昨夜「ノルウエイの森 上下」を読み終えた。

2021年12月11日(土曜日)

珍しく穏やかな天気が三日も続いた。

僅かな北風によってうまく樹の周囲に散った美術館のモミジ。

さて先月16日あたりから読み始めた「ノルウエイの森 上下」を昨晩寝る前に読み終えた。

主要な人物たちは「緑」を除き心の病かその境界域のようなところで生き、何人かの若者が自殺した。

彼らはみな行きつ戻りつしながら、おしなべて自身を正直に的確に語る(時にはえぐるように)。
だが主人公「僕」は物語の展開について、ほとんど主体的に関与せず、およそ重要な人物(多くは女性)がリードし、それに感想を述べ承認し時に助言するだけである。このような関係は分析医の立場、あるいは狂言回し役が意識されたものかと、勝手に想像した。

「直子」の死後に行われた「僕」の痛々しい彷徨は、「直子」を救えなかった自身への罰あるいは一種のカタルシスであり、長い療養所生活から退所した「レイコさん」と交わることでさらに浄化されて終わる。
残った「緑」さんが気になるところだが、作者は「もういいでしょう」と言っているようにみえた。

“死者とは生前でのみ交わり語れる”はテーマの一つだったのでは、と思い、当たり前のようだが深いと感じた。

以上誠に独りよがりな読後感想でした。もっとちゃんと読まれた方には失礼だったことでしょう。
79才で初めて読んだ村上春樹。思ったより優しい文体で、もう一回読むつもりです。

赤と緑の表紙はクリスマスカラー。
良い時に読み終えた。

今夜はカツ丼でした。


「レイコ」さんがよくギターで弾き語った「ミッシェル」。

柿崎のフクラゲ、ワラサ釣り A氏のチャールズ・ワーグマンと初期伊万里 油断出来ない感染症。

2021年12月10日(金曜日)

本日風も無く穏やかな日。但し日射しは昨日より弱まった。
昼、穏やかな柿崎海岸を歩くのに出かけた。海岸道路に釣り人の車はあったが賑やかという訳ではなかった。

西に向かって歩くと大きな魚を釣った人と出合った。

フクラゲが一匹、それよりずっと大きなのが二匹。
大きいのはワラサと呼ぶのだろう、ブリの手前まで成長している。

4匹釣ったこの人はかなり若かった。
砂で汚しちゃってと仰った。
フクラゲもワラサも、今どきはとても美味しい。
投げ釣りでこれだけの釣果なら十分では。

この方達に出合った直後から釣り人が集まりはじめ、5,6人だったのが一気に増えた。

仲間同士、携帯で知らせ合うのか、あっと言う間だった。

来た時は空いていた道路が車で一杯。

 

さて海崎から美術館に戻ると同時にA氏が来られた。
何か持って来ましたね、と言うと、見て下さい、とニコニコしている。
最初にチャールズ・ワーグマンのスケッチ2点。2点一緒に横長の額に入っている。

米国の国旗を掲げた船。

二枚目はこの船の上陸後の様子。

魚でも買うのだろうか。一行が民家に移動する。

以下この絵の左右を拡大しました。

 左側に喜ぶこどもたち。

右側では船頭が休み、上陸した外国人が歩いている。

幕末から明治前半頃まで多くの画家が日本を訪ねている。動きの多い対象を撮影出来なかった当時のカメラに代わって素早くスケッチが出来るプロの画家たちだ。
英国人の画家ワーグマンは記者としても活躍。幕末~明治の出来事、風俗などを広く描き、ニュースや見聞録として本国へ送付、刊行されている。
仕事の傍ら日本人たちに絵画を教え、“日本で最初の洋画家”といわれる高橋由一(たかはしゆいち)は弟子の一人。
徳川慶喜と接見し慶喜を描いている。邦人と結婚、一児ををもうけた。

「Charles Wirgman(チャールズ・ワーグマン)」
没後100年記念刊行物
1990年神奈川県文化財協会出版

さてA氏が取り出したもう一点は初期万里の皿。

 花が一輪、簡潔で力強く描かれた染め付け。
大きな余白が花をさらに引き立てている。

ワーグマンの自筆画、初期伊万里皿ともに貴重だった。美大出のA氏は広く深く学ばれ趣味が良く眼力がある。時々見せてもらう品は魅力的で勉強になる。
A氏は珈琲を、私は抹茶を飲んだ。

