頸北二山一対 米山と尾神岳

2011年11月22日(火曜日)

寒かったが予報を覆しておよそ清々しい一日だった。

 

近くの大潟区・中谷内池。池のへりを高速道路が通り、それをまたぐ県道は小高くて見晴らしがいい。本日、池の向こうの米山と尾神岳は雪化粧が施され、穏やかな日差しを照り返していた。

 

米山
左に三角定規のような米山

 

尾神岳
右にゆったりした台形の尾神岳

 

いつもながら二つの山は兄弟か姉妹のように見える。姿が異なるゆえ互いは引き立てあい、魅力的な一対となっている。

 

一卵性の双子さんを持つ親御さん達は兄弟・姉妹を「おたがい全く違います」、あるいは「正反対」とも仰る。違いこそ兄弟・姉妹の価値なのだろう。そして地続きであることもまた。

 

静かな池の端で5羽のカワウが羽を休めていた。明日のお天気もさほど悪くないようだ。

TASTING

2011年11月21日(月曜日)

昨日のノートに旧友がワインを選んだことを書いた。私などには遠い領域だが、彼のワイン選びは現実的な幸不幸の問題に見える。

 

このたびの食事の10日ほど前、「店を決めたからホームページからメニューを見て選んでみて」とメールが来ていた。コースではなくアラカルトにしようというこだわりも伝えられた。

 

私はホームページを見て牡蛎は必須、肉料理を一品と返事した。昨今肉がきつく感じられるが、ワインは自分のおごりにしたいという、彼の好みを考えてそうした。

 

そもそも彼の人にあって年に一回の食事はただ一点、いかにワインを選びメインに合わせるかにあろう。予め私たちに何が食べたいのかを聞いた時点で、あれかこれか、幸福な思案がはじまるにちがいない。

 

さて当日自分にはほぼ決めていたワインがあったという。ソムリエとの前段はそれがどんな状態で店にあるかの確認だったのか。幾分若いソムリエは一度下がると戻って来て、またひそひそと始まるのだった。

 

私たちはメインを肉でと伝えていたが、何の肉か決まっていなかった。メニューを見ながら5人そろって鴨を選び彼も同意した。ワイン選びは流動する現場のスリルも楽しむように写った。コースではなく、アラカルトを提案していたのもうなずける。

 

鴨ということでソムリエとの間になにやら事案が生じている模様だった。「もうちょっと待ってて、今決まるから」、という彼は幾分興奮していた。ソムリエの助言を容れて冒険をするらしい。

 

幸福のワインは決まった。ある種地味ながら穏やかな存在感を漂わすワインが登場した。しかし雑談と食前酒で出来上がりそうな私たちの無知は、もっぱら鴨や佐渡のいちじくなどを賞賛するのだった。

 

さて翌日家に帰ると以下のメールが入っていた。珍しく長文だった。昨日のワインC・C・Bの感想が述べられ、何ともいえない思いがありました、とあった。彼自身ほろ苦かった様子がうかがえる。

 

“開高健が良い酒ほど水っぽくなっていく事を書いています”と書かれ、以下のように続いた。

●当日、ソムリエの意見を取り入れて決めました。気に入った映画「サイドウェイ」の思いがあったから、一度飲んでみたかった。

 サイドウェイのDVD送ります、奥さんと観てください。

映画の中で恋人になる女性のこんな台詞があります。

“ ワインは日毎に熟成して複雑になっていく

ピークを迎える日まで

ピークを境にワインはゆっくり坂を下り始める

そんな味わいも捨てがたいわ”

 素敵なヒロインの言葉でした。 でも、鴨にはC・M・R(彼が想定して臨んだワイン)がよかったかな。

 

人それぞれ向きは違う。彼の味への探求は続く。若い時に様々な香辛料を蒐集し自分でカレーを作っていた。何人かで食事をすれば、お互い違うものを頼もうや、と言う。出てくる他人の料理を「ちょっと」と言ってはつまむのだった。ワインも長い探求の延長線上にあるのだろう。

 

年と共に夢見る人の向きはますます貴重になる。

 

TASTING

旧友と食べ、そして観た週末

2011年11月20日(日曜日)

昨日午後上京し二組の同級生夫婦と会って食事をし、翌日は11時からゴヤ展を見た。学生時代と医局時代をともにし、毎年一度こんなことをするようになって10数年が経った。

