毎年ながらクリスマスローズから

2010年4月17日(土曜日)

 美術館隣接の庭で花が咲きはじめました。何度も襲われたドカ雪と三月から続く寒さで開花が遅くれました。ここにきてようやく花の季節が始まったようです。


 


 イチゲがそろそろ終わり、大小のクリスマスローズが盛りで、白いブラシのようなヒトリシズカが数カ所で咲き始めました。明日は可愛らしい芽を載せようと思います。もう少しお天気が良くなりますように。


 






































 


   
 
   

 
見頃が続く地植えのクリスマスローズ60株。 にぎやかなヒトリシズカ

馬子にも衣装、拙絵に金縁

2010年4月16日(金曜日)

 2月16日に完了していた椿の蕾の絵を額装しました。ボタニカルアートを始めていつの頃からかマットを楕円に切るようになりました。植物画の多くが下から枝、葉、そして花へ全体が楕円に類する形状になっていたからです。

 

額装の作品 
馬子にも衣装、拙絵に金縁。

 

 さらに楕円は四角よりも柔らかな雰囲気になりますので植物に合っているように思います。切った楕円に沿って金のふちをあしらうこともします。金ぶちの善し悪しはいつも迷いますが、今回は装飾を加味して付けました。金はもう少し細いほうがいいのですが、これで限界だったようです。

 

 拙絵は館内のお手洗いの鏡脇にかけさせて頂いています。よろしければご覧下さい。

海にも休息

2010年4月15日(木曜日)

 仕事休みの夕刻、海へ行った。冬の荒々しさを脱ぎつつある海でカモメが行き交っていた。ゆっくり立つ波の色が深く清潔だった。

 

海
痛々しいほど荒れた海が落ち着き始めた。

 

 長かった大荒れの冬。海は海岸の砂からゴミまでを飲み込んでは吐くことを繰り返していた。また強い波浪には自身の撹拌もあるのだろう。ごーごーと三日三晩荒波を打ち続け、少し休んでまた繰り返す。それを今年は4ヶ月余、、、。

 

 今ようやく浄化や再生の激しい作用を終えて、海に安堵の気配だった。

 

 以前少し似たことに触れたが、海に睡眠を思わせる役割を想像してしまう。環境のつむぎ直し、浄化、生成。同じ作用が我々にも及ぶことがありそうだ。森もよく似ている。

 間もなく穏当な春が来るはず。森は冬や夜間は眠っているように見えるが、海は昼夜休み無しだった。これからあの春の曲のようにゆっくり休むのだろう。海と森は季節的にも連携して役割を担っているようだ。

花鳥の時節

2010年4月11日(日曜日)

雨がちの一日だったが、春が根付いてきた感じになった。知り合いが席を持つということで妻は高田の花見会場の茶会へ行ってきた。

 

茶席に大勢外人さんが混じったという。観光バスで乗りつけるらしい。報道などを見ると近年ますます花見客が増えているようだ。「百万人、、、」のコピーも効いているように思われる。

「百万人観桜会」は奥ゆかしい上越にしては思い切った謳い文句だ。名付けばかりが先行して結果につながらないことが多い中で、希有な例ではないだろうか。だれが考えた文句だろう。

 椿と桜

  今日の仕事場の桜と椿です。この写真に花の密を吸う鳥が写っています、お分かりでしょうか。

 100411花とヒヨドリ

 以前に書いたヒヨドリだと思われます。このようにホバリングをして蜜を吸う動作はカラスやハトには出来ないことでしょう。メジロは出来るようですがスズメはどうでしょう。非常にエネルギーの要る飛翔法だそうです。餌づけの人慣れといい、体が大きいのに案外器用で驚かされます。

  雨の日、ご来館いただいた皆様に感謝申し上げます。ちょうどお見えになったナイスブロガーのきむぶーさん、お世話になっているはるみさんご一行様、有り難うございました。

古い窓に椿

2010年4月9日(金曜日)

