陶齋の湯飲み

2008年10月12日(日曜日)

 連休ということで、少しゆっくり陶齋の湯飲みについて書いてみました。
まずなにより陶齋の作陶は多様です。なかでも絵付け作品の多様さは抜群でしょう。灰かぶりには手を出さずむしろ嫌っていた、とは若くからの陶齋を知る写真家・濱谷浩氏の言葉でした。造形と独特の風雅な筆に優れた陶齋のこと、近藤悠三さらに富本憲吉から手を交えんばかりに学んだならば、それは自然なことだったにちがいありません。
その陶齋の多様さが身近に現れるのが湯飲みです。鉄絵、染め付け、辰砂(しんしゃ)、金彩、絵唐津風、銀彩、色絵、等々。これらを駆使して、掌に入る器一つ一つに精魂を込めています。しかも何万個も作ったのではないかと、窯を継いだごご子息二代陶齋(尚明氏)のお話でした。番茶好きだったという湯飲みはそれだけで十分な陶齋ワールドです。樹下美術館では現在楽しい陶齋の湯飲みを展示しています。

 今度はどんな湯飲みに出会えるか、陶齋を愛した人たちは皆そう思っていたことでしょう。そして私は今でもそう思っています。

 

辰砂呉須絵・ざくろ紋

鉄絵・椿紋
   
柿釉銀彩・こぶし紋 染め付け・ざくろ紋/あざみ紋
   
Img_5032_2
赤絵金彩・葉紋
Img_5035_2
絵唐津風・柳紋
   
色絵窓字・どくだみ更紗紋

色絵面取り・妙高山紋/椿紋

可愛いお客様、そして「お声」

2008年10月9日(木曜日)

  今日、日中はかなり蒸し暑くなりました。医業の本業では、このところ風邪の方が増えています。激しくはありませんが夏風邪に似た症状です。
さて木曜日の午後は休診にさせて頂いてますので、美術館に寄りました。ちょうど妙高市から若いおばあちゃまと一緒の可愛いお客様が見えていました。樹下美術館には、時々親御さん連れ、おじいちゃまおばあちゃま連れで可愛いお客様が見えます。皆様のホールやカフェのひとコマは、とても心なごみます。またいらして下さいね。
ホームページお声欄に8月、9月分の皆様のお声を掲載させていただきました。

 

先週末の展覧会

2008年10月7日(火曜日)

 

先週末、大学時代の三人の同級生で夫婦して東京に集まりました。毎年続けている年一回の会合です。今回は忙しくも楽しい美術館巡りが出来ました。遅ればせながらのレポートです。

 

○巨匠 ピカソ 魂のポートレート展/サントリー美術館

 4日土曜日、展覧会初日の訪問でした。夕刻、混雑が緩和されつつあるタイミングで運の良い入館ができました。ポートレートに絞ったピカソ展は希ということです。そのためでしょうか、展示の流れに従って観るうちに、偉大なピカソの魂が自然と心の奥深く染み込むのを覚えました。変化するテーマ・方法・色彩、そして高度な線。主題を絞り、かつすべての時代を網羅した試みはわかりやすさの点でも極めて貴重だと思いました。
ところでリーフレットにもなっている「自画像」の顔は能面のようです。そして面を付けている無言の人物こそがピカソ自身にも見えました。苦難の青の時代、重い謎を残した印象的
な絵でした。
最後に、昨秋の博物館大会でお目に掛かった支配人から美術館のお茶室や多目的ホールなど素晴らしい
施設全体をご案内いただきました。ご多忙の中、本当に有り難うございました。メセナに対するサントリー(株)のたゆまぬ取り組みに、さらに敬意が深まりました。 

 

 

 

 

○フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち/  東京都美術館

5日日曜、午前9時に訪ねました。17世紀に特異な光を放ったフェルメールはじめオランダ・デルフトの画家たち。身近な風景と人々を描いた作品には共通の静けさと丁寧さが認められました。比較的小さな画面の主人公たちは、衣擦れの音とともに私たちの前に現れたり、再び絵の中に戻ったりを繰り返す魔法が掛けられているようでした。わずかな厚みに閉じ込められ、運動も許されない絵画が時空を越えて生き続けるとは。絵画芸術の深奥を見る思いでした。