話変わって本日の新潟県における新型コロナ届け出は16名。全国で減っているなか3番目に多い数字だった。新発田市の小学校でクラスターが発生している模様。
ここで止まってくれれば良いのだが、現在感染性胃腸炎が流行の真っ最中、やはり油断は出来ない。

穏やかな本日、田に見られた一面の蜘蛛の糸。

2021年12月9日(木曜日)

昼すぎ美術館に向って車を走らせると、細い蜘蛛の糸が一本ミラーにくっつき、ずっと風に揺れていた。
気温は高く、穏やかに晴れた本日はまさに小春日和。
車の蜘蛛の糸を見ながら、今日はアレの日では、と思った。

 

美術館の庭の所どころに蜘蛛の糸が引っかかっている。
アレの日に違いない。

それで田に向かった。

 

何枚かの田が一面に細い蜘蛛の糸に覆われ、それがふわふわと揺れていた。

 

 

ある農道のへりが白く光っている。
やはり蜘蛛の糸だ。

小春日和の日に、孵化した小さなクモが一斉に糸を吐き出し、糸と共に自らも風に乗って新たな天地を目指すことがあるらしい。2014年の11月下旬の穏やかな日、一面細い蜘蛛の糸に覆われた田を見て以来、この時期に何度か同じ光景を目にした
微細な生き物の微妙な行動は悪天候下は不向きのため、本日のような穏やかな日が選ばれるらしい。

糸が、ある場所一面に見られるのは、ほかから来てそこに降り立ったのではなく、糸を出したはよいが、うまく上昇気流に乗れず地上に貼り付いてしまったのではないか、と想像している。

かって何人か農家の方にこのような現象のことを尋ねたが、皆さん知らないと仰った。
それで今のところ私としては「あれの日」と言うほかない。
今日はその日であり、明日も晴れるというので、再度見られるかも知れない。
当地で呼び名が無いだけで、実はかなりの人が知っていることかもしれません。

今年の師走はいっそう落ち着かない 三回目のワクチン接種 我が家のハリハリ漬け シルクロード第2部の再放送が終わった。

2021年12月8日(水曜日)

12月はやはり落ち着かず、後ろからぐいぐい押されている感覚がする。寒い外と暖かな室内の往き来も気ぜわしく、年末特有の仕度も免れず、ふとどこかへ行ってしまいたくなる。

さらにここへ来てインフルエンザのワクチン接種が薬液の不足で大変不規則に推移している。普段ひまでも、入れば遠くからも希望者が来て多忙を極める。
こんな風にワクチンと関係していると今夏の心臓発作がよぎり、ともすると恐怖心を否めない。

本日、新型コロナワクチン三回目の接種について希望日の確認書類が来た。私達は3月になる模様。
コロナ禍はついに三年目に入る。一部にこのようなスパンを予測していた向きもあったが、私には全くイメージ出来なかった。

 

22年のカレンダーにモネのスイレンが毎月見ることが出来るものがあり、
自室用にもらった。
今冬は絵を描く予定なのでモネを観て励みたい。

 

妻が作っているハリハリ漬け。

 

カズノコとスルメ、それに根布が入っている。
今年はカズノコが少し多すぎるようだ。
あるいは小さくても良い。
祖母→母→妻と受け継いだハリハリは食べ過ぎないようにしないと。

 

毎水曜日に観ていたNHK特集「シルクロード ~第2部~」。
再放送は、本日トルコからついにローマに入り第2部が終わった。
マルコポーロの東方見聞録に対して、
長い取材番組は「西方見聞録」と述べられていた。

 


懐かしいテーマ曲。

1部では父もまだ元気で、よくこの番組を観ていた。映像を通して、大昔でもないのに当時の世界は今よりもまだ平和だったことが、非常に遠いことのように伝わる。

白鳥と文房具の日曜日。

2021年12月5日(日曜日)

午後から夕刻にかけて空が明るくなった日曜日。
晴れ間を見てスーパーMへ行った。卓上マットがすっかり汚れてしまったので新調するため。

行きの田んぼで白鳥の群と出合った。うまい具合に二番穂が枯れている場所で一生懸命穂をしごいてた。きっと実はあるか無しかに違いなく、一日中食べなければならないのだろう。

 

黒ずんでいるのは若鳥。
真っ白は年上の仲間あるいは兄姉また親鳥。

 

