可哀想だったハクチョウ

2011年2月25日(金曜日)

 二昨日、水田で衰弱していたハクチョウに出会って役所に保護して頂いた。今朝の上越タイムス頸北版にその鳥の死が知らされていた。

 

 新発田市の保護センターまで運ばれたそうだが、およそ一日後の残念な結果だった。鳥インフルエンザは陰性ということだった。

 

お濠の蓮に白鳥 
 
 

 空を飛ぶべき鳥が歩くことも出来ない、白鳥の無念さは如何ばかりだったか。

 一昨日の写真を高田の蓮に入れて旅立ちの幸いを祈った。 

 

ハクチョウの保護

2011年2月22日(火曜日)

  昨日ハクチョウのことを、のんびりしているなどと書いたばかりで。

 

 本日午後、上越市大潟区潟田へ往診に行った。山鵜島(やまうのしま)付近のすぐ道路脇の水田にハクチョウが一羽じっとしていた。帰りも同じ様子、素人目にも弱っていることが分かる。

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 佇んでいた場所のすぐ向こうにカラスが二羽そしらぬ顔して伺っていた。彼らは弱っている動物に敏感で、それとわかる個体をねらってつかず離れず監視する。かって足を引きづりながら歩いては止まるキジを見た。そのやや後方を二羽のカラスが挟むようについて歩き、キジが止まればカラスもとまった。

 

 ハクチョウは移動を試みたがすぐにうずくまる。数百メートル離れた池に群れがいるのに、彼らから遠ざかるように歩こうとする。

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 鳥に詳しい患者さんに電話をすると、区の事務所に連絡するのがいいと教えられた。大潟区事務所に電話をして、診察の途切れを待って見に行った。区の担当者がすでに来ていて間もなく保健所からも二人到着した。両役所の連携はスムースで、保護も穏当に行われた。

 

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田はぬかるんでいる、ここにしてと、言うように係員の前を横切るハクチョウ
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覚悟がうかがわれ、優しい色のネットが掛かる。少し胸がつまった。
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 頭上をねぐらへ帰る仲間が飛んでいく

 飢えやケガなどのほかに鳥インフルエンザも心配される。周辺では今冬すでに3回、ハクチョウの救出活動があったと聞いた。1月の猛烈な降雪、湖沼の凍結、鳥にも厳しい冬だったのだろう。

 

 保護されたハクチョウはひどく衰弱しているように見えた。早く暖め、原因が突き止められ、回復に向かうことを祈った。

新潟県立大潟水と森公園に春の光

2011年2月21日(月曜日)

午前に同級生のT君が見えた。大潟水と森公園の園路はもう十分歩ける、コハクチョウやカモがいると教えられた。

 

公園は近いので昼食後に行った。普段ここでカモやハクチョウはほとんど見かけないい。いままで知らなかったが、冬場だけのことなのか。

ハクチョウは1月の吹雪の日に見たグループかもしれない。鳥をよく知る人に“厳しい冬だと鳥は痩せる”と聞いていた。気のせいかやはり痩せているようだ。しかしこちらの心配をよそにのんびりと毛繕いなどに専念していた(たいていハクチョウはのんびりしているように見える)。

青空に伸びるクルミの枝が美しかった。

 

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島へ通じる半島の道 晴れやかな赤松
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沼を行く道 遠近の常緑樹と落葉樹が溶け合う
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遠くのハクチョウ 皆で毛繕いなど
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のびのびとクルミの枝

 風は冷たかったが光に力があった。

はじめての日曜日

2011年2月20日(日曜日)

個展はじめての日曜日、午後になると切れ目なくお客様が見えられた。

新聞の記事を見て来た、という方が多くてその影響を実感させられる。NHK新潟放送局が3月1日の情報番組で放送するという。スタジオの出演を乞われたが、平日なのと恥ずかしいのでお断りした。作品の紹介などはちゃんと放映して頂けるということで有り難い。

 

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 個展とはいえ、上越代表で頑張るぞ、樹下美術館は頑張るぞ、という気持ちがしてきた。あと38日、作品も頑張れ。

世が世なら

2011年2月18日(金曜日)

 あめ風すさぶ1日。新潟市の個展の初日は静かなスタートだった模様。予報は明日からの好天を伝えていたので少々の安心。それにしてもお天気のことは美術館に携わっていっそう敏感になった。