○森川如春庵の世界/三井記念美術館

前日、ホテルのテレビで告知を見て訪問を決めました。5日午後、皆と別れた後、新幹線時刻までの幸運な1時間半でした。
本阿弥光悦作「時雨」「乙御前」、さらに桃山期の志野「卯の花牆(うのはながき)」、そして同期の瀬戸黒「大原女」。書物か夢でしか見られないと思っていた茶碗をそろってこの目で見ることが出来ました。
展覧された何気ない小さな織部の香合や漆黒の薄茶器などが素晴らしく見えるのも、お茶の世界ならではの不思議かもしれません。茶人・如春庵(にょしゅんあん)を高く評価した先達の茶人・益田鈍翁(どんのう)は三井物産の創立者で新潟県佐渡の生まれでしたね。

○このほかに旧岩崎邸庭園鳩山会館を見ました。湯島天神近くの旧岩崎邸は、驚いたことに明治まで越後高田藩、榊原家の江戸屋敷だったそうです。当時の広さは現在の2倍もあったようで、場所も一等地です。普段くわしくは知らなかった我らの殿様が、急に誇らしく思われました。書物「逝きし世の面影」に、江戸は大名たちの広大な屋敷によって市中全体が公園のようでもあったと書かれています。戦国の世を終えた武将、武士たちは、争いに代えて武芸や学問とともに庭造りにも励む(励まされた?)ようになったということです。両邸では風と共に去りぬなどハリウッド映画のシーンが、デジャヴのように舞っていました。

○忘れ物
4日深夜に訪れた初めてのシガーバー。こんな日の最後は葉巻、というKの案内でした。彼の選んだハバナの葉巻にボーイさんが丁寧に火を点けてくれます。普段はだれも喫煙しませんが、皆で一本の葉巻を一通り味わいました。

はや10月

2008年10月2日(木曜日)

 刈り入れ前の暑さが効いて頸城野の田は良い米が獲れたようです。頂いた新米の美味しかったこと。10月2日、美術館から見る庭はキキョウも終わり、野紺菊(ノコンギク)がところどころで色を深めていました。また、厳しい夏を越えた糸薄(イトススキ)と矢筈薄(ヤハズススキ)はしっかりと座を守っています。地味な庭ですが今月末くらいから10株ほどのササリンドウが咲くと思われます。恥かしくも拙句を付けました。

 


矢筈薄:暮れる空に飛び立ちそうでした

暮れる陽を矢筈薄が打ち射たり    sousi

 


野紺菊:路傍の花ながら色がみやびです

野紺菊所を問わぬ花の色     sousi

 


近くへ出ると妙高連峰が暮れていきました

秋暮れて三郎も見た妙高山(悲しい三郎景虎のことを思いました)   sousi

2008年9月29日(月曜日)

 昼休みに美術館に寄った。駐車場に新潟ナンバーの車があった。カフェで一人の青年がパソコンを開いてるところだった。挨拶をして名刺を差し出した。新潟日報のフリーペーパーをご覧になって120キロを訪ねてくださったという話だった。日に焼けてきりきりとした目鼻立ち、簡潔にまとまる言葉、もしかしたら他県の方かなと思った。やりとりから広島のご出身とのこと。東京で学びさらに大学院生として新潟へ来たと仰った。彼の方から椅子を引いて、よろしければ隣へと、勧められた。これは私が知っている新潟の文化ではない。喜んで隣に座らせてもらった。

 

お茶を飲みながら、山陰の地勢から地域の話題になった。あの尾道でさえ地場産業が不振で、かねての文化の維持に危うさがみられているという。しかしどうしても40年近く前,大原美術館を訪ねた当時の晴ればれとした活況しか浮かばない。閑散化しがちな坂の町並に、近時リタイアした都会の人たちが住むようになっているようだ。なんとか尾道にはまぶしを失わないでほしい。

 

途中、樹下美術館はとてもいいと、彼は言った。その一つが来てみると「駅に近い」からといわれる。1、3キロもあるのだからエッと思った。しかし自分の中では近い、つまり歩ける距離だからいいというのだ。新潟や上越は広くてすばらしいが、どこへ行くにも車だのみになる。今後、経費や効率の総体を考えれば施設・住居は次第に駅周辺を意識する時代になるのではないか、と話された。北陸新幹線の先、在来線の存否にもかかる話だが、なるほど、と思った。

 

たしかに、たまの東京からのお客さんは大抵ほくほく線の鈍行で犀潟駅に下車される。そして当館まで歩かれる。雨の日も。普段1キロでも車に乗る自分があらためて問題に見えていた。

 

最後に新潟を選んだ訳を彼に尋ねた。曇った空を指して、「こういう空は考え事をするのにいいではありませんか」と述べられた。私は、しばらくこのようなことを忘れて過ごしていた。とても良い時間だった。

※夕刻、トキが里で餌を食べていた、とニュースが伝えていました。

種でトキ

2008年9月28日(日曜日)

 