柔らかく乾いた草が何とも言えず良い色。
鳥たちは嬉しかろう。
このような写真を絵はがきにしてショップに出したい。

先日に続き夕刻ふたたび朝日池に出向いた。
今回わずかに時刻が早目だったのと、望遠ズームにしたので幾分感度良く撮れた。

 

 

 

 

 

湖面広く鳥たちがいて、それぞれコウコウとかクワクワと思いっきり鳴いている。コーラスのように響く鳴き声は180度、いやそれ以上に広がって私を包み、なかば鳥の世界に入っているようだった。さらに闇が深くなるにつれ異次元的な不思議な感覚に陥り、ずっとそこに居続けたい気持さえした。

彼らの幸福の為(勿論私達も)に、昨冬のようなドカ雪だけは止めて頂きたい。昨年1月上旬からほぼ一ヶ月間、鳥たちはねぐらも餌も拒まれ、危機的な状況にさらされた。

さて卓上の1枚メモを始めて2年少々経った。取り替えは6回目か。この度はコロナのPCR検査と個別ワクチンの受け入れで相当メモった。
ボールペンで黒→赤と書き、その上に赤または黒の細目のマーカーで書く。年のせいでお茶や牛乳をこぼしてしまい、今回はとても汚れた。

 

2019年8月から初めた机上の1枚メモ。
ブログによれば前回2020年12月8日に取り替えている
まだ少し余白はあるがボロボロなので取り替えた。

  グリーンマットも新しくして、その上に終わった月のカレンダーを裏返して張り替える。
今度のは大きめなので頼もしい。

 

スーパーの入り口にずらりと手帳が並んでいたので買った。
今年は気分を変えてオレンジ色に。

美術館は今年の終了までちょうどあと十日。馴染みの方たちに、良いお年を、と挨拶した。

手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」が無事終了した 可愛いイルミネーション。

2021年12月4日(土曜日)

本日午後3時から始まった「手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」が無事終了した。
2014年から始まった会は今年8回目だった。

悪天候のなか、ほぼ予約通り31人のお客様が来場された。
密を避けて散らばって頂き、途中休憩を入れ前後45分ずつの会はほどよく進み、ほどよく終わった。

後半のクラシックを担当されたA氏には、レコードの持参と歌の訳詩のプリントを用意して頂いた。内容が分かるといっそう歌は心に沁みる。
前半の軽い音楽は私の担当。曲にまつわる思い出などを短く紹介させて頂いた。

荒れ模様の初冬の夕べを互いに親しく過ごした良い時間だった。ご来場の皆様、誠に有り難うございました。

 今夜大潟区で見たお宅。
可愛いイルミネーションからお宅の優しさが伝わる。
一目見て幸せな気持になりました。
車を止めて車中から撮りました。

カーナビがついた ノルウェイの森は下巻へ 美しい夕暮れの尾神岳と素晴らしい朝日池の夜の白鳥。

2021年12月2日(木曜日)

本日木曜日午後はフリーの日、車にナビが来る日で、付けてもらいにディーラーへ行った。
13時半から作業の一時間半少々をホールで待った。

その間に介護保険の意見書を二通書き、残った時間はノルウェイの森を読んだ。本はいよいよ下巻。会話が多く読むのが楽で、一応64ページまで来た。

遠く人里離れた静謐な山地にある精神科施設。そこにいる直子を訪ねた「僕」の二泊三日が描かれる。二人のほかに少し年配のセラピスト?の女性が加わる。彼女らから心の問題や辛さを聴かされ、時に互いは体を求めあう。
それぞれに心を病む二人を残して帰京した「僕」は、上巻で知り合った同級生の一見奔放な「緑」に誘われる。

この先どのように展開するのだろう。
知的と思われる人物たちの行動にまとわりつく性の衝動と行為。登場人物は若いが、作者自身、まさに正しく若かったのだろう。読んではみたが何か回春剤でも服用するようで、一人気恥ずかしいが、折角だから読了したい。

カーナビが付き3時を回って出て美術館に帰った。
何人かのお客様と話をした後、いつものように田んぼへ出かけた。
ところで、私が夕方出かけるのは徘徊ではないのか、と以前書いた。如何に名付けようと認知症のそれと比べ、動機にさして違いは無さそうだ。
少なくともストレス緩和あるいは新たな何かの体験。もっと言えば生きていることの確認なのか。私はちゃんと戻れるので、今のところ良しとしてもらいたい。