仕事場に古い家が付いていて、大正時代の中頃に建ったと聞いている。海辺の季節風に吹かれ吹かれて90年、建て付けはかなり狂いがきている。

二階にトイレへ行く廊下があって窓がある。その窓から今盛りの椿がいい具合に見える。気のせいか古い窓と椿はしっくり合っている。大正ロマンの人、竹久夢二は椿を好んであしらい、昭和ロマン?の陶齋もまた好んだ。

出窓の椿
出窓の椿。右に吊り手洗い器の掛け手が下がっている。

ところで窓は縦横120×75㎝ほどの小さな出窓で、手水として使われていた。左に手ぬぐい掛けがあり、右に吊り手洗い器の掛け具が架かっている。

 

ともに木製だが、手ぬぐい掛けなどは器用な職人さんの仕事ぶりが伺われる。何かの端材で「いっちょう上がり!」と言ってさっと作ったように見える。手ぬぐいを通す横板がヤジロベエのようにぶらぶら動くようにしてある。

 

両方とも忘れられた盲腸のように黙って付いている。椿もまた黙って咲いている。

手ぬぐい掛け
手ぬぐい掛け
手洗い器掛け
吊り手洗い器を掛ける手

モネ人形やフリオの歌

2010年4月8日(木曜日)

 明るく晴れた昼、美術館へ寄った。

 

 カフェに置いたモネの人形が背中に春陽を受けて気持ち良さそうだった。昨年秋、佐伯祐三展の新潟県立万代美術館へ行ってショップで買ってきた。右手にちゃんと筆をもった可愛いモネだ。ヒゲや髪の毛は違うがベレー帽といいメガネといい、どこか亡き父に似ていてる。

 

モネ人形
 筆を持ったモネさん。

 お客様にフリオ・イグレシャスのCDをお買いになった方がお見えになった。先日当ノートに載せた動画のフリオが気に入って、すぐアマゾンで求められたという。ポルトガルの四月は入っていなかったがとてもいいと仰った。ネットのスピード感に驚かされた。 

長々待った春。

2010年4月4日(日曜日)

 昨日午後、高田北城町で今年初めて燕が飛ぶのを見た。とても素早く元気に飛んでいた。ぐづつくお天気をよそに花鳥は精一杯暦をなぞっている。

頸城野に梅 
ようやく頸城野に梅

保倉川 

保倉川に柳の芽吹き
 

 好天の日曜日、美術館に切れ目なく来館者さんがお見えになった。お若いカップルや小中学生の親子連れさんも目だって少し雰囲気が変わってきた。 皆様にはカフェでアンティークカップと陶齋の湯飲みも楽しんで頂けて有り難く思っています。

ポルトガルの四月

2010年4月2日(金曜日)

四月とはいえどうしてこうも寒いのだろう。すぐれない気象は三月からずっとで、2月のほうがまだ良かったくらいだ。

さてそれはそれ、四月というとエキゾチックな曲「ポルトガルの四月」を思い出す。この曲は自分の高校時代のある時期、よくラジオから聞こえた(学校時代には突然何かが流行り出すことがあった)。懐かしげな曲調は忘れがたい教師の思い出に結びついている。

高校の二年間、英語教師A先生の許へ隔週でリーダーを習いに通った。やや小柄で知的な人だった(そして美しかった)。冒険小説から始まったテキストは最後にジョージ・ケナン(冷戦時の駐ソ連アメリカ大使)の「Power Polytics」へと進んだ。肺を病んで半年休学の後、下の学年と一緒のなじめない学校生活。そんな当時、先生の所へ通えたことは今でも宝物のように大切に思っている。

”熱狂(enthusiasum)は何も解決しません、サミットも同じです。優れた外交官による粘り強い交渉努力が必要なのです”。安保闘争で当地の高校まで熱くなり始めたころの先生の言葉だ。ああそんな見方もあるんだ、何てクールな先生だろうと衝撃を受けた。バークレーの大学院留学歴があると後で聞いた。