P1020023_6  P1020004_2
山芍薬の種

一応トキです

  昨日、今日とトキの報道がない。あれだけ熱心に始まったのにぱたりと途切れてしまった。良い事、悪いこと、何かあったのかもしれない。少々寂しいので昨日採れた花の種をピンセットでつまんでトキに見えるように並べてみました。

 

 さて、昨日採ったのは紅山芍薬(ベニヤマシャクヤク)の種です。この花は数年来バイオ技術の進歩で育てやすい苗が買えるようになりました。拙庭でも今年、4株ほど咲いて結実しました。初夏に終わったそれぞれの花は、中に30~40ヶの種が入ったサヤを3ヶほど作ります。種には赤と濃い青の2種類があって、赤は私たちの歯のような形、青はまん丸です。変わったことに赤は青を引き立てるための添え物で、青がちゃんとした種ということです。秋を迎えると閉じていたサヤが開き、2色の種が華やかに顔を出します。日ごとに開くサヤは最後にめくれて、種を地面に落とします。落ちる前、サヤに詰まった種は毒々しいほど目立ちますので鳥の気を引く戦略も見事です。さらに青い種は少しの傾斜でもころころとよく転がりますので、遠くの自生地を求めるのに便利です。生物の工夫は形に反映され、それが見た目にも良くていつも感心させられます。せっかくの種ですから撒いてみますがなかなか難しそうです。

トキ、一夜明けて

2008年9月26日(金曜日)

 ちゃんと食餌ができたのかやはりトキが心配だった。安否も確認されず、だめだったかなとも思った。そしたらようやく夕刻のニュースで森を背景に飛ぶ映像が出た。風雨の一夜をやり過ごして飛翔するトキたちにあらためて野性を見る思いがした。数羽が確認されたものの、まだ群にはなっていないようだ。

 

今後きびしい空腹がさらに彼らの野性を呼びさますのかもしれない。そしてたら果敢に餌場に向かってほしい。負けるなトキたち!

トキの今夜は

2008年9月25日(木曜日)

 本日トキが佐渡の空へ飛び立った。本来ならば「喜んで羽ばたいた」と書きたいところだが、「逃げ去った」印象が強い。式典と会場に響くアナウンス、窮屈な小箱、トキには辛かったろう。これも使命の一部なのか、許して頑張って欲しい。

 

今後,彼らに対する直接の保護はない。はたして10羽のうちどれだけ生存できるか,少々心配される。担当官が亡くなる個体の原因調査が重要だと述べた。辛い話だがその通りだろう。またトキは単体として強靱ではないので群れを作ることも大切だと指摘されていた。しかし今日のトキにはそれが出来なかったようだ。パニックを越えて、一日でも早く群れになることを祈りたい。

 

夜のニュースで午後には早くも一羽が田に降り立ち、それに向かってカメラが並ぶ映像があった。心配なことだが、一方であまり人を恐れない個体が生き残る可能性もあろう。

 

昨夕から新潟県はぐっと冷えて風雨が強まっている。向こう一両日も厳しい予報だ。夕食は?今夜はどうしているのだろう?

 

※すっかり美術館の話題から逸れてしまって大変に申し分けありません。

いよいよトキが

2008年9月24日(水曜日)

 いよいよ明日トキが試験放鳥される。27年振りの野性復帰への試みだ。是非とも成功への第一歩になったほしい。写真で見る飛翔するトキの姿は、格別に上品で美しく、おとぎの国のようだ。雪国、裏日本、近年は地震と大規模原発、、、。10羽のトキに夢とともに新潟県の印象を陽転させる強い期待も掛かった。

 

ところで自然を模した順化ケージに初めて放たれるトキは当初息切れがみられるという。またケージ内への不意な人の進入には非常に敏感に反応したとも聞いた。専門家ほど不安と緊張を高めているにちがいない。素人ながら佐渡の自然に一定の全うさがあれば生物的な適応は可能に思われる。問題は人間などの関わりではなかろうか。人工的な音響や車両の日常ストレスは初めてだろう。トキ目当てで観光客は激増しそうな予感がする。さらにどう猛なカラスなど天敵もあるだろう。こうみると、いずれ追い詰められて行き場を失うという最悪の事態を避ける策は大丈夫なのだろうか。 
一方今年4月、初めて順化ケージで巣作りがされ、5月にはそこで2羽の雛が返り無事に育っているという。また報道される佐渡の方たちの熱心な取り組みは心底頭がさがる。先日、放鳥のためにケージで捕獲された15羽のトキにも現在ストレスは見られていないこともややホッとさせられる。

 