ところで本日の夕刻は素晴らしかった。

 

素晴らしさの一つは尾神岳。赤く美しく夕陽に染まっていた。

 

次々とねぐらへ帰る白鳥。

彼らのねぐら「朝日池」に寄ると素晴らしい光景を目の当たりにした。

 

 

 

背景の建物は米山水源カントリークラブのホテル。

水鳥たちがこんな夜を過ごしているとは、なんて平和で幸福なんだろう。

ようやくノルウェイの森を読み始めた ディア・ハート。

2021年12月1日(水曜日)

樹下美術館では今春から三誌の文化系雑誌を定期購入してカフェにお出ししています。

一つが骨董、古美術の「目と眼」(目と眼社出版)。
一つが総合的な美術雑誌「芸術新潮」(新潮社)
そしてライフスタイル雑誌「BRUTUS:ブルータス(マガジンハウス社)です。

芸術新潮は昭和25年、目の眼は昭和52年、ブルータスは昭和55年の創刊です。バブルや経済ショックなど社会の荒波を越えて、文化系雑誌が刷新を重ねながら充実して維持されているのは、世の健康を物語り元気づけられます。

 

カフェのラックの「目の眼」、「芸術新潮」。

 

BRUTUS。
悩み多き1980年代、この雑誌にはお世話になりました。
服装や小物に食器、本やポストモダン思想から東急ハンズまで知りました。

これらの中で今年10月のブルータスは(上)(下)に分けて村上春樹の特集でした。
本日のブログは、縁の薄かった村上春樹の遅かりし個人的な入門編です。

実は氏の本のうち、「中国行きのスロウ・ボート」「海辺のカフカ」「ノルウエイの森」「意味がなければスイングはない」「村上ソングズ」「ポートレイト・イン・ジャズ」「セロニアスモンクの居た風景」などはちゃっかり書棚にあります。ジャズが好なので、とりあえずタイトルが気になるものだけ買っていたのです。

いずれもパラパラとめくっては終わり、
「年だから今さら読んでも間に合わない」。そんなことを理由に過ぎました。

ところがこのたびばかりは、カフェのブルータス二冊が、「村上春樹 上下」と書かれた表紙をこちらに向け、毎日睨みつけているではありませんか、毎日。
何となく根負けしてしまい、家の棚から「ノルウエイの森」を引っ張り出して、ついに読み始めたというわけです。

ビートルズの曲名と同じ、ぱっとみ意味不詳なタイトル。それが上下で600ページもあり、しかもケタはずれのベストセラーだという。
いざ手にすると、何が書いてあるのか、どんな文なのか、急に興味が湧きました。
読み進むにつれ面白く、ガソリンスタンドの洗車待ちも読みました。

左・赤い表紙の上巻 右・緑色の表紙で下巻。
赤と緑の表紙はクリスマスカラーらしい。

読み始めて丁度2週間、昨夜上巻が終わりました。
まだ上巻だけですが、映画化が意識されていたのでしょうか、場面の切り替わりが台本のようで少し気になりました。だが愛と性、生死、精神・心理とそのゆがみや困難、それらにおける人間の関係性などが詳細で、想像以上に深い本だと思いました。

さて、がらりと話変わりますが、作中、
主人公「僕」がクリスマスプレゼントとして、「直子」へ彼女の好きな「Dear Heart(ディア・ハート)」が入ったヘンリー・マンシーニのレコードをプレゼントするくだりがありました。
以前一度載せたことがありましたが、以下にYouTubeからその曲を借りました。

 


録音は1965年らしい。
小説中のプレゼントは1968年のクリスマス。

ところで私にもこの曲に拙い思い出があります。
若い若い時代、ある人と知り合ったときのこと。1960年代の正月、伊豆の見晴らしの良い山にあるその人の別荘に誘われました。彼女は先に行っていて、私はクラッチのバネが切れるようなオンボロのワーゲンに乗り、都内から向かいました。

伊豆では平野部を経てつづら折れになった草地の山道に入ると、かなりの急登。無事のぼれるか、冷や冷やしながらハンドルを握りました。
やっとの思いで到着すると、「あなたが登ってくるのをずっと見てた」とその人が言いました。