 

食事をした店でアンドリュー・ワイエスの絵に出会うとは(ワイエスの画集は樹下美術館のカフェに出ています)。

 

おごると言ってkが10分近くソムリエとやりとりしてワインを選んだ。その味わいは初冬の蘆原の香りがする詩的な一本だった。

 

 厚岸(あっけし)の牡蛎は抜群で、肉や果物もよく選ばれていた。親の介護、自分たちの健康、昔話などをぐるぐる回しあい、3時間はやはりあっという間だった。

 

1ウエイティングルームの本ウエイティングルームの本:死ぬ前に飲むべき1001のワイン。 

2ワイエス
アンドリュー・ワイエスの絵

3クリストフルのカトラリー滑らからなクリストフルのカトラリー

4チケット
「ゴヤ 光と影」展 チケット

 

ゴヤ(フランシスコ・デ・ゴヤ)展は賑わった。お目当てはカラフルな着衣のマハだが、素描と版画の小品によるモノクロがむしろ強烈な印象だった。これら100点近い作品には、人の欲望や戦争の際限ない愚かさと残虐さが徹底して描かれていた。痛烈な批判は、彼が最初の近代の画家と呼ばれる所以にちがいない。

 

 5図録
何とも愛らしい図録表紙(着衣のマハも選べるがこちらにした)
スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像

 当肖像画の王子はあまりにも魅力的で、悲しいほどなのです。

 

 

 6コースター
日本食堂のコースター
汗ばむ午後、東京駅構内で小さな椅子に座ってアイスコーヒーを飲んだ。

雲見るためもあらむ今日の日 夜は救急

2011年11月18日(金曜日)

往診は夕刻までかかった。夕焼けは日没する西をはずして東寄りの雲を染めた。ダッシュボードのポケットカメラで撮った。

今日の夕焼け雲

 人の世のいかなるものかは知らねども雲見るためもあらむ今日の日

 

追加:夜9時過ぎに電話があった。夕食は変わりなかったという在宅患者さんの急変、痰が詰まっているようだということで急いで出た。完全に反応を失いぐったりされている患者さんの顔ががゆがみ、左上下肢がだらりとして脳血管障害。血圧は維持されていて、すぐに病院と救急に連絡し紹介状をFAXした。

 

在宅の急変は家族が直ちに救急車にするか、在宅主治医の往診を依頼するか、判断が微妙な場合がある。様子を聞いてすぐに救急車を呼んで下さい、と伝えることもある。

 

近時脳梗塞は、病院専門科による早期の処置(t-PAの静脈注射)によって重篤な麻痺の回避が期待できるようになった。事実この一両年、救われた事例がみられている。
いずれにしても如何に早く病院に到着するか(二時間以内の到着、三時間以内の処置)が鍵になる。

司修先生有り難うございました。

2011年11月18日(金曜日)

樹下美術館の年間イベントは限定されている。本業もあってご期待に沿えず申し分けない、といつも思っている。

司修先生お話される司修(つかさおさむ)先生

恵まれた晴れの日の昨日午後、司修先生の講演会「雪国の画家倉石隆」が無事に終わった。充実のひと時だった。

倉石隆は、大らかな優しさによって司さんご本人はじめ、多くの画家達に敬愛され、周りにはいつも人が集まったという。

芸術作品に込められた作家の道程、人間や父母への避けがたい葛藤と思慕。優しさが代償している悲しみなど、倉石隆を通して芸術家を突き動かす原初的事象(私たちにも共通するもの)が日常の言葉で述べられた。

講演はいつしか私たちの深層も触発し、感動の一時間となった。

 

聞き終えて自分自身、倉石隆を飾れる幸運と司氏のえにしをあらためて有り難いと思った。

ご来場の皆様、まことに有り難うございました。

急変する天候とサーフィン 明日は司修さんの講演会

2011年11月16日(水曜日)

お天気のなんとお天気屋さんなことだろう。昨日の荒天とうって変わって今日の晴天。寒かったが時間が経つほど晴れ渡っていった。

 

サーフィン

午後の大潟区雁子浜の海岸でサーフィンをする人を見た。海は楽しめる場所だが、津波だけは本当に恨めしい。

 

