「小3の凄まじい体罰」をお読みいただいて。

2025年9月13日(土曜日)

本日昼すぎ美術館で元小学校教師の方とお会いしました。当館の貴重な常連さんのお一人です。彼女は小学校の言葉の教室の先生でした。

過日当欄で3回にわたり掲載しました「小3の凄まじい体罰」を読んだと仰いました。言語や諸発達を受け持つ先生ですから吃音については専門家です。様々な取り組みから理解や共感は勿論、二人で同じ物を読むトレーニングの有用さを教えられ、言葉に対して過度に「流暢さ」を求める弊害を指摘されました。

彼女が体罰と同じくらいびっくりされたのは佐藤トシ先生の事(「小学校に上がるまでジャンケンを知らなかったAちゃん」)」だと仰いました。敗戦でまだ貧しかった時代に1クラス60人もの低学年を受け持たれた事など普通には到底考えられない。そればかりか60人をまとめ、生徒から等しく慕われていた事に驚いたと言うのです。

その先生がなぜ3章の20才の会にお出になられなかったのかと、指摘されました。文中触れませんでしたが、会の祭にはみな佐藤先生に会いたいと待ったのですが欠席だったのです。何故なのかみなそれぞれ思案しましたが結局分からずじまいでした。

中学一年の時に映画「二十四の瞳」を学年100人全員で観に行きました。しかし佐藤先生は60人の生徒をを毎日学校に行きたくなるように導かれました。元教員の女性はあの2年生のクラス写真にはしっかりとしたまとまりが感じられ担任の大変な力量が伝わると仰いました。

昭和24年の2年生クラス写真の再掲。

しかし写真の先生は右端でそっと佇んでおられるだけなのです。

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