決まった隔週の夕食後、寺町の下宿から本町通りを横切って北城町にある教師の家まで歩く。その往き帰りの夜、 飽かず「ポルトガルの四月」を口笛吹いた。ある縁によって通っていたのは自分一人だった。

当然ながら50年前の私に今の自分など何一つ想像出来ない。毎日先生の所へ通うことを考えて、予習をして口笛吹いて歩いた。病は治癒しつつあったが体育も映画も禁止のまま。英語通いは密かな幸せだった。

曲はコインブラというポルトガル有数の古都を歌ったものらしい。当時のラジオでは器楽演奏だったが、ユーチューブを探したらフリオ・イグレシャスの歌があった。風景も彼の歌も素晴らしい。

 

展示のお知らせ:2 齋藤三郎(陶齋)の染め付けと色絵展

2010年4月1日(木曜日)

 今年の陶芸ホールにおける齋藤三郎(陶齋)の展示は染め付け(染め付)と色絵の二系統に分けました。場内の向かって左半分に染め付けを、右半分に色絵を配しました。今年度いっぱい同展示を継続致します。

 

 染め付けは藍色に発色する呉須(ごす)というコバルトを主成分とする顔料で絵付けされた焼き物です。色絵は多色を用いて絵付けします。染め付けは清潔、さわやかな印象で、色絵は華やかな雰囲気となります。

 

 多彩な陶齋は染め付け・色絵とも理解熟達し、モチーフや用途に応じて活発に制作しました。この度の試みで場内にぱっとしたコントラストが生まれ、楽しい展示となりました。

 

 色絵の華やかさに花を添えて陶齋の金彩作品を一部配しました。

   

場内・染め付け
染め付け展示の部分
場内・色絵
色絵展示部分
   
染め付瓢形紋瓶と盃各種
染め付け瓢形瓶と盃各種
寸雪庵好み雪華紋香合 
寸雪庵好雪花文金彩屏風香合
   
染め付け辛夷紋瓶
染め付け辛夷紋瓶(個人蔵)
色絵更紗紋水指 
色絵更紗(さらさ)紋水指
  
   
染め付け四季丸紋水指
染め付け四季丸紋水指(個人蔵)
色絵椿文皿
色絵椿文鉢

【以上のほかの染め付け作品】:ざくろ紋湯飲み(6客)、椿紋宝瓶と四季紋煎茶碗揃え(5客)、ざくろ刻紋さら(二枚)、竹林菓子器、椿紋扇面皿(8枚)、山家紋扇面皿(4枚)、辛夷紋面取り壺、かれい紋皿。

【以上のほかの色絵作品】:梅紋汲み出し(5客)、茶器揃え(急須と茶碗5客)、色紙芍薬紋鉢、ゆず紋皿、蓋物3器(これは金彩です)、椿紋香合、更紗紋湯飲み(6客)、文房具(椿紋と春蘭紋の筆管2器、硯屏、水滴)。

展示のおしらせ1:倉石隆の挿絵原画展

2010年4月1日(木曜日)

  4月1日からの倉石隆作品の展示をお知らせ致します。展示は今年いっぱい継続致します。

 

 倉石隆は人物油彩を中心に制作しましたが、挿絵にも熱心に関わりました。多数の挿絵本のうち半数以上は少年少女に向けた書物でした。描かれた場面の臨場感と豊かな情感は画学校時代からデッサンに優れた氏ならではものであろうと思われます。

 

 作品は以下二冊の原画から38点を選びました。

●「金色のあしあと」椋鳩十著 1975年 ポプラ社 から17点  鉛筆画で一部に彩色。

●ベルヌ名作全集「十五少年漂流記」辻昶 訳 1986年 偕成社から21点 ペン画で口絵はカラー。

 原画は前者の表紙がカラーで、内容の一部に薄い彩色がほどこされています。後者は口絵だけカラーでした。ボードサイズは前者がB3で後者はB4とB5です。
 金色のあしあとには雪国出身の画家ならではの冬の情景が描かれています。 