振り返れば画期的だったパンダの生育は檻の中で果たされた。しかしトキは一端断絶した自然・人間の環境に放たれようとしている。生態系という複雑な総合軸で時間というものを30年前に戻せるのか?異国の遺伝子は佐渡にも適応するか?厳しくも夢のような試みだ。その期待を40グラムの発信器を背負った鳥が担う。SFにも似た出来事の始まりに見える。佐渡と新潟県には真の自然共生を目指すパラダイムシフトの先頭たる一員の名誉もかかった。すべて鳥と自然の側に立つこまやかで根気の要る長い目が必要だろう、是非成功してほしい。明日午前10時半放鳥。野茂やイチローの初試合とまた異質の重い緊張がつのる。

もう一度お年寄り

2008年9月20日(土曜日)

 近隣の菜園では大根、白菜、キャベツなど植え付けと種まきが一段落しました。それが今日、遠くを通過した台風のせいで熱射に見舞われました。急な暑さほど若い野菜に悪いものはないはずです。畑の死活がかかる一日だったのではないでしょうか。  
畑といえば、近くで営む一人に92才のKおばあちゃんがいます。おばあちゃんは長く畑の名人と言われてましたが、残念なことに昨年暮れ、大腿骨骨折で手術を受けました。一冬こえた春、皆の制止を振り切ってKさんは畑に出たと聞いていました。
数日前の往診の帰り道、水がいっぱい入ったバケツを乗せた一輪車を押すKさんに出会いました。退院の際は、せいぜい歩行器がゴールだったに違いありません。それが荷を乗せた一輪車を押すなんて、常識では絶対に考えられないことで,非常に驚きました。動作はかなり不自由に見えました。気丈なことに「ウネ一つ越えるのも考えなきゃいけない」と不満げでした。しかし全体にゆるりとして明るい感じは以前のままです。
私は気の利いたことも言えず、「久しぶりでしたね」と言って肩に手を掛けました。きゃしゃな肩でした。不思議だなと思うことは、私が知っている90才以上で比較的お元気な方たちは大抵きゃしゃなのです。
そして本日の夕刻、畑の安否を見に行ってみました。Kさんはちゃんとおられて、畑には水がくべられていました。「これとあれは駄目だった」と萎えた株を指す表情がわずかに曇りました。柄しゃくを頼りに立ったまま手を休める彼女と少しだけ話をしました。立っているだけで又ポキッと折れそうで、気が気ではありません。話しながら少し涙が出そうになりました。Kおばあちゃんは本当に素晴らしかったです。

  
水遣りされたおばあちゃんの畑

 
愛用の手押し車

 

休日は

2008年9月15日(月曜日)

 このところ遠方からの来館者さんが混じって、たいがい静かだった樹下美術館が珍しく賑わっていました。今日はいつもの静けさに戻りましたので母を誘いました。展示の陶芸作品は父から継いだものが多いため母にも見慣れた作品があります。ホールを何度も見てからカフェで紅茶をしました。
93の母はこの夏、香月泰男の画集を見て以来、彼の人生と画風に打たれてしまっています。それで自らも鉛筆を執って身辺のものを描くようになりました。この日もカフェに座った途端、目の前の紙ナプキン入れを描こうとしました。
ところでは幼い頃に事故で左官職人の父を亡くしています。最近、女手一つで自分たちを育てた自らの母をよく口にするようになりました。魚の行商をしながら一反歩の小さな田を一人で田植えし、一人で稲を刈り、一人で餅をついてくれたと、この日は聞かされました。車中で話を聞いた遠回りの帰り道、黄金の田園は壮大な刈り入れが始まっていました。
 一方、私の妻は妻で、実家の親の介護の用事で何かとまた忙しくしています。

  

館内 カフェ
   
母の絵 母の絵

ソバ畑

2008年9月13日(土曜日)

今朝上越タイムス紙に樹下美術館がソバ畑の写真付きで載っていました。それで美術館のデッキに出てみました。刈り取りが進んだ田に残されたソバ畑は、一面まっ白な花に変わっていました。デッキを降りてあぜ道を進むと、あたかも泡立つ海の中。身心が洗われる思いがしました。

 

秋のコンサートのお知らせ

2008年9月12日(金曜日)

チェンバロとバロックヴァイオリンのコンサート

 

チェンバロ

 

樹下美術館では今年も秋のコンサートを催します。今回はチェンバロにバロックヴァイオリンが加わりました。一回50席を二回、小規模ですので全席ご予約にさせて頂きました。ご希望の方は、普段のご来館の際にどうぞお申し込み下さい。秋の日、館内に響くバロックの音色をお楽しみ下さい。

