紐を通しています。

 

 さて、絵はがきのほかにグッズらしい物が無かった樹下美術館。このたび当地の海で集めたシーグラスをチョーカーにして窓口で販売することに致しました。

 

 どのくらいの年月、海を旅したのでしょう、穏やかに角が取れたさわやかなグラスを選びました。春夏のほかに秋冬は薄手のセーターなどに合わせてはいかがでしょうか。

 

 発売は今月23日(金曜日)から致します。価格は一本1000円から1600円を中心に予定しております。優しく珍しい品だと思います、ご来館の際にはどうぞお手にとってご覧下さい。

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