 ご参考までに「金色のあしあと」の本を三冊見開きにして、相当する原画の手元に置きました。残念ながら「十五少年漂流記」は手を尽くして探索しましたが入手にいたっていません。

 

 手ぜまですが胸躍る倉石隆の世界を目の当たりにしていただければ有り難く思います。

 

絵画展示場 
展示場  

 

【金色(こんじき)のあしあとから】

 金色のあしあと原画
30枚の中から選ぶ

 

金色のあしあと口絵
金色のあしあと・口絵
金色のあしあと3
 金色のあしあとー父と犬
   
金色のあしあと2
 金色のあしあと・正太郎を襲う親ギツネ
金色のあしあと4
金色のあしあと・床下の親ギツネ

 

【十五少年漂流記から】

 

15少年漂流記-1 
動物をつかまえる

15少年漂流記-4 
島を脱出
   
15少年漂流記-2 
   以前に人がいたらしい
15少年漂流記-3 
  悪者から逃れてきた水夫

ひかるゝおもひうしろがみ、、、。堀口すみれ子さんの講演会。

2010年3月28日(日曜日)

ひかるゝおもひうしろがみ、、、高田よさらば さきくあれ」
この言葉を残して上越市高田を後にした
詩人、フランス文学者・堀口大學。
ご長女すみれ子さんが父大學を語る

 

すみれ子さん 
堀口すみれ子さん

 

 皆様のおかげをもちまして樹下美術館は今年6月に三周年となります。
 記念行事の一環として文化勲章の詩人、フランス文学者堀口大學のご長女すみれ子さんをお招きして講演会を開催致します。

 

 大學ご一家は戦時下の昭和20年7月旧妙高村に疎開され、昭和21年から昭和25年まで上越市に住まわれました。氏と上越のふれあいのなかに樹下美術館ゆかりの陶芸家・齋藤三郎との交流があります。
 かってのご縁からこの度のご講演の運びとなりました。高田との縁にはじまり、堀口大學の詩人の心や家族愛など、お身内ならではの話をお聞きできますことを幸運に思います。

 

堀口すみれ子さんのプロフィール 
 エッセイスト・詩人。1967年慶応大学文学部卒業。著書に「虹の館・堀口大学の思い出」、詩集「風のあしおと」『水辺の庭」、編著に「堀口大学詩集 幸福のパン種」(いずれもかまくら春秋社)などがある。

 

【堀口すみれ子さんの講演会】

●日時:6月19日(土曜日) 午後2時から
●会場:樹下美術館 陶芸ホール(60席ほどの会場です)
●お申し込み:前もって樹下美術館の窓口か、またはお電話025-530-4155でお願い致します。4月1日から受け付けを致します。
当日、会場整理費と致しましてお一人様500円をお願い申し上げます。

 

 すでに記念行事としましてカフェはアンティーク食器でのサービスと斎藤三郎氏の湯飲みでお番茶のサービスを行っています。お陰様で好評です、どうかお楽しみください。

 また現在5月16日(日曜日)の立花千春さんのコンサートを受け付け中です。聴く者を魅了してやまない渾身の演奏にご期待下さい。

伺ったお宅で

2010年3月24日(水曜日)

モクレンの蕾
 

 ここのお宅では比較的若いご主人が奥様を長く診ておられる。部屋はいつも整って世話はこまやかだ。今日は発熱で伺って、処置のあと薬を置いた。

  外へ出ると部屋の前の庭でモクレンがびっしりと蕾を付けていた。冷たい雨のなか花を待ちきれない様子だった。

 

子犬

 

 