 

 天候で思い出すのはその昔、悪天候の、しかも夜中に具合が悪いと言って電話してこられる方がいた。強風で枯れ枝が飛ぶような夜中や吹雪の晩にかぎって「コワイ(具合が悪い)から来て」と仰る。またか、と思いながら万一も考えて伺った。伺うと電話とちがってお声が元気になっている。帰り際「有り難うございました」と仰るのが救いだった。

 

 ところで昨秋に心臓を悪化させたおばあさんは一定の安定を維持されている。おじいさんは食事やおやつ作り、オムツ替えから移動の介助まで何でもなさる。ある日おばあさんが途切れ途切れに仰った。

「じいはね、じいは男なのに、、、よく面倒みてくれる、、、」。また先日は、
「じいはね、なんでもしてくれるので、有り難い」と。

 

 こんなことを口にされるおばあさんは珍しい。なんて簡潔な言葉だろうと思った。お元気な時は、口は悪いが賢い人だな、と感じていた。そんな老夫婦のもと、家の若い人達やお孫さんはみなよく働き、勉強される。

 

 帰郷して35年、色々な方たちにお会いした。時に、世が世なら学者や物書きになっていたのではないか、と感じる方がおられた。そんな方に限って普段、理屈っぽい、口べた、変わり者などの立場に甘んじているように見受けられた。世が世なら、、、特に昔はそうだったにちがいない。仕事でそんな方の話を聞くのは楽しかった。

花の命を描く展の搬入 新潟空港に流れる時間

2011年2月17日(木曜日)

花の命を描く展に向けて午前にスタッフと妻は知足美術館へ50点の作品と配布物を搬入した。午後の休診日を利用して自分も駆けつけた。

館長で(株)キタック社長中山輝也さん、副館長佐藤和正さん、ほかスタッフの皆さんにはとても親切にしていただいた。素晴らしい会場で、小生の絵は幾分上がり気味、おいおい大丈夫か、と心中つぶやいた。

とにかく始まる。ご来場者さんに少しでもお楽しみ頂ければこの上なく、ご期待外れの段は何とかお許し頂きたい、と思う。

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展示作業を終了して夕刻の空港を見に行った。飛行機は変わっている。静かに洗練されていたかと思うと、轟音と共に飛び立つ。発着を中心に空港は緩急の時間がほどよく流れ、到着の機体に春の香。
昭和50年代以後、飛行機に乗ったことがない。しかしそれ以前7,8回の搭乗はいつも胸踊った。

しばし港に佇めば

かたや入り船はた出船

 ひととき船が絶えたなら

 思い出などが出入りする

場内で妻と夕食を食べて帰ってきた。さすが新潟だった。

以前のノートで知足美術館の位置を県庁の西200メートルほどと記しました。しかし本日伺ってみますと4、500メートルはありました。謹んで訂正させていただきました。

西王母も始めてみた

2011年2月16日(水曜日)

 小生の新潟市における『花の命を描く」展が近づいた。私の作品などで本当に大丈夫なのか不安は尽きない。失敗でも失うものはたいしてないが樹下美術館と医師の名だけは汚せない。両方とも案内にしっかり書かれているので逃げ場はなくなった。

 

西王母 西王母(せいおうぼ:つばきの一種)に手を付けて

 

 先回書かせたいただいたタチツボスミレが一応形になって額装ができた。搬入の17日(木)にまだ日があるということで数日来西王母に手を付けている。西王母は6年ほど前に医療界のある要人に差し上げて手元にない。上越地域医療センター病院の医師招聘のお願いでご挨拶に持参した。

 

 このたびの期間中に販売する拙画絵はがき22種に西王母は入っている。しかし展示に現物が無いのは寂しかろう、とてあらためて取り組んだ次第。

 

 ところで10年前の網膜剥離以来、物が二重に見えるようになった。車のテールランプは四つ、月は垂れ下がる。制作の際はルーペで何とか見えるが少々きつい。

 

 さて作品展は批判もあろう、しかし41日の期間も始まればあっという間にちがいない。新潟市ではよく宣伝されているようで、会期中私に会ってみたい、いつ来るのかという問い合わせがあると聞いた。嬉しい知らせだが、年と共に人にお会いするのが次第に恥ずかしくなった。