その晩、慣れない手つきで彼女が五目鍋を作り、私は持参したウクレレを弾き、手持ちのソングブックをⅠページずつ一緒に歌いました。私はディア・ハートを知らず、彼女は知っていました。良い曲だなと思いながら何度も歌いました。

ノルウェイの森の本が終わったらもう一度繰り返し、その後「海辺のカフカ」にするつもりです(あくまで予定」)。
なにごとも奥手なので人生の最後に忙しくなるのは仕方がありません。

大潟町小学校の「幸せな学校」の取り組み。

2021年11月29日(月曜日)

今春、学童健診で大潟町小学校を訪れた。
廊下を歩いていると「大潟町小学校がみんなにとって幸せな学校になるために5,6年生で気づき、考え、実行していきます。」という貼り紙があった。

赤い字で「幸せな学校」と強く書かれていた。学校の目標に「幸せ」を掲げるとは何て素敵なことかと思った。

 

目に留まった可愛くも素晴らしい貼り紙。

 

隣に「幸せな学校」を真ん中に,、細かに分析されたチャート図があった。
意味や文字から、教師や保護者向けの図だと考えられた。
みんなで掲げている幸せの実践。

さて過日、来年の入学に向けた移行学級の健診で再度お邪魔した。
仕事前の校長室で、春見た掲示「幸せな学校」の素晴らしさを話した。するとこちらにもあります、と言って児童の玄関口へ案内してもらった。

 

カラフルに「毎日がハッピー大潟町学校」。

 

こちらは「ここは、みんなでつくる幸せな学校です。
そのために、生徒で考え、実行しよう。」と書かれている。

私は、ついにはじまったか、と密かに喜んだ。
実は何年か前から数回、学校保健委員会の最後のまとめで以下のように述べた。

“毎年課題を設け、こうして時間をかけて話し合いをする。メディアやゲーム、肥満、食事、睡眠、いじめなどを繰り返し行って来た。繰り返しには、あえて行うだけの意味がある。

しかし、そもそも健康や勉学の課題は何の為にあるのでしょう。何の為に健康になり、何の為に勉強するのだろう。”

皆様に問うてみた。
するとしーんとなり、委員の方々は首をひねりはじめた。そこで、

“実は健康も勉強も幸福のため、幸せになるために取り組むのではないでしょうか。幸せは現在の課題であると同時に将来、さらに老後、もっと言えば人生そのものの最も大切な課題だと思う。これには様々な意見や角度があり、個人や集団も関係してくる。まずはゴールよりも話合う過程の方が大事かも知れない。繰り返し話合い、意味を確認しながら長く取り組んでは”

という主旨を述べた。
こんどは多くの方が頷き、笑顔を見せる人もいた。

さて今年から見られた「幸せな学校」の取り組み。上に述べた話が反映されたかどうかは分からない。自発的に出て来たものかもしれないし、現在すでに多方面で行われているのかもしれない。

いずれにしても新たな校長先生のもとで、幸せな学校が開花しはじめたかに見え、とても嬉しかった。
幸せは大きく大切なテーマだ。敢えて身近なものから取り上げ、楽しみながら私の母校大潟町小学校をいっそう幸せな学校にしてほしい。

この先、機会があれば幸せ、幸福について拙い考えを記させてください。
「幸せ」、「幸福」。不思議なことにいずれも響きの良い言葉ですね。

昨日のカモメ、今日の波浪。

2021年11月28日(日曜日)

作日朝、仕事が始まるころ激しくアラレが降った。スタッフが駐車場から走るのが見え、いっときあたりが白くなった。

 

仕事場の庭。

 

土曜日午後は休み。美術館に行く途中で大潟漁港に寄ると次々にカモメが来た。

 

 

 

 

カモメは強い。
吹きすさぶ季節風に向かって気ままに飛んでくる。

 

同じ日、スズメたちは農道で草の実をついばんでは、
近くの電線などで身を寄せ合っていた。

さて本日日曜日、風が弱まったので柿崎海岸へ向かった。シーグラスが上がっていないか見に行った。
意に反してまだ波が高く、シーグラスはおろか砂利も上がっていなかった。だが波浪は見応えがあった。

 

 

 

上掲3枚は海岸の西J方角。
以下は東。

 

柿崎海岸は中央から東西で眺めが随分異なる。西は平坦で人がよく歩く。対して東は崖が迫り、釣り人はいるが歩く人は少ない。

本日美術館はT先生ご夫妻がお見えになったそう、留守をして申し分けありませんでした。

一時里帰りしている孫のSちゃん、一段と垢抜けし、考えもしっかりして驚きました。

耳や頬に冬独特の冷たさが感じられるようになりました。

「手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」のプログラム。

2021年11月27日(土曜日)