 月一度伺っているお宅でおじいちゃんの蒲団からいきなり子犬が飛び出した。家に来たばかりというが、何て可愛いのだろう。
 お二人暮らしのおじいちゃんは寝たきりのおばあちゃんの世話をされている。診察の前に「おばあちゃんのお名前は私の家内と同じです」と声を掛けた。目を開けられた後、わずかの表情でありがとう、という小声が聞こえた。真冬のころよりも反応されるようになった。

楽しい立花千春フルートコンサートのお知らせ

2010年3月23日(火曜日)

♪♪楽しい立花千春フルートコンサートのお知らせ♪♪

ー 樹下美術館三周年記念 ー

 

 昨年の圧倒的な演奏に続いて今年もフルートの歌姫立花千春さんをお迎えすることになりました。今年のピアノ伴奏は山田武彦氏です。氏はパリ国立高等音楽院のピアノ伴奏科を主席で卒業されたピアノ伴奏の名手です。

 

 立花さんのダイナミックなフルートが豊かなピアノと響き合う素晴らしい演奏会になろうと思います。どうぞご期待下さい。

 

 ● 日時:5月16日(日曜日)・18時30分開演 

 ● 会場:上越市大潟区四ツ屋浜「おおがたコミュニティープラザホー
   ル」

 ● 入場料:一般3000円、小中高校生1500円

 ● お申し込み:樹下美術館の窓口で または電話025-530-4155で

  お尋ね下さい。 

                   

     【プログラムの一部です】

 ・クライスラー: 愛の喜び      

 ・フォーレ:シシリエンヌ

 ・フォーレ:ファンタジー  

 ・カミュ:シャンソンとバディヌリ

 ・ショパン:英雄ポロネーズ(ピアノソロ)・ドップラー:ヴァラキアの歌

 


コンサートのお知らせ

 

ホール
 
会場の大潟コミュニティープラザホール:小ぶりながら円形ホール

 

弥生は冬のお尻拭き

2010年3月20日(土曜日)

   ”さくらさくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいづる いざやいざや 見に行かん”

 歌の通りなら弥生三月は花咲く夢のような季節が期待できる。しかし残念ながら雪国ではそうは行かない。 

 

 この月、雪消えの里はいやが上にも汚れと傷みが目立つ。散乱するビニール片や発泡スチロール、黒々と固まった朽ち葉とうなだれた枯れ草、折れた枝が散乱し畑に傷んだ野菜、汚れた残雪の見え隠もあり、裏手のものが片付かない。みな雪が残した事象だ。

 

 比べるまでもなく一見して冬の雪景色の方がはるかに清潔で情緒にまさる。ところが美しかった雪は手品のようにぱっとは消えてくれない。処々に汚れと傷みを残しながら沈むように消える。

 

 それで三月は後片付けと修繕の月になる。弥生は冬のお尻拭き、、、。いつの頃からかそう思うようになった。

 

 樹下美術館の外回りはもうすっかり片付いている。今日午後は暖かさに誘われて初めて庭いじりをした。雪と荒天でひと月おくれの感じがする。キンモクセイの苗木を三株植えて椿の若木を移植し、都忘れを6株株分けした。水を遣ったあと暗くなるまで草取り。つまんだり握ったり、初めの頃の庭いじりは深爪が痛む。遅くなって予報通りに荒れ模様となった。せっかく連休だというのに。

 

クリスマスローズ 
今日のクリスマスローズ。庭で無事に越冬した60株はこれからの楽しみ。 

父のレコード部屋

2010年3月17日(水曜日)

  昨日前回のノートの最後の部分を少し加筆した。普段あまり深く考えたこともない範疇に入って行くのはやはり困難をともなう。あっさり触るほうがノートにはいいと反省した。

 

 さて先日のエフゲニー・ザラフィアンツ氏のソナタに葬送行進曲の楽章があった。私の小学校低学年(昭和24年前後)のころ、父は二階でよくこの曲を聴いていた。当時二階には新しくクルミの木で作ってもらった巨大な電蓄があった。ベートーベンの運命もしばしば掛けられた。