♪日時・会場・会費♪
 ○日時:平成20年10月20日(月)午後6時半開場7時開演
  および平成20年10月21日(火)午後2時開場 3時開演
  ※二日で二回の開催です。満席になりましたら締め切らせていただきます。
 ○会費:お一人様3000円(当日受付で)
 ○樹下美術館電話025-530-4155

♪演奏者♪
○チェンバロ:加久間朋子Tomoko KAKUMA
   洗足学園大学音楽学部卒。在学時より「古楽研究会オリゴ・エト・プラクテ
   ィカ」にて、チェンバロと通奏低音奏法を故鍋島元子に師事。イタリア、ド
   イツでソロ公演、アンサンブル「音楽三昧」メンバーとしてアメリカ公演、
   現在、「音楽三昧」メンバー、「古楽研究会」代表および講師。
○バロックヴァイオリン:本多洋子Youko HONDA
   桐朋学園大学音楽学部ヴァイオリン科卒業。パリ国立音楽院、ブリュッセ
   ル王立音楽院バロックヴァイオリン科ディプロマ過程卒業。バロックヴァイ
   オリンを寺神戸亮、F.フェルナンデス、S.クイケンの各氏に師事。,Les Arts                                       
   Flossantsなどのバロックオペラ専門オーケストラでの公演・録音に参加。

♪プログラム:フランスとドイツのバロック音楽♪
   ・フランソワ・クープラン:王宮のコンセール第1番
   ・ビーバー:「ロザリオ・ソナタ」よりパッサカリア(ヴァイオリンソロ)
   ・ J.S.バッハ:ヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ第3番ホ長調BWV
             1016
   ・ ダングルベール:プレリュード・ノン・ムジュレ、パッサカリア(チェンバロ
            ソロ) ほか

あなどるなかれカマキリ

2008年9月8日(月曜日)

 数日前、我が家の階段に大きなカマキリが現れました。それが昨夜は居心地よさそうに温水器にへばりついていました。秋はカマキリの繁殖期だそうです。指を近づけるととても機敏に反応します。こんな所でいつまでも和んでいては繁殖チャンスを逃しかねません。がんばりましょう、と言って庭に放してやりました。
ところでそのカマキリはメスのようでしたので、交尾ではオスを食べるのでしょう。メスは生涯で何度か産卵するそうです。しかしその都度オスを食べるのでは、オスが足りなくなりDNAの繁栄原理に合いません。交尾のあと逃がれて生き延びるオスがいるか、はじめからメスを上回る多くのオスが必要です。もし生まれる雌雄が同数であれば、メスは初めて交尾を経験するようなオス(若いオス)を逃がしてやっている可能性があります。そして食べられるオスは経験済みの、どちらかというと老いた個体が選ばれる?これなら話が合ってきます。食べられるそのとき、オスは甘んじてメスに身を任せると聞きます。DNA(種の繁栄)の摂理に「雌のミッション」、「雄の我慢?」を勝手に感じていました。食されるカマキリのオスの我慢はすでに殉教者ですね。カマキリ、あなどるなかれを思う一夜でした。

 

 

ざくろアラカルト

2008年9月6日(土曜日)

  館長の絵に「ざくろ」を載せました。辺りで目にする今年のざくろは例年より早め、そして多めに実を付けているようです。赤色と種子の美しさ、形状の変化の妙味から、ざくろは好んで描かれる果実の一つではないでしょうか。
陶齋も多くの焼き物にざくろを描きました。その陶齋を愛した父は昭和30年前後に庭など数枚の油絵を描きました。 中に一枚、陶齋の赤絵掻き落しざくろ壺の絵があります。油気もなく下手と、大方に邪魔にされた絵は長年押し入れの肥やしになりました。そして案外あっさり絵を描くのを止めてしまった父が考えたのは、ざくろの壺に何十年も絵筆を立てておくことでした。
このたび埃まみれの絵を取り出して見ますと、良い季節に上機嫌で描いているようで、いいなと思いました。ひどく傷んだ額を近々替えて、昭和57年に亡くなった父への遅い孝行として自室に架けようと考えました。
私に関しては、若い頃に手作りのパイプが流行って、陶齋の壺に習って稚拙なざくろを彫ったことがあります。水彩でざくろも描きましたが、色、形、種子、三拍子きれいに揃うタイミングに出会えないことをいいことに、いまいちのままです。恥ずかしながらこの絵を9月からの館長の絵としていつものようにお手洗いに架けました。

 
陶齋のざくろ壺

 
父が描いたざくろ壺

 
ざくろパイプ

 

2026年2月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

▲ このページのTOPへ