旅情の日曜日

2011年2月13日(日曜日)

プログラム見出し

  夕刻、直江津のセンチュリーイカヤさんの音楽会へ行った。
 前半は五郎部俊明さんのテノールで大須賀恵理さんのピアノ伴奏。食後のN響奏者による弦楽5重奏はコントラバスが入っていた。

 

 五郎部さんはイタリア歌曲を中心に美声と溢れる声量で場内を圧倒した。

 

 弦楽アンサンブルによるウインナーワルツは春を伝えてこまやか、かつ重厚だった。礼装した奏者は格好もよく、19世紀かくやありなん、旅情満点の熱演だった。帰るとテレビにN響オーケストラ、今見たばかりのお顔が見えていた。 

  チョコレート  

  

 

 

 

 

午後、最近では貴重となったチョコレートが届いた。ルブランの画像の前で記念撮影を。

 

 
 さんざんな予報が出ていた週末、寒かったがさほど降らなかった。

春は海から

2011年2月11日(金曜日)

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沿岸の春は海から。祝日の日、元気な子どもたちはとても嬉しい。

学校保健委員会 メディアを取り巻く環境、そして健康

2011年2月10日(木曜日)

 いっとき粉雪がちらつく寒い一日、小学校で学校保健委員会があった。テーマはメディアを取り巻く環境、そして健康だった。長年かつ最大級の問題だ。

 

集中 
集中する5年生 

 集まった5年生に語られた上越教育大学教授・石野正彦先生のお話「テレビ・ゲームとのつきあい方を考えよう」は非常に有益だった。

 

 子どもたちと応答しながら進める石野先生のお話は道しるべとして明快。本当の問題は何か、努力の向こうにどんなすばらしいことがあるのか、具体的に触れられた。

 

 自らの改善は心に滲ませて初めて道がひらける。タバコも肥満も過剰なアルコールもみな同じだろう。本人が論理、感覚とも納得できる助言しか効果がない。

 

 先生の話に生徒達は集中を維持した。自分たちも何とかしたいと思っていることが伝わる。私は親御さん達に対して助言を求められた。豊かに人生を楽しむこと、テレビもゲームもない家で読書とラジオで育っている姪たちの話を少しさせてもらった。

 

 一昔前なら信じられないような今日のタバコの状況。いつの時代でも問題の背景は強力だ。何かと飼い慣らされていないだろうか?減りつつある喫煙は長い努力が無駄でなかったモデルの一つだと思いたい。 

楽しい保育園で健診

2011年2月9日(水曜日)

 2月に入ってずっと良いお天気が続いている。昨日午後、担当する保育園で今春入園予定のお子さん達の健診をした。多くの親御さんは少し心配顔、問診票にもそれが現れている。

 

 大丈夫です、心配なのはいいお母さんだからですよ、とお話した。

 

 保育園は時間外や未満児対応などある時期から飛躍した。よく頑張っていることがわかる。園内はカラフルで楽しかった。玄関のプランターにスイセンの芽が出ていた。

 

当園のインフルエンザは一段落しているかに見える。今後の雪ともほどほどにお願いしたい。

消毒を見ている
消毒を見守る 
長靴 
色とりどりの長靴
  ホールの透かし 
ホールの透かし
手洗い場 
シックな色調の手洗い場 私の膝より低くてオモチャのようだ

タチツボスミレの絵

2011年2月6日(日曜日)

 今月18日から小生の拙画展「花の命を描く」が始まる。手持ちの絵が40点、お借りしたのが約10点ほどで臨む。新潟市の美術館で40日もの作品展は恥ずかしく、かつ不安だ。

 

 話戻って、平成12年5月末、上越市大嶋画廊の初めての作品展で一部を売った。どの絵も苦労したが、特に分身のように実感したものは全て非売品とした。

 

 ところが非売品とわかっても、欲しいと仰っる方がいらした。先輩やお世話になっている方に7,8点出て行き、名残惜しかった。万一を考えて、今後作品展などの時にはお貸し下さい、とお願いした。ある絵は小布施の老舗に飾ってあったと聞いて有り難いと思った。

 

タチツボスミレ 
およそ7時間でここまで、今後根と全体を仕上げるまで祈るような気持ち。
 

 そんな皆様のおかげでこのたび何とか展示規模に届いた。しかし中にお一人、もうどこへ仕舞ったか分からなくなりました、というお返事があった。どうしてもと仰った先輩だった。始めてから3年目の春に描いたタチツボスミレは、小ぶりながら気に入っていた。

 

 画像はスキャンしてあり、輪郭線のトレース紙もあったので昨夜から再挑戦した。当時のようには行かず、試行錯誤の連続。原画は根を水に浸して見ながら描いたので迷っても到達点が見つかった。しかし画像だけ見て行うリメイクは難しく、少々きれい過ぎる観もある。 

 

  大嶋画廊以後の10年間で新たに描いたのはわずか8点。描いていた言い訳になるだろうか。

 

暇そうな海

2011年2月3日(木曜日)

2月になって1月のそれを裏返したように穏やかなお天気が続いている。午後の休診日、暮れる海を見に行った。ひと休みの表情は期待通りだった。

2月3日の浜

暮れる二月の海は赤シャツに着替えたものの
だれも相手をしてくれなくて
暇そうに潮だまりを行ったり来たり
本当は荒れたくないんだ、などと言っていた

(2月14日、手を加えました。)

 久しぶりの青空に雲  拙誕生日と旧奉天市(現瀋陽市)

2011年2月1日(火曜日)

 正月にわずか穏やかな日があったが、晴天を思い出せないほど悪天候の1月。今朝の新潟日報紙で上越市の1月の日照時間合計が1922年以来の統計史上、最低と報じられていた。歴史的暗さの1月が終わった。

 

 その空が本日小生の誕生日に、久しぶりの晴れ間を見せた。青空に軽々と浮ぶ雲などどれほど見てなかったことだろう。2月は荒天に混じって、うっとりするような良いお天気が現れる。あす日中は今日より晴れるらしい。

 

雲 
青空と綿のような雲、久しぶりでした。
 

 恥ずかしながら私が生まれたのは1942年。場所は旧満州奉天市(現中国瀋陽市)だった。父が満鉄病院の医師だったこともあって写真の病院で生まれたらしい。

 

 奉天医院
絵葉書「南満洲鉄道株式会社地方営造物絵葉書帖」より『奉天医院』
(「植鉄 失われた時を求めて」より)

 

 当地は大陸性気候のため冬は寒いがよく晴れるという。手足の細い私はあっという間に生まれたと聞いた。その日もきっと良いお天気だったのだろう。病院の産科は素晴らしかった、と看護師だった母が言っていた。

 

 ところで父は満州を語りたがらなかった。父とは別に、自分も年とるにつれ生誕地への郷愁は薄らいだ。お互いの国が仲良くできればといつも思っている。

 お借りした昔の植物画(ボタニカルアート)

2011年1月31日(月曜日)

 豪雪の1月が終わる。明日は私の誕生日、妻の都合で今夜セーターをもらい小さなケーキを食べた。何かと粗忽な自分はかって一年間、年を間違えて過ごしていた事があった。ずっと58才だと思って過ごし、迎えた誕生日に「58才おめでとう」と言われて驚いた。

 

 一瞬冗談かと思い、今生まれたような、あるいは死んだばかりのような、不思議な気持ちに襲われた。

 

 今日は第一印刷所さんが来て陶齋の図録原稿を持って行かれた。昨年6月の予定が7ヶ月も遅れた。何度も校正させてください、と伝えた。たぶんそうなるにちがいない。倉石氏の分も峠を越えた、もう少しだ、頑張ろう。

あまどころ紅葉 あまどころの黄葉 A3サイズ 下は部分、実はアオツヅラフジ

部分 
 

 ほおずきと山芋の実 
ほおずきと山芋の実 A4サイズ 下は部分

ほおずきの部分 

 

 さてそうこうしているうちに小生の拙画展(水彩による植物画)が近づいている。レセプションはどうしますか、と主催者に尋ねられたが止めます、とお答えした。

 

 上に掲げた作品はいずれも2002年、上越市大嶋画廊における作品展のもの。その時50余点を展示して20点ほど販売した。安かったので一日で完売し、利益はある介護の会に寄付した。このたびは展示のために何人かの方からその時の作品をお借りした。
 写真はそのうちの二点。皆さんには感謝を禁じ得ない。

 

 今見るとよく描いたな、と思う。当時も、二度と描けないだろうと思いながら描いていた。

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