 

 曲はいずれも子どもにとって陰鬱だった。レコードが掛かるのは大抵昼間で、しかも日曜日だったと思う。遊びたい日の昼間に流れる葬送行進曲と運命の大音響。何か恐ろしいことでも起こりそうで、遊ぶ友達を捜して家を離れた。

 

 ところで葬送行進曲にはこよなく優しいパートがある。一昨日のザラフィアンツ氏の優しさは際だっていた。休憩時間に「父はこんなパートも気に入っていたのかもしれません」と同行して頂いたNさんに話した。きょとんとするNさんに父の音楽の事を少し付け加えた。

 

 それにしても当時、私たちは階下や外に居ながら、なぜ忌まわしげに大音響などと父のレコードを思い出すのだろう。このノートを書きながら疑問が沸いた。不思議なことにすぐに答が続いた。それは何十年、ずっと忘れたていたことだった。 

 

 「お前も聴きなさい」。父は私にそのように言ったと思う。ああ又か、という気持ちがよみがえるので、一度ではなかったのだろう。電蓄の部屋で、レコードに針を置くまでの耐え難い時間。続いて葬送行進曲や運命の大音響に圧倒されながら、父と並んで椅子に座る。その間、ひたすら部屋を出る口実を探し続ける。我慢のすえちょうどよい楽章を見計らって、もういい?と父に聞いて部屋を出た。

 

  一度その部屋で運命とは何かを父から聞かされたような気がする。その話の中で、誰かの自殺のことが触れられた。私は初めて聞く自殺の意味に怖くなり、いたたまれず大音響の部屋を出た。そして不安と罪悪感のようなものがごちゃ混ぜになった頭で表の小さな道を歩いた。いま私が座っているすぐ前の道だ。

 

 後に姉のためにピアノが来た。すると父はピアノを弾きながら今度はシューベルトの冬の旅を歌った。この曲も絶望と死への憧れを歌うもので、子どもには重過ぎる。それを父は飽くことなく時には酔うように歌っていた。

 

 時は過ぎて電蓄がステレオに変わり、私は高校生になった。そのころには耳障りのいいピアノやバイオリンのコンチェルトに月光ソナタなどが聴かれ、シャンソンとロシア民謡が少し混じった。下宿から帰った週末に私も父のレコードを時々聴いた。一連の過程であの忌まわしい電蓄レコードの日はだんだんと遠くへ行ってしまった。

 

 振り返ればなぜ昔の父は重い曲ばかりを聴いていたのだろう。そして5人姉弟の中でなぜ私が父とそれらを聴かなければならなかったのだろうか。それともこんなことには特別な意味などなかったのか。

 

  いずれにしても子どもの私にクラシックを聴かせたい父の目論見?はかなり外れた。大学へ通い始めた夏休み、帰郷した私は二階の窓を開け放った。そして持参したマイルス・デビスのレコードを大音響で掛けた。庭のブドウ棚で仕事をしている父に聴かせるためだ。仕事を終えた父は「ジャズもいいな」とお世辞混じりの顔で言った。

 

 後年、私は父と同じ道を歩むことになった。父は墓参りもしなければ仏壇へも近づかない人だった。また、かって渡った満州のこともずっと口を閉ざしたままだった。医家が五代も続けば先祖、縁者たちとの間に受け容れがたい確執があったのではないか。父は12人の兄弟姉妹の長男で、恥ずかしながら私も5人の長男だ。

 

  結局自分は父のことを多少は知っているが、よく知らないと言うべきだろう。しかし亡くなって久しい父をいま思い出していると、近くを歩く服ズレが聞こえるような気がして、不意に涙が出そうになる。この年になって父親の体温を思い出すとは。

 

  これらはザラフィアンツ氏のピアノのせいかもしれない。彼のピアノには魂を揺さぶられた。

                      (思い出しながら少し加筆をしました) 

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