12月4日土曜日、午後3時から開催の「手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」が近づきました。
何かと忙しい年末ですが、以下のようなプログラムでひとときを過ごしましょう。

まだ4,5席の余裕がありますので、お気軽にご参加下さい。
☎025-530-4155へどうぞ
会費大人お一人様500円。
途中休憩にお茶とクッキーをお出し致します。

気温が下がった日 あさり豆腐 今夜上越地方に竜巻注意報が出た。

2021年11月26日(金曜日)

少々風は収まったかにみえるが、最高気温は10度あるか無しかだった。
あたりの枯れ草は連日の強風ですり切れて背丈が短くなり、ミゾレや雪が近くなったことを知らせている。

美術館から車でほぼ1分の潟川。
山は左・米山、右尾神岳。
目に入るものみなひんやり寒そうに見え、いよいよ冬がくる。

夕食のあさり豆腐。
つゆ温かく柚子が効いていて美味しかった。

今夕のテレビは“一時間後、上越地方で竜巻”の注意報を知らせた。現在9時半少々、その時刻になったところだが、急に風が強まり雨も叩き始めた。
先ほどは雷が鳴り短時間停電した。本当に竜巻が来るのだろうか。

さて、
恒例のSPレコードを聴く会が1週間後となりました。まだ少し席に余裕がありますので、どうぞお電話や窓口でお尋ねください。

樹下美術館☎025-530-4155。 
明日プログラムを掲載致します。

今年もクリスマスリースが届いた 田に白鳥とマガン 白ツバキの下絵。

2021年11月25日(木曜日)

あっという間に過ぎ、短いばかりの月々にあって、今月11月は何故か長く感じる。5日を残しているうえまだ11月である。

この間、温かい、寒い、晴れる、吹く、降る、あるいは紅葉、落葉など現象が様々に変わった。さらに不定期に届くインフルエンザワクチンで仕事も不規則、全体にごちゃごちゃとして落ちつかない。
普通なら色々あれば時は早く過ぎるはずであるが、もしかしたら認知症が入り、日にちを数えたり確認せずぼんやり過ぎているだけ、のことなのか。

そんな日々、過日は毎年クリスマスリースを届けて下さる方が今年も真心込めて造られ、運んで下さった。

本体の輪はご自宅の木の枝が用いられている。
とても良い雰囲気。

さて今日もよく吹いた。三日続きである。この時期らしく空はめまぐるしく変わり虹も掛かった。
以下は冬鳥を観に行った午後、頸城区の田んぼ。

虹に向かってほくほく線電車が上って行った。

 

今度は強風に向かって下った電車。

 

農道に入り、ほくほく線との間にマガンの群。
鳴き声だけ耳にしていたが、姿は初めて。
道路の近くだったので停車によって多くの鳥たちを飛ばせてしまった。

白鳥と一緒だと安心している風のマガン。
気温が下がったので遅くまで田んぼで食餌できるようだ。

沢山の雁を目にすると、ハクガンの飛来が期待される。

さて一昨日のこと、白椿の下絵を描いた事を記した。
どうも葉に生気が無く本日ひと枝取って、ジロジロ眺めながら続きを描いた。

もう数枚葉を追加したほうが良さそう。
あるいはもう少し開いた感じの花が良いかもしれない。

 

花や葉は枝との接続部分が複雑。
拡大鏡を観ながら別に描いてみた。
葉はさらに葉脈ごとの凹凸を現していく必要がある。

前回の遊心堂さんに於ける作品展から7年が経った。年取って雑になったと言われないようにしなければ。
展示はかっての水彩のほか、小さな油彩を30点少々。油彩は同じ絵を何枚も描く予定。
今後下絵から本画に進み彩色を施す段取りで、怖いような楽しみのような、いずれにしても不安を否めない。何よりも前回と異なり、健康だけは留意しなければ。

展示会は来年の8~10月までの期間を想定しています。
15年前、精一杯苦労して建てた樹下美術館。
拙くも我が作品を、一度は架ける我が儘を叶えたい、と考えている次第です。

強風の大潟漁港 スタンプラリーのお客様。

2021年11月24日(水曜日)

穏やかな秋空が続いていたが、よい顔ばかりしていられないということか、昨日は終日荒れた。ただ雨は降らずに陽が射したのは有り難いことだった。

午前中に来年秋に予定している拙作品展のために下絵を描いた。相変わらず椿で、この度は縦位置で白ツバキを試みた。

晴れていて強風と言えば雲か海。午後大潟漁港へ向かった。

 

昔であれば車から出て下から撮ったけれども、昨今の横着から車中で構えた。そのせいで波の迫力はいまいちだった気がする。

ところで春ののんびりした波はなんと根気の良いことと感心する。だが秋の荒海も、よくもまあ飽きもせず激しく打ち続けるものだと思う。
一方波からすれば、いつまでもレンズを向ける私こそ、なんと暇な人間、と思っているかも。

海を終えて美術館へ。
今夏ころから美術館や博物館などの施設利用に「スタンプラリー」が適用されている。県内で参加している54の施設には無料また一部割引で入場できる。
後にこちらがまとめて利用者様の所有番号などを事務局に報告し、かかった費用が入金される仕組み。新潟日報社が事務局となっている。

この試みのせいであろう、当館でも展示をご覧になるお客様が確実に増えている。文化施設を訪問される方が増えるのは非常に良いことで、私達にとっても有り難い。

現実に利用される制度の反応。大げさに言えば、この方面の高まりは国の力に寄与するに違いなく、まれに見る良い試みではないかと心底から感心している。

私が美術館に居る時、長岡市からと仰る若い方が見えていた。小さな当館は直ぐに見終わる。お声を掛けると今日のラリーはここが最後と仰ったので簡単に作品の説明をさせて頂いた。とてもよく聴いて頂き有りがたかった。上越は観るところが沢山あってと仰った。

一般にラリーの皆様は一日で多くの施設を回られるため、見終わると次へ急がれる。本日お会いした方はカフェも寄って下さり、ゆっくりされたとお聞きした。リピートしたいと仰ったそう、ぜひまたお寄りください。

雑木林の空き地はあるご夫婦の畑跡 白鳥たちは温かすぎる気温に困っているのでは。

2021年11月21日(日曜日)

例年ならば時雨れたりアラレが降ってもおかしくない今ごろ。
本日も温かく穏やかな日和だった。髙田で最高気温が17度の模様。
暖かさ続きは有り難いが少々不気味でもある。空の不順は仕方がないが、この先昨冬のようなドカ雪だけは避けてもらいたい。

そんな日曜日、午前は部屋の掃除や片付けをして午後は美術館の後、大潟区の「鵜の池」へ出かけた。周辺の鳥を見るためだった。

 

途中雑木林の空き地にびっしりとセイタカアワダチソウ。
草の背丈はまだ低く、眺めは清々していた。

ここはある年配のご夫婦の畑跡で、お二人は自宅から1,5キロほどのこの場所へ自転車やリアカーで通って来られた。畑を止められて10年は経ち、お二人とも数年前に亡くなられた。冬に草が枯れ、春は周囲の雑木林に小鳥たちの声がこだまする。

以下は鵜の池で、過日の朝日池のすぐ西隣。北側は県立大潟水と森公園になっている。

 

本日はざっと見周辺の田に白鳥の姿は無く、鵜の池の遠くにひとグループがいた。

 

午後2時半ころ、突然白鳥(コハクチョウ)たちが次々に降りて来て群に加わった。

 

 

 

コウコウと頭上で鳴き、降りるとまたコウコウと鳴く。
「コウコウ」は「幸幸」と聞こえ、大勢で鳴くと遠くまで良く声が届く。
15羽ほどだった群は最後には150羽ほどになった。

以下は鷺です。

 

 

 

鷺は警戒心の強い鳥ですが、じっとしていると近くへ来ることがあり、優雅な姿が見られました。

ところで今年の白鳥のことです。
例年なら日中は夕方暗くなるまで田んぼで食餌をします。それが過日の朝日池および本日の鵜の池、ともに昼から池に居たり、早々と池に戻るなどをしていました。

今年のように昼間から池で白鳥を目にするのをとても奇妙に感じました。
もしかしたら今秋は温か過ぎ、田んぼの冬鳥は長く体が持たないのかも知れません。それで早目に池に戻り、温まった体温を冷やすのではないか、と考えてみた次第ですが、いかがでしょうか。

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