明日は絵画、装幀と挿絵、小説、芸術論と多能な芸術家司修さんの講演会です。若い時代から倉石隆とお付き合いのあった司氏。かって録音された倉石氏の声も聞く事が出来るようです。とても楽しみです。

いよいよ季節風 TPP:美田は誰のもの

2011年11月15日(火曜日)

昨日静かな秋と書いた。それが今日一転して気温が下がり季節風が唸り、ついに冬将軍が使者をよこした。 

 

初冬の道
往診の帰り道

 

雨風の中、4軒の家を回った。脳卒中後、リハによって少しずつ嚥下が出来るようになった農家の家長が食い入るように国会中継を見ていた。

 

 

上越の美田
上越の美田

 

TPPの実際がどんなものであれ、美田は日本の農家と私たちのために残されなければならない。草が生えるようならこの国をもう日本とは呼べなくなる。

 

まさかそれを仕切るのは、いずれアメリカ人か中国人か、という話ではないだろう。  

初冬のバラ
家に帰ってバラに気がついた。  

昨日いただいたお菓子は小さいながらやはり夜光パン。もしも夜行パンでも情緒があろう。

今年の秋は 雪国にも赤い冬

2011年11月14日(月曜日)

昨夜から雨が続く。例年ならば木枯らしも吹く頃だが妙に静かだ。

 

落ち葉の片付けが厄介なケヤキはまだ本格的な落葉をしてない。ある方からせっかくの干柿をカビさせてしまった、とも聞いた。

  

ナンテンの実

始まりは南天の赤い実、紅の椿が咲く頃に冬は終わる
無為に春を待つだけでなく
心に赤い灯をともして一日ずつの冬を過ごそう。

 

お菓子とお茶往診先でいただいたお菓子、お番茶によく合う。

 

いただいたお菓子は上越高田の伝統菓子で、いつかどこかで食べたことがある夜光パンだ。しかし今日の品には別名が付いていたような気がする。明日になったら分かるかもしれない。

週末、貴重な場所で

2011年11月12日(土曜日)

インフルエンザワクチンの接種はピークが続いている。今年からお子さんたちの接種量が増量された。

 

これまで高額な費用を支払い痛みをこらえて受けても、40度もの熱で発症するお子さんが少なくなかった予防接種。このたびの増量による効果はどう判断されるか、目が離せない。 

 

四ツ屋浜の海午後三時、四ツ屋浜の海をみて

齋藤尚明さん作品展
高田、アートサロン遊心堂さんで15日までの齋藤尚明氏の作陶展を見た。
 樹下美術館でお出しする銘々皿セット、ほかに美しい茗荷の小品を求めた。

 

幼少を知る尚明さんとは雑談が尽きない。間もなく美術協会のIさん、エレクトロニクスのUさん、陶芸家のTさんが次々お見えになり、お話をご一緒して光栄だった。

 

皆様と別れて大島画廊へ寄り、額装を終えた倉石隆の「」を受け取った。店内でばったりIさんと出会った。「今日、友人を連れて樹下美術館へ行きましたよ」と、美しい人のもったいないお言葉。

 

びんのかけら初めて行った店「びんのかけら」。

 

リー・ワイリーのヴォーカルがかかる「びんのかけら」の店内。そこで美味しいピザとコーヒー、それにケーキを食べた。センサブルに選ばれた過去にはときめきと安心がある。今後「びんのかけら」はますます貴重だろうと思った。

 

秋バラの庭、奥にはバレースタジオ、、、おとぎ話のような場所だった。

いただいたチョコレート メルバの食器ドリー・バーデン

2011年11月11日(金曜日)

新米を送った東京の親戚からゴディバのチョコレートが届きました。夕食後にコーヒーを出して食べましたが、とても濃厚でした。

 

コーヒーは今年求めた1943年製、英国メルバ社のトリオで飲みました。トリオ(カップ&ソーサーとケーキ皿)は、絵がらの女性の名からドリー・バーデンと呼ばれるようです。

ドリーは英国の偉大な小説家チャールズ・ディケンズ(1812年~1870年)の作品の一つ「パーナビー・ラッジ」に登場する明るく魅力的な女性と、説明書きにありました。

ゴディバのチョコレートとメルバのカップメルバのドリー・バーデンと後方のチョコレートのボックス。

当食器は来年三月、樹下美術館の開館からカフェでお出しする予定です。写真はわずかな損傷があるカップを用い、カフェ向けの4セットは現在大切に保管しています。

ドリーが出てくるパーナビー・ラッジを読んでみたいと思いました。

ディケンズと言えば忘れもしません、数えてみると57年も前、中学校へ入学して初めての国語の時間だったと思います。先生は今までに読んだ中で最も印象に残る本を生徒に尋ねました。

「大いなる遺産」、K君が答えました。
「エッ、おいなりさん?」

「大いなる遺産!」
「おいなりさん?」

 

先生との間でやりとりが何度もありました。K君は顔を真っ赤にして大声で答えました。みな笑いだし、K君はついに肩を落として座ってしまいました。しかし問答は明らかにK君の勝利だったのです。

母の命日 沢山良いことが

2011年11月10日(木曜日)

去る11月7日のノートに母の夢を見たことを書いた。ハモニカを吹くのは如何にも母らしいと思ったが、正直、叱られての曲目がやや寂しさを残していた。

今日昼、三回目の月命日でご住職に読経していただき、一生懸命祈った。

 

 命日の読経

そのせいか午後から以下のように良いことが7つ起こった。

1.美術館にお客様が次々と見えられた。
2.新潟、長岡、三条、柏崎、と県内遠方の方たちがお見えになった。
3.今月二つ目の団体さんの予約があった。
4.いもけんぴの絵を買いたいと、お客様が仰った。
5.球根類を植え、懸案のもみじの移植が出来た。
6.きれいな月だった。
7.お目に掛かりたかった人にお会い出来た。

 

植えたもみじ
ひと月ほど前に根切りをしていたもみじを移植。

およそ1,6メートルのもみじは、庭の奥の方、日当たりの悪い所から移した。当砂地の庭は夏には猛烈に灼けて花がつらい。少しでも日陰ができるよう最も日の当たる場所に植えた。一躍目立つ場所に出た木、やや心配だが実生なのでうまく育つことを期待したい。

月「私がもみじの鉢を掘るから、あなたは月を撮っていて」と妻が言った。

三日前の母の夢と本日のお経、そして皆様のご理解によって良い日になった。体にも気を付けなければと思った。

大潟小学校の絵本室

2011年11月9日(水曜日)

日中は曇り空から時おり雨が降ったり陽が差したり。

午後、来春就学する児童の健康診断に行った。上越市大潟区(旧大潟町)の人口は1万人少々で、面積も小さい。それで小中とも学校は一校ずつで続いている。
学校医を35年ほど行いながら、一区(町)一校のまとまりのようなものを感じていた。現在一棟を建て替え中で本日は絵本室で健診した。

 

以前に比べるとアトピー性皮膚炎、喘息、それに肥満も減っていると感じた。

 

親御さんの服装も一段と穏やかになった。バブルの頃は肩パット入りのダブルスーツとネックレス、手に手にセカンドバックで、場に不似合いを禁じ得なかった。時代の移り変わりを実感した。

 

 絵本室
この他にもまだコーナーがある。

 

さてずらりと絵本が並ぶ部屋は如何にも楽しげに見えた。大潟小の充実は市内でもトップクラスだという。合併前から引き継がれた本がかなり膨大だったことが理由らしい。

 

本巧みに補修され、題字もきれいに書き直されているものも多い。
樹下美術館のカフェの絵、午睡を描いた篠崎正喜さんの挿絵、作・寮美千子
おおおとこエルンスト うみにいく」も見える。

 

同校のPTAや図書ボランティアは熱心に本の購入と補修を行ったと聞いた。本は幸せそうだった。

 

これからパーキンソン病の勉強会で懐かしい先生とお会いする予定です(午後7時頃記載)。

母が初めて夢に現れた。

2011年11月7日(月曜日)

夕食後の眠気で一階の6畳間に横たわっていた。一時間ほど眠った頃ぼんやりと目が覚めた。近くでハモニカの音色がしていた。

 

音色は童謡「叱られて」だった。最後の節“コンときつねが鳴きゃせぬか~”を私も口ずさんだ。もしやハモニカは母ではないのか。身をのけぞらせて空いているふすまから隣の部屋を見た。

 

やはり母だった。白装束をまとって仰向けになった母は、わずか3,4センチの小さなハモニカを口に含んでいた。

 

ああ、やっぱり母さんだったんだね、と思う間もなく姿はすーと消えた。

私は二階の自分のベッドで目覚め、見たものは夢だった。

 

チェーホフの短編集「かわいい女/犬をつれた奥さん」のどこかで、“亡くなった人を忘れはじめる頃にその人の夢を見る”というような一節を読んだ気がする。

 

8月10日に母が亡くなって3ヶ月が経とうとしている。早いか遅いか自分には分からないが、今夜の夢はそう悪い感じはしなかった。

 

亡くなって30年近く経つ父は、数年に一回くらいの割合で元気に夢枕にたつ。出来れば今後、母も父などと和やかに現れてもらいたい。

 

夢の中で母が寝ていたところは、一晩遺体を安置した場所。そこで納棺の時、猛烈に私は泣いたのでした。

 

潟町の夕焼け

瑞泉寺の一期一会 樹下美術館もぽつんとした引力を

2011年11月6日(日曜日)

日中さして寒くない雨の日。上越市南本町瑞泉寺で「邦和会 茶会(第三回」があった。

 

このところ続けて茶会に伺っている。母が亡くなって間もなく三ヶ月、まだ部屋にいるような気がするが外出に少々安心を自覚するようになった。

 

聖人像瑞泉寺。なかば落葉した桜の陰で聖人像が冬を迎えようとしている。

 

薄茶席は点茶盤による立礼で、時雨にけむる庭が見える開放的なお席。濃茶席では八畳間で開かれたばかりの炉を囲んだ。

 

いずれも心こもりのお道具に接し、熱い茶に一期一会を胸深く吸い込んだ。 

 

白い建物一つだけぽつんとある物の引力。

 

帰りはしょっちゅう通る国道8号線。直江津方面から来て黒井を過ぎる右側、遠くに白い小さな建物が見える。以前は木造だったように思われるが、ずっとある。

 

写真のさらに左には長い間、松が一本ぽつんとあった。松は切られて10年近くたったかな、やはりいつも目をやっていた。

 

松も家もぽつんとしたものにはある種引力がある。小さな樹下美術館もそのような力を有していたい。

上越市大潟区・海辺の松林 森林ボランティア

2011年11月5日(土曜日)

曇りの午後大潟海岸の松林を歩いた。

 

天然の自立した閉鎖林はともかく、居住地域の森林は管理なしには維持されない。植えるのは簡単だが手を入れなければまたたく間に荒れ果てる。人を育て和ませる森林も、荒れれば悲しみの景観でしかない。 

 

1見晴台
鵜の浜温泉からすぐの見晴し台
3波音を聞きながら
波音を聞きながら
5落ち葉さらげの跡
松葉さらげの目跡
7坂道
坂道
2海へ
海へ
4粘る松
強風の浜でがんばる松
6Hobbyおおがた
Hobbyおおがた
8若松
祈りが込められている

 

かって当地の信越線沿いには広大で夢のごとき松林があった。春は松風の音を聞き、夏は涼みに、秋は沢山キノコが出た。ゆるやかな起伏の林、春秋鳥のさえずりは絶えず、山桜、ナデシコ、オミナエシが咲き、何時間でも歩けた。

 

それが開発によって見る影もなく荒れ果て人を拒絶している。失ったものは大きい、わずか30年、あっという間だった。

 

いま、上越市大潟区ではボランティア団体が「松葉さらげ(松の落ち葉さらい)」、草刈りなどの作業によって、海沿いの松林を育てている。

 

その甲斐あって、林は蔦に絡まれることもなく幹の足許まできれいに見えて素晴らしい。進んで手入れをされるボランティアの方たちには本当に頭が下がる。

 

何カ所か若松が植えられていた。
周囲は整えられ、育て、と祈りが込められていた。

 

9キジ飛んだ

竹藪に近づくとキジ?が飛び立った。

 

大潟区には森林を育てる以下のようなボランティア団体が活動しています。
Hobbyおおがた
だいばま会
渋柿浜松露の会
大潟森林ボランティア 

 

 大潟の人たちは、あの夢のようだった一帯の松林を忘れられないのです。四季折々美しい景観はまた、子どもたちを伸び伸びと育んだのではないでしょうか。 

 

それにしてもかつて美林だったJRと国道8号線に沿う林。どこが主体なのでしょう、祈りもなく思いついたように松を植え、手入れはあまりされず荒れ止みません。病む緑を見ることは悲しく本当に